経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

言葉のない世界だったとしても

私は声や言葉そのものが嫌いです。
言葉がなければ傷つく必要がなかったことがどれほどあるでしょうか。言葉がなくても、目や態度をみればなにを考えているかわかりますよね。私はその方がまだましなんです。表現として、嫌なことを態度で表した方が私も楽です。言葉になると急にトゲになるようなきがします。文字でも声でも、1日になんかいもダメージを受けています。否定の言葉で溢れかえっているこの世からはやく消えてしまいたいです。
そもそも、話すことも書くことも苦手です。今もなにいってるかわからないと言われるんじゃないか恐怖です。誤解されたり…そういうときに誤解されてると気付いてから訂正の言葉を考えているうちにもう次の話題に。誤解されたままです。仮に訂正できたとしてもそれも間違っていることもあります。死にたいですね。
親は、否定的な言葉をかけるひとでした。お前には絶対無理、必ず失敗する、なにも出来ないやつだ…
嘘でもいいから好きっていって子供ながらに母にいったことがありました。母は嘘じゃ意味がないとだけいって、すきと言ってくれませんでした。はぐしてというと、やだと拒否されました。殴られたり蹴り飛ばされたり、存在を消されたり、ものを投げられることもありました。水筒って痛いんですよね笑

言葉がない世界を望みますが、やっぱり態度も傷つきますね。言葉がなくて殴ることで嫌なことを伝えたら、痛いですね…。でも殴られる方がまだましかなと思う自分もいます。

言葉のせいで、誰ともうまくいきません。孤独です。本当にこの世は孤独な世界ですね。
安楽死マシーンを作ったひとが「死ぬことはもっと人に望まれるべきだ」といいました。その通りだと思います。私は死後の世界は美しいと信じて、できるだけはやく死ぬことを待ち望んでいます。
何度か自分でしたのですが、失敗したんですよ。簡単に死なせてくれないところが牢獄そっくりだと思いました。

感想1

投稿ありがとうございます。母親さんとの関わり合いについての文章を読んで、コミュニケーションが傷つくものだと感じるようになるのも無理はないと思いますし、言葉で否定されてきたときに言葉を拒絶したいと感じるのも自然な感情だろうと感じました。
「言葉がなくても、目や態度をみればなにを考えているかわかりますよね。」と書いてあり、そうなんだ〜!と思いました。私は非言語のコミュニケーションはどちらかというと苦手で、あまり他者の考えていることを理解することができないタイプなのですが、あなたはきっと違うタイプなのかなぁと考えています。
「言葉になると急にトゲになるようなきがします。」という言葉を読んで、あなたは言葉というものに対してすごく真摯に向き合っているのだろうなぁと思いましたし、また言葉を強く受け取る傾向がある人なのかもしれないと思いました。
同じ言語とされる言葉(たとえば「日本語」)であれば、イメージを共有して話すことができている、と思われがちですが、それは結構違うと思います。「青」という色をイメージしても、それぞれが思う色は少しずつ違うかもしれませんし、もっと複雑な概念であれば、なおさらそのイメージを共有できていないまま、共有した気分で話していることも少なくないように思います。でも、個人的にはそれをすり合わせていく地道なプロセスも興味深いのですが、ただそれには多大な労力がかかる上にそもそもうまくいかないことも多いなぁ…と思います。
言葉があることによって考えられたり、書き残しておけたりするし、人と話すことで別の視点を教えてもらうことも多いです。この死にトリの経験談もそれぞれの人の気持ちや経験、考えてきたことを分けてもらっているものだと思っているのですが、それがこういうふうにできるのは言葉があるからだとも思います。そういう意味で言葉は道具だと私は思っているのですが、すごく難しく、すごく危険のある道具だとも言えると思います。
私も言葉によって学んだことや知ったこともあるし、言葉によって傷ついてきたこともあるし間違えてきたこともたくさんある中で、理想を言えば、いつか言葉を必要としない存在になりたい、という夢(というのでしょうか)があります。でもやっぱり、こうやってあなたの言葉を読むことができたことを嬉しく思う自分もいます。
ふと思ったのは、主にこの経験談には、コミュニケーションとしての言葉について書いてくださっていたように思うのですが、言葉は人との中にあるだけではなくて、自分の中にもあるし、音の響きや文字の形、そういうものも言葉の一つの姿だと思います。詩歌や物語、歌の言葉などには意味だけとは言い切れないさまざまな要素があるような気もしますし、本当は日常的な言葉の中にもコミュニケーションの道具というだけではない、言葉の「感じ」みたいなものが含まれている気もします。私は、たとえば「は行」の音の空気が通り抜けてゆくような発音が好きです。
あなたが触れる言葉に、あなたを苦しめたり、傷つけたり、困らせたりするものだけでなく、なにかほっとしたり、不思議に思ったり、反芻してみたいように感じたりするものがあるといいな…と思いました。勝手な思いを押し付けてしまっていたらすみません。またあなたの言葉を読んでみたいです。もし気が向いたらまた死にトリに投稿してください。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。
「言葉のない世界だったとしても」というタイトルに惹きつけられて、この投稿を読みました。わたしは言葉にわりと敏感で、(全く自分に向けられたわけでもない)文章を読んでいるだけで、具合が悪くなったりダメージを受けることがあります。あなたと共通する部分は多少あるかと思いますし、きっと違う部分もあるのだと思いますが、「否定の言葉で溢れかえっているこの世からはやく消えてしまいたいです」という言葉には深く頷きました。
逆にいえば、優しい言葉が溢れている世の中にできれば、消えたいと思う人も少なくなるのかもしれません。わたしはそう思って、書き言葉も話し言葉も神経を配っているつもりですし、(この経験談の返信含め)ネットでの情報発信も行っていますが、否定の言葉の波の方が勢力が強くて、なかなか力及ばず…という感じです。

あなたの場合は、ただ言葉に敏感というだけでなく、親から否定的な言葉をかけ続けられたのも、まだ抜けないトゲとして残っているようにわたしは感じました。人生の初期から、自分にとって影響力の大きい存在に言葉で傷つけられたら、言葉は「人を傷つけるもの」だと感じてしまうのではないかと想像しています。ただ、人との関わりでの傷は人との関わりでしか癒せないなんて言葉もあるように(それが真実かはわかりませんが)、言葉による傷も言葉にとって癒されるものかもしれないと思ったりもします。
つまり言葉にはそれだけのエネルギーがあるということで、それがマイナスの方向に働ければ殺傷能力といえるほどのものになるし、プラスに向けば回復のための大いなる支えにもなりそうです。わたしの場合は、言葉に救われてきたことも多くありました。
もしこれまで、あなたが何かの本でも歌詞でも、誰かの何気ない一言でも、自分にとって優しさを感じられたフレーズがあれば、聞いてみたいと思いました。

お返事1

感想ありがとうございます。
私は言葉というと、声で発する言葉を主にイメージしていましたが、それだけではないことに気付かされました。私は、優しい声かけよりもスキンシップで信頼感を感じたりすることが多くて、文面の言葉で心がリラックスしたはのは初めてでした。

私は少しのミスでこの世の終わりを感じるほど絶望することが多いのですが、Mrs.GREEN APPLEさんのsoranjiという曲の一部になんだか、温かいものというか、勇気を感じました。生きてほしいっていう旨の曲は本来好きではないですが…。

話す人がいなく、常に孤独を感じているので、こうして誰かと繋がっている感じが新鮮で嬉しいです。

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