経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

今の心境

大学に気軽に連絡を取れる友達がいない。それは私が入学当初に頑張って友達を作ろうとしなかったからだ。全て私が悪い。今年になって、顔を合わせたら話す程度の友達と授業が被っても、教室の関係で近くに座ることがなくなり誰とも関わることのない生活が始まった。

今学期になって、なんであんな場所に行かなきゃいけないんだろうとか思って行かなくなった。無断欠席が続き親に連絡された。親や教授は優しく心配もしてくれるし傾聴もしてくれるが、「休学をするな。今頑張れ。」「他に辛い人はいる」といったことを言葉を濁して伝え続ける。別に休学をしたい訳じゃないけれど、親は私がレールから外れることを酷く恐れている。私より自分の体裁といった感じで、私も親の立場ならきっとそうなのだろうから責めるつもりはないが苦しい。
私の伝え方が悪いのか親や教授に私の思いが伝わらない。どんなに言葉を尽くしても、「そうじゃないんだけど」と思うようなことを言われてしまう。更に親や教授に心の開示を求められる。いやだ、あなた達になんか開きたくない。もう言葉を尽くした。分かり合えないんだよ、あなた達とは。分かり合いたいとも思わない。もう疲れた。私と親や教授じゃ立たされている立場も状況も価値観も良い意味でも悪い意味でも違う。良かれと思ってかけられる言葉が私を苦しめるだけの言葉で反吐が出る。

親は高校生の時、私が助けを求めても助けてくれなかった。なのに今更「私の大切な娘」とか「力になりたい」とかどの口が言ってるんだと思う。親である前にあの人も1人の人間だと分かってる。意見だって考えだって尊重したい。それでもあの時だけはあの時だけはせめて、1人の人間じゃなく親として私を守って欲しかったよ。我儘だけど。

親は私に社会を見せる顕微鏡みたいだ。「社会に出たら理不尽なことがある」とか「とにかく頑張り続けろ」みたいなことを繰り返す。頑張るっていつまで?頑張って授業受けてゼミ受けて卒論書いて就活して。こんだけ頑張って大学卒業しても定年まで頑張って働かなきゃいけない。大学卒業で人生終わるなら、頑張るよ。でも死ぬまで頑張らなきゃいけないじゃん。頑張るモチベも意味も分からないよ。好きなこともないし、家にいてベットの上でずっと寝ていたいよ。

唯一の救いは友達。でも親友には「〇〇(私)は素敵なのに、いつも自分はダメだとか暗い話ばかりをしていて実は聞くのがしんどいんだよね」と言われてしまった。それからはあまり話を聞いてくれないがサバサバした友達に話している。その友達は親や教授が分かってくれないこと、親や教授に私が思ってる不満を少し話しただけで0から100まで言い当ててくれる。共感してくれて傍にいてくれて、私も頼るし相手も頼ってくれる。その友達とSNSで交流することが唯一の生きがいと言っても過言ではない。こんな友達となら社会人になって自分で働いたお金で一緒のマンションに住んだり、旅行に行ったり、一緒にご飯を作ってゲームをして、楽しく過ごしたい。それでもその友達と同じ県に就職できなかったら実現できないし、就職が上手くできるかも分からない。怖い。その友達も結婚や出産をするかもしれないし、ずっと2人でいることなんて絵空ごとだろう。
楽しい未来を想像するけれど、そんな未来が来ないことも想像してしまう。友達に依存してしまうこともよくないと思うのに、友達しかいない。毎日誰とも話さないで、毎日毎日同じことの繰り返し。

大学のカウンセラーに行ってみようとしたけれど、早くて2週間後と言われてしまって匙を投げてしまった。別にすぐカウンセリングを受けたかった訳じゃないけれど、自分が行動をした時が最大のモチベなので「ああ今週予約取れないならいいや」と思ってしまった。

最近自分の思い通りに事が運ばないと酷くイライラしてしまう。異常なまでの怒りを覚え、心をへし折られた気分になり、「ああもういいや」と思ってしまう。自分でもおかしいと思う。けど、なんかそんなこともどうでもいい。

どうでもいい。大学も未来もどうでもいい。といいつ少し取り組んだりするけれどその場凌ぎで、そこに心はない。ずっとモチベがない。やる気がない。みんながなんで受験や今に必死になれたのか、なってるのか分からない。確かに不安で仕方ないし不安なら行動するしかないけど、自分が行動して少しでも上手く行かないと萎えてしまう。自分の頑張って踏み出した一歩を踏み躙られた気がして。

複数の失敗の先に成功があるのだと思う。それが理解はできても納得はできない。複数って何個?何回傷ついて立ち上がれば成功するんですか。1個の失敗でも心が折れてどうでも良くなっちゃう私は生きるの向いてないのかな。生きる資格ないのかな。

私が踏み出す1歩には膨大なエネルギーがかかってるのに、誰にも分かってもらえないのが辛い。うーん、分かってもらいたい訳じゃないけど、可視化されたらいいのになと思う。

私より素敵な同級生が病気で亡くなったり、ニュースではすごい経歴を持った人が過労死したりおかしいと思う。私より生きてる価値のある人がなんで酷い目に遭うんだろう。生きてるのが申し訳ない。早く臓器提供したい。死ぬ勇気もない、けど頑張って生きる気力もない。頑張りたくない。頑張る意味が分からない。
生きる=死ぬまで頑張ることなら、手放したい。

なんで泣いてるのかも、何が自分の本音なのかも分からない。泣いているのは虚栄心とか恐れとかで本当に悲しいからでも、申し訳ないと思ってる訳でもない。

私の好きな漫画に「誰かに初めて自分を好きだって言ってもらえて、初めて自分を許せそうな、好きになれそうな、そんな気がしてくると思うんだ」という趣旨の文言がある。そうだと思う。
私はいつだって他人に受け入れられたい。愛されたい。好きになって欲しい。そんなじゃ一生他人に軸を預けることになってよくないのかもしれないけど、それでもいい、それがいい。いつも私が好きだと言ってばかり。誰かから私が求める以上に求められた事がない。求められるような人間でもないと思うけど。辛いな、悲しいな。
被害者ぶってごめんなさい。

たまに遺書みたいなのを軽い気持ちで書いたりする。書くと途端に涙が溢れてきて、もう一度会いたい人の顔が出てくる。まだ耐えなきゃって頑張らなきゃって思う。
でもそんなことでしか自分を震い立たすことができないのも疲れる。みんな私が死んだら悲しいですか。悲しいなら何で生きてる内に大切にしてくれなかったんですか。もっと言葉で行動で示して欲しかったよ。私はそう自信を持って言えるために沢山伝えてきたよ。みんな素敵だよ。みんなのこと大好きだよ。いつも私と接してくれて話してくれてありがとう。何もないゴミみたいな私と関わってくれてありがとう。みんなに出会えてよかった。恨みつらみを書きたいのに、やっぱり最後には感謝を伝えたくなる人が周りにいる。家族という言葉が人間関係の最高位にあるように語られるけど、私は家族じゃなくて他人から教えてもらった。優しさや愛を受け入れてもらった喜びを。まだ、まだこんなことを思うなら耐えなきゃいけないのかな。

思いのままに綴りました。
拙い文でごめんなさい。

感想1

経験談への投稿ありがとうございます。

あなたが思いのまま、率直に綴ってくれたことが伝わってくる文章だと感じました。
「頑張るっていつまで?」との言葉には、ふと息が止まるような、何かを突き付けられたような気持ちになりました。「親は私に社会を見せる顕微鏡みたい」というのは言い得て妙で、思わずなるほどと納得してしまいました。

心配や配慮の後ろ側に「頑張れ」の意図が込められていること、心をひらくことを暗に求められること・・自分も覚えがあるなと思いながら読んでいました。言葉の陰に潜んでいるものを、こちらはひしひしと感じることだろうと思います。あなたが、「あなた達になんか開きたくない」と思っていること、なんだか応援したい気持ちになりました。

高校生の頃、あなたが助けを求めても助けてくれなかった場面は、今も心に深く残る傷ついた瞬間だったのではと感じています。今になって優しい言葉をかけられても信用できないし、そんな言葉を聞く度に「なんで、どうして」との恨みが募るばかりではと思います。
自分の思いをどんなに強く訴えても大きな力で伏せられてしまう経験が無力感や絶望となって、「どうでもいい」という言葉になったのでしょうかね。

あなたが書いてくれた「どうでもいい」は、全部投げ出してしまいたいような思いとともに、自分の気持ちを抑圧され続けてきた叫びのようにも感じました。これまでずっと頑張って頑張って、周りの期待に応えたり、求められる姿で振舞ってきたのでしょうか。
(もし、あなたの気持ちや状況と違ったことを言っていたらすみません)

上手くいかないとき、失敗したときは心が折れますよね。あなたの文章を読みながら、「まぁいいや」と思えるときと「もう終わりだ。こんなのやっても意味がない」と白黒つけたくなるときと、何が違って、何がそうさせているんだろう、と考えたりしていました。「自分の頑張って踏み出した一歩を踏みにじられた気がして」と書いてくれましたが、そう感じるに至る何かの経験があったのかなと少し気になっています。

あなたに心を許せる友達がいること、少し安心しました。人と理解し合えること、支え合う関係が、今のあなたにとっては必要なことになっているのですかね。同時に、それを失う怖さに怯えながら、希望と不安の間を揺れているような様子も感じました。自分がしてほしかったことをすることで、何よりも自分を支えてきたのですかね。

最後の「家族という言葉が人間関係の最高位にあるように語られるけど、私は家族じゃなくて他人から教えてもらった」との言葉には、思わずうんうんと頷いてしまいました。「家族」の、こうあるべきという姿や価値観に苦しんでいる人がたくさんいると感じています。

私も拙い文章で申し訳ない気持ちになりますが、あなたの書いてくれた文を読んで、思ったこと・感じたことを書かせていただきました。またよかったら、お話を聞かせて下さい。

感想2

投稿ありがとうございます。読んでいて、自分から見て安心して関われる人がいない場所に日々行って勉強しなければいけないのは困ってしまうことも多そうだと思いました。

文章全体を読んでいて、あなたはこれまでに、日常的に求められることの中にも多大なエネルギーを使ってきたのではないかと想像しています。それを理解してくれる人が周りにおらず当たり前のこととして扱われてしまう苦しさがあるのかなと思いました。
人によって感じ方も考え方や捉え方もすべて全然違うのに、世の中ではそれがひとくくりにされて、違いに気づいてもらうことがすごく難しいように思います。「私が踏み出す1歩には膨大なエネルギーがかかってるのに、誰にも分かってもらえないのが辛い。」という言葉
からも、あなたがこれまでに力を使い続け、消耗してきていることを感じました。

「頑張る」ことですべてを対処することを求められるのは、かなり無茶だと思います。うまくいかないことや大変なことがすべて個人の「頑張り」の有無や量の問題にされてしまう理不尽な考え方だと言えるのではないでしょうか。
社会の中で自己責任論的な考え方は多く、その中ではさまざまな社会的な問題が個人の努力の問題にすり替えられてしまっていると私は思っています。
「大学卒業で人生終わるなら、頑張るよ。でも死ぬまで頑張らなきゃいけないじゃん。」という感覚に個人的にすごく共感して読みました。私は学生ではないのですが、「いつまで頑張ればいいの?」「もう頑張れない」と思っていたことがすごく長くあったからです。今はどちらかというと、頑張らない練習をしているところです。
私は余力があるとき、少し疲れても休めるような環境がある場合に、自分の納得のもとで「頑張る」ことは悪くない、場合によってはその人のなにか可能性を広げることもあることだと思っています。でもその条件が当たり前に揃っていないときに「頑張る」ことはその人自身を削ってしまうことだとも思うし、それを強いる言葉を他者にかけることは暴力だと私は思います。長々と「頑張る」について書いてしまいましたが、個人的にはあなたがしんどいときに頑張る必要はないと思います。

文章から、あなたの中には様々な想定をしたり、なにか未来に向けて行動しようとしたりする長期的な視座と、今この瞬間のうまくいかなさとかしんどさがすごく強くなる瞬間との両方があるのかなと想像しました。また長期的な視座の中には建設的なイメージもあれば、夢みたいなイメージもあれば、それが難しい、自分にとって嫌なイメージもあるのかなと思います。未来は確定するものではないので、いろいろな想像をすることは自然なことかなと思います。ただ、とくにしんどさを強く感じているとき、ストレスを感じるときにはうまくいくイメージを持ち続けることも難しいし、つらい時間がずっと続く感じがしたりするのかもしれないと思いました。(違っていたらすみません)

私は「生きてる価値」の優劣や「生きる資格」は存在しないと思っています。どんな人生でもそれが長く手も短くても、そこに優劣はないと私は思います。
ただ、その一人一人がなるべくつらくない方法で生きてほしいと願っていますし、あなたにとっての「頑張る」以外のやり方がたくさんなければおかしいと思います。その一つは休学などの休むこと、しばらくのあいだ「家にいてベットの上でずっと寝て」いることかもしれませんし、友達と話すことかもしれません。

親については助けてくれなかったのに体裁を求めている感じがして、不信感を抱いているのかなと思います。それよりも、「救い」と書かれている友達との関わりの方がよほど重要だと感じるのは当然のことのように思いました。「家族という言葉が人間関係の最高位にあるように語られるけど」と書いてありましたが、私も別に家族を一番だ思う必要はないと思っています。もちろん、家族が一番大切な人はいると思いますが、それはたまたまそうであるというだけのことで、そうでない人も当然いるし、良し悪しを人に決められるいわれはないと私は思います。
「好きなこともない」と書いていましたが、大切な友達がいて、その人とゲームをしたりすることはきっと楽しいのかなとイメージしたり、「みんなに出会えてよかった」と思うこともあったりするということで、あなたにとって大切な人と関わることは「好きなこと」なのかなぁと思いました。

あなたが感じていることを読んでいて、改めて、どうしたらみんなに同じように頑張ることを求めるのではなくて一人一人がそれぞれのやり方を見つけていくのをサポートしあいながら進められる世の中になるのかなぁ、と考えています。少なくとも「生きる=死ぬまで頑張る」ではないと私は思いますし、「生きる」のやり方の選択肢がもっと増えていかなければいけないと思います。

お返事1

丁寧なご返信を本当にありがとうございました。
家族には絶対言えない・言いたくない、友達にも負担に思わせてしまうから1から10までは言えない、でも誰かに自分の思いを叫ばせて欲しい、聞いて欲しい、受けて止めて欲しいという思いで綴りました。
ご返信を読みながら涙がボロボロ溢れました。
顔も名前も知らない方だからこそ、真の本音を話せた気がします。
沢山思いやって配慮して書いてくださった文章に、感動しましたし世界にはこのような方々も存在しているのだと、私の文章に私の思いに耳を傾け、沿ってくれるそのこと自体が励みになりました。
私は21年間、頑張ってこなかった人生だと思います。
謙遜でもなく客観的に見ても本当にずっとずっと頑張りませんでした。
なのに今回の文章を書いている時も、ご返信を読んでいる時も涙が溢れて仕方ありませんでした。
強烈なストレスを受けた時に、ストレスを発散させるために涙が出るそうですが私は頑張ってこなかったのに、被害者ヅラして変だなって思ったり、いつの、どの、どこの、何に対する涙なのだろうと思います。
自分で自分が泣いている訳が分かりません。
頑張ってこなかった自分を守る卑怯な涙なのか、それとも自分でも無自覚だったような苦しみや辛さや圧迫からの解放を求める涙なのか。
何も分かりませんが、やっぱり少し、ほんの少し辛かったのかなと思います。ずっと辛かったのかなと思います。そんな自分に気づけたことも、また1つ収穫です。

比べることではないと分かっていますが、私は辛さランキングで言えばまだまだ下位だと思います。
これを読んでくれた方の中には「なんだ、こんな恵まれた状況で嘆きやがって」と思われた方もいると思います。
ごめんなさい。
それでも1人でも少しでも似たような状況の方が、1人じゃないと思ってくれたら嬉しいです。
そして死にトリさんにメッセージを送ってみて欲しいです。どんな文章でもいいと思います。
自分の文章を、自分の存在に気づいて目をかけてくれる人がいることは少なからずあなたの力になると思います。
私の拙い文章を読んでくれてありがとうございました。
あなたにありがとう。

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