経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

死にたいという病で死ねたら良かったのに

「死にたい」が頭から出ていかなくなってから10年経ってしまった。
15歳の夏に母が死んでからずっと。

幼い頃は祖父と母と三人で仲良く暮らしていたが、祖父が9歳で亡くなってからは母は私の前でヒステリックに叫びながら物をなげている記憶しかない。
その祖父も母親を引き取った人(養父)である。
顔も見たことがない父はどうしょうもない人間で三人の女性と結婚と離婚をし、四人の子供がいることだけは戸籍で確認した。

人生の複雑さから心が複雑化して、周りの人々が宇宙人に見え中学へは行かなかった。
その後施設に入ったので強制的に高校へ行けたが先生に「頑張ってって言わないで」と言い続けた記憶しかない。

乖離なのかわからないが、記憶が朧気で曖昧なことばかりなのに残酷なことだけは記憶に残ってることがつらい。親が病気で死んだとか、命日とか最期の言葉とか年々蘇ってくるのは思い出したら辛いだけなのに。幸せそうな私はアルバムにしかいない。

親族に言われた「だから産まれてくることには反対したんだ」が一番辛かった。
ごめんね、産まれてきて。私も産まれてこなきゃよかったなと思ってるよ。
ちなみに黙って県外逃亡したが音沙汰が1ミリもないためきっと死んだと思ってくれていると思う。

一人も誰も話を聞いてくれなかった。学校の先生も、友達だった人間も、親族も。
弱った親に弱音を吐いてなんの意味になるんだとも思っていたし、ネットに逃げたけど同じ境遇の人間がいるはずもなく、酒に逃げながら精神科の薬に頼らないと動悸で仕事が出来なくなる成人女性が誕生してしまった。

ただ、ちゃんと話を聞いてほしかった。
嘘じゃないんだ、作り話みたいでしょ。
私もそうならとっても良いのにと思う。

靴に画鋲が入るタイプのいじめとか、恋愛とか失恋とか一通り経験してきたけど人生がつらすぎてもうそんなもの記憶の片隅にしか残ってない。

25歳になり、考え方を変えたいと思ったのに「みんな辛いんだよ」「薬飲めば落ち着くよ」「苦労した分報われるよ」という思考回路を遮って「でも産まれてこなきゃ良かったことなんだよ」と自分が囁いてくる。薬飲んでも幻覚が見え、幻聴が聞こえる。
なんのためにお金を払っているのかわからない。
というか親の付き添いで病院に行くのが無理になってしまい待合室で一人だけ今にも死にそうな顔をしてしまうのになんで行くのかわからない。

もうこんな人生やめさせてほしい、苦しさがまた苦しさを生んで泣いて叫んで、忘れるために薬を飲んだりお酒を飲んだり首を絞めても解決には至らないから。

実家での生活が共依存じみた生活だったのはわかっているんだけど、もう誰も私のことは無償で愛してくれない。気を遣って生活しなければ認めてはくれない。母親のことも嫌いなところと好きなところの高低差が高すぎて思い出すのもしんどい。
もう無い実家の電話番号も住所も間取りも覚えてるのに心だけ幼い頃のままで年だけ食ってしまったこんな現実がキライ、この人生で上手く生きれない自分もキライ。周囲がキライ。
私は親が死んだときに後追いしなかった愚かな人間だからもう苦しむことしかできない、死ぬ勇気もないから。
叶うなら一緒に私なんか生きたままでもいいから火葬してほしかった。
そんな母親の夢を1年に1度は見ていたのだけれど、今年の夢の中の母は私のことを忘れていた。
スピリチュアル等を信じる方ではないけれど、きっともう会えないのだろうと思った。

もうここ10年ずっと辛いし今これを書きながらグズグズに泣いているしうめき声を上げて苦しんでる。
こんな状態なのに明日は仕事がある、家に猫もいるし同棲予定の彼氏もいるし死に方を話せる同僚も二人いるから、今だけを切り取れば恵まれているのはわかっているけどうまく現実に馴染めない。

ついでに4年引きこもって2年ニートしたせいで今自分が何歳かよくわからなくなるし、成長もしてないなと感じて嫌になる。

彼氏よりも死に方を話せる同僚の方が一緒にいて安心するようになってきた。死にたいという重くて暗い救いだけは、自分で行き先を決めれるから。

仕事で成功したいともプライベートを滅茶苦茶充実させたいわけでもなくこの人生を余生だと思ってるのに死にたいのはどう考えても生い立ちのせいだなあと思うわけです、環境のせいにするなっていう言葉は一体誰が生み出したのだろう。死ぬ前に言ってるやつ全員殴ってやる。

情緒も不安定だしこの年になって一人称も不安定で危うい人間になってることは理解できるけどもうなんか、それをどうにかする気力もないから、なんでもいいかなーって…多分このなんでもいいかなーがメンタル的に一番大事なんだろうな。
気づいているのに実行できないのはとっても気持ちが悪い、意気地なし、死ねばいいのに。

意識の中で自分の死を一番に願っているのは自分自身なんだろうな。
あの頃に、誰かに全部吐き出してアナタのせいじゃないよと、抱きしめられたい人生だったなあ。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。読んでいて、苦しさが常に身近にあるいは体の中にあり、どうしたらいいのかわからない、混乱のような感覚を受け取りました。書いてもらった内容からはかなり順不同になってしまうのですが、あなたの言葉から感じたことを書いていきたいと思います。

「仕事で成功したいともプライベートを滅茶苦茶充実させたいわけでもなくこの人生を余生だと思ってるのに死にたいのはどう考えても生い立ちのせいだなあと思うわけです、環境のせいにするなっていう言葉は一体誰が生み出したのだろう。死ぬ前に言ってるやつ全員殴ってやる。」という文章にものすごく共感しました。「環境のせいにするな」と言える、言ってしまう人は、自分が環境に恵まれてきたことを自覚できていないか、あるいはもしかすると、逆に環境がしんどいことから目を背けたい人なのかなと想像しています。

この経験談ではあなたが過ごしてきた環境で起こってきたこと、言われてきたこと、そのごく一部を教えてもらったにすぎないと思いますが、それでも、それが非常に過酷だったことは強く感じとりました。その中でのあなたの「頑張ってって言わないで」という主張はとても真っ当だと思いました。

「みんな辛いんだよ」と書いてありましたが、みんな辛いとしても、それとは関係なく、あなた自身が辛いと感じるなら、それを否定する必要はないと思いました。「もうここ10年ずっと辛いし今これを書きながらグズグズに泣いているしうめき声を上げて苦しんでる。」という自分がいるとき、「今だけを切り取れば恵まれている」という比較を考える必要はないと個人的には思いました。でも、周りになかなか理解されないだろうという経験からくる思いがあるのかなと想像していますし、辛すぎるとき、その気持ちや感覚を受け取るだけで潰れてしまいそうなこともあるかなとも思います。

「彼氏よりも死に方を話せる同僚の方が一緒にいて安心するようになってきた。」のは少なくともその2人の同僚は、死にたいことや、人は死ぬことを考えることがある、ということを共有できる相手だから…ということもあるのかな? と想像しました。逆にいうと、その前提が違う相手が、彼氏に限らず周りにはとても多いのかなとも思いました。(少し飛躍した想像かもしれないので、違っていたらごめんなさい)

「というか親の付き添いで病院に行くのが無理になってしまい待合室で一人だけ今にも死にそうな顔をしてしまうのになんで行くのかわからない。」という言葉からも、過去の経験からしんどいと感じる場面や状況が色々あり、自分を維持したり、楽にしたりしたいという気持ちと、それ自体がしんどいことにつながるということに引き裂かれる感じもあるのかな、と想像しました。あなたにとって(比較的)安全だと感じられる状況、その前提の上で少し楽になる方法はどんなふうに見つけることができるだろう…と考えました。

「ただ、ちゃんと話を聞いてほしかった」という言葉が印象的でした。だけど「一人も誰も話を聞いてくれなかった」という状況に悔しい思いが湧いてきました。(勝手にすみません)
人間は想像力という力を使って生きる生物なのだと思いますが、その想像力は自分自身のことや自分自身の近くで見えていることから少しでも外れた時に、全然働かないことが多いのだな……と思います。
「嘘じゃないんだ、作り話みたいでしょ」という言葉は、作り話かのように受け取られてしまった経験が何度もあったからこその言葉なのかなと思いました。

一方で、「話を聞く」ということは本当に難しいなとも痛感しています。「話しを聞く」というのは単に聴覚レベルで聞くというだけでなく、受け取って理解したり、想像したりすることも含まれるものだと思うからです。この感想も、あなたの経験談を読みながら色々考えつつ書いていますが、何かが「わかった」ということにはまるでならないと思います。もちろん、すぐ「わかった」となるのも不気味といえば不気味かもしれませんが……。
結局のところ、自分の知っている範囲のことを通して、自分の感覚を通してでしか誰かの話を聞いたり、読んだりすることはできず、そうであるには自分の範囲はあまりにも狭い、といつも思います。
でも、少なくともわかるのは、あなたのせいではないということ、あなたが経験してきたことにはたくさんの理不尽があり、それはいうなればこの社会が至らないからだということです。
私はあなたが経験談を送ってくれて、それを読ませてもらい、少しでも知ることができて、とてもうれしいです。全く「同じ境遇の人間」はいないかもしれませんが、死にトリでは、少なくとも「死にたい」ことを否定されるようなことはないので、よかったらまた感じていることや、記憶、考えていることなど、教えてほしいと思いました。

感想2

ちゃんと読ませてもらいました。
15才になるまでの人生に凝縮された経験によってその後の10年も辛く重い記憶に圧倒されてきたことがとても伝わってくる経験談でした。
うめき声を上げながら書いたみたいですから、過去といまを行ったり来たりして感情がぐちゃぐちゃになっていたのかな…そんな姿が浮かびました。
「ただ、ちゃんと話を聞いてほしかった」とありましたが、そういう存在が1人でもいたら、あなたのことを理解しようとするひとが1人でもいたら、ここに書かれた経験もまた違っていたかもしれません。
「ちゃんと聞いてほしかった」気持ちに対してちゃんと読ませてもらいたくて、経験談を3回読んでから感想を書き始めました。
10代に見た光景や感情など過酷な記憶ばかりが引き出されて、昔のことではなくまるでいまのことかのように鮮明に感じているのではないかと思います。だとしたら、何かで麻痺させないと生活はしていられないのではないでしょうか。あなたにとっての母親さんが色んな意味で象徴的に語られていることが印象的でした。母親さんは一番理解してもらいたかった存在だったけれど、一方で母親さんの感情に左右される日々を送っていたのかなと私は勝手な想像をしました。そして思春期で感情が揺れる時期に母親さんが亡くなったことは激しく揺さぶられるような経験だったことでしょう。施設で暮らすことになって環境も変わるなかで誰にもその気持ちは理解されず、これ以上頑張れないほどに気持ちを何とか保っていたのかなと高校のお話を聞いて私は思いました。
親族からの産まれてきたことを否定されるような言葉はあなたにとって抜けないトゲのようなひと言だったのかもしれません。実は私も少し似た経験があります。父親に「お前は予定されていなかった子だからな」というようなことをもっと微妙なニュアンスで言われたときは、嫌な気持ちにもなりましたが、なんでそんなことわざわざ言うんだって思いました。いまも思い出すので、それなりに残っています。
話をあなたのことに戻します。いまの現実を生きようとして人間関係をつくったり、仕事をしているあなたを想像した時に、辛いとしか感じない日々のなかでもどこか成長しようとしている意思を私は感じとりました。でもあなたと話せたら「いやいや辛いことしかないし、何にも成長なんかしていない」と言われてしまいそうです。(この辺は勝手な妄想かも…)
私は最近、生きることは過去や感情、人付き合いに折り合いをつけることなんだろうと思うようになりました。そのベースにあるのは「なるようになる」という感覚です。だからこそあなたが「なんでもいいかなー」って考えていることに勝手ながらとても共感できました。
いまのつらさはあなたのせいじゃなく生い立ちに影響を受けたことはその通りだと思いますし、いまもその記憶と生きているんですね。
この死にトリに経験談として想いを置いていってくれたことによって私はあなたの人生の一端を知り、あなたと語るような気持で感想を書いては消してを繰り返しながら書き終えました。今ごろどんな気持ちで日々過ごしているのでしょう。
投稿ありがとうございました。

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