経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

後悔を飼う

中学のころ、私はうつ病で不登校になりました。
本当に突然です。正直、自分でさえ不登校になるなんて思ってもいませんでした。紆余曲折あり、今は通信制高校に在学しています。
あの頃よりもいくらか楽に生きられるようになった反面、「あのとき逃げ出さなければ、もっと違う人生があったんじゃないか」と何度も何度も考えてしまいます。小さな頃から憧れていた、忙しくも充実した高校生活は今や影もなく、変わらず私のそばにあるのは後悔ばかり。同年代が仲良く下校している姿さえ、私には羨ましく映ります。もちろん全て私のせいですし、悔いたってもう遅いのは承知の上。
そして、口には出さないけれど、母親も私に期待しなくなりました。家にいてもどこか落ち着かず、いつもいつも、頭の中でぐるぐると自分を責める言葉がめぐります。どうして私は皆みたいに生きられないのか?輝かしい友達の姿にいくつ自分を重ねたでしょう。哀れで、どうしようもない自分が嫌いです。無理してでも全日制に行っておけば、母親も私のことについて周りに情けない思いをしなくても良かったんじゃないかと。(これは私への自己評価なので、通信制高校に通われている実際の生徒さんへ向けた言葉ではありません)
母親のことは好きです。でも私は愛してもらっていいような子供じゃない。

この文を読んでくださっているあなたは、”私”をどう思いますか?
私は私が醜くて気持ち悪いと思います。
こんなことを言っておいて、私は自分のした選択に後悔はしたくありませんし、正解であると思いたいです。これからもどうにかそう思って生きていきたい。

ふとした瞬間に、悪魔のようにやってきて、私の中に住みつく感情に振り回されながら今日も、社会生活から孤立したこの部屋で醜くしぶとく生きています。

感想1

うつ病になった原因やきっかけになったものが何だったのかなと気になりつつ、、、今は紆余曲折を経て通信制高校に通っているけど、「昔の自分の決定」と「それに伴う今の自分の状況」による揺れ動きや葛藤のようなものがあるのかなと文章を読ませて頂いて感じていました。
私自身は全日制だろうが、通信制だろうが、何なら不登校であろうが、それが「自分に合っていると自分自身でハッキリと思える」選択なのであれば何だっていいと思ってしまうのですが、「少し楽になった自分」を認識しつつ、その反面「逃げなければ…」と考えてしまうことは、投稿者さんの意思ももちろんあるかと思いますが、もしかしたら、「周囲と見比べた時に違う自分」、「社会から発信される人間像」のようなものに投稿者さんが影響を受けていた部分もあるように私には思えました。
もし仮にそういったものの影響を投稿者さんが受けていたとして、「母親も私に期待しなくなりました」とあるように、お母さんが投稿者さんにとった態度は加えて拍車をかけるものになってしまっていた部分もあるのかなぁと感じられました。
ですが、過去に選択した自分の決定がもたらしたもの(いくらか楽になった)と、その選択の後悔の狭間で投稿者さんが今もまだ考え続けているということは、うつ病に罹り不登校を経験しながらも抱えた不安やしんどさから目を背けずに、これまでも絶えずベストに近い選択を実直に考え続けてきたとも言えるように私には思えますし、どんな状況下においても考えること、選択することを怠らずに投稿者さん自身の中で「ここだけは譲れない」というものを模索し続けてきた結果であるようにも思えます。
「私は私が醜くて気持ち悪いと思います。」という表現が印象的でしたが、ありとあらゆることから逃げて生きてきた私からすれば、他の誰でもない自分自身から目を逸らさず、今もまだ考え抜くことを投げ出していないことを「逃げている」とは思いませんし、それを積み重ねてきて今を形作っている投稿者さんを醜いとは到底思えません。
「自分で考えて」「自分で選択して」「自分で決定した」ことはとても価値があるものだと思いますし、そこには「正解も不正解もない」と私自身は思いますが、これから先投稿者さんが考えこんでしてしまう場面があったとしても、少しでも「間違っていなかった、正解だった」と感じられるような瞬間が訪れてほしいと願っています。
投稿ありがとうございました。

感想2

読み終わって、タイトルにある通りの後悔する気持ちと、自分のした選択は間違いではないという気持ちの両方が、あなたに存在する手応えを私は感じています。そして、後悔する気持ちを想像・理解しようとする私がいると同時に、「その選択は正解だったと思う」と言い切ってしまいたい私がいます。

その選択は正解だったと私が思うのは、「自分のメンタルに従うのがそのときの最善なんだ」と、30年近く生きてきた経験から感じているからです。私がメンタルの限界から、一般的に「逃げ」や「甘え」と呼ばれるような選択をしたときは(例えば、私は中学で不登校になってその後学校に一切行っていません)、長期的に見るとその選択は良い方に働きました。逆にメンタルを無視して頑張り続けたときは、数年単位で人生を損なうほどにメンタルを崩し、今もその選択について後悔し続けています。

とはいえ、それはあくまで私の場合はですし、母親に対する引け目や申し訳なさ、憧れていたような高校生活が送れないことが、あなたにとってつらいことに変わりはないわけで…そのことについては、「後悔しない方がいいよ」などと言って、どうにかなるものではないとわかっています。
ただ、個人的には、親が子どもに期待するということ自体が、私は残酷なことだと思っています。子どもには子どもには(あなたにはあなたの)個性があり、人格があり、人生があります。誰しもが愛してもらっていい子供であり、愛されるべき子供で、そこに「親の理想の○○であれば」という条件がつくのはなんだか間違っていると思うのです。

「この文を読んでくださっているあなたは、”私”をどう思いますか?私は私が醜くて気持ち悪いと思います。」と、あなたは書いていました。私は、あなたのこの文章の続きに実は、「でも私は私でしかないと思う」という、あなたの答えもあるような気がしました。(あくまで私の感覚です)
とりあえず私としては、あなたのあなたとしての人生を応援したいです。

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