経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

死にたくないと思わないけど、生きる理由

「今すぐ死にたいけれど、母にもう悲しい思いをさせたくないからまだ死ねない。」
たぶん、物心ついた頃からずっとそう考えてきました。
生死について考えると
生きたくない、と思うことはあっても
死にたくない、と思うことはないので
酒の場なんかで辛いこと、大変なことを他人と愚痴りあっても
「命まで取られるわけじゃない」「死にゃあしないから大丈夫だ!」って答えで、そうだね!とスッキリできる友人や同僚に違和感を感じ続ける日々です。

私は仕事が大好きです。
学歴もなく、まともな職歴もない私を拾って
良い立場と人より多いお給料をくれる会社のことが大好きです。
ある日突然、今までに感じたことがないような体調不良や心の不調が現れ、主人の勧めもあり心療内科へ行き休職することとなりました。
管理職の仕事量や、中小企業の人員体制不備により過重なストレスや業務負担が私へかかっていたようでした。
(辛いことは多かったけど、ただ、楽しく頑張っていただけなのだけど…家族から見たら働きすぎだったようです)

心療内科に通い始めて、お医者さんとお話ししていく中で子供の頃や学生時代など若い頃のことを尋ねられました。
すると、どうやら私は幼少から18歳頃までの記憶がほとんどないということに気づきました。
悲しい記憶や辛い記憶は少し、楽しい記憶はほとんどなく、そのことから「もう少し、過去を探ってみる必要がある。病院へ来るきっかけは仕事によるストレスだったかもしれないけど、根本的に私自身の過去の体験やそれによる感情が、生きづらい原因かもしれない」という話になりました。

ここで私の記憶している18歳頃までの大まかな出来事を箇条書きで書いてみることにします。

・多胎児で生まれる
・14歳の頃に親が離婚
・その後すぐ、優しい反社のおじさんが家を出入りするようになる
(まもなく一緒に暮らすようになる。帰ってこない日もあったけど)
・高校へ入学、半年程で辞める
(担任が原因で揉めて辞めたような気はするけど、内容は覚えてない)
・16歳位の時、母がうつ病になり私と反社のおじさんの仲を疑い出す
(おじさんから一度だけ、こっそりキスされたことがあったなぁ)
・17歳の冬にスキー場のバイトで初めて家を離れて3か月暮らす
・18歳になってすぐ、スカウトに手配してもらい風俗店に勤務、同時に家を出て一人暮らしを始める
(家を出たあと、母の自殺未遂が2回くらいあったような…)

ざっくりこんなもんでしょうか。
あとは小学生ぐらいの頃から髪をたくさん抜いたり、壁に「死」とか死にたいって傷をつけたり、体に傷をつけたり
15歳から体を売ったり、どうでもいい人と付き合ってはすぐ別れたり。

話を一通り聞いたお医者さんは「とても複雑な経験をされてきましたね。治療方針もゆっくり考えながら、長期的に治療をすすめていきましょう」と言いました。

確かに、よくある話ではないと思うけど、私の中ではもう終わったことばかりなので
特に過去に苦しめられている、という感覚はありません。
(思い出すと悲しくなる時はありますけどね笑)

何が私を苦しめているのか、私にもわかりません。
でも、生きるのって大変でとっても苦しくないですか?
じゃあ何故、私はまだ生きているのか。
それは母の存在です。
私は母のことが本当に大好きです。
母は子供の頃に親を亡くしとても苦労し、私たちを育ててくれました。
特に楽しい記憶がなくても、心の深いところから母のことを愛しています。
なので、母の死を考えたときに
とてつもない悲しみと、安心が同時に押し寄せてきます。
失う悲しみと、解放される安心です。

天涯孤独で生きてきた母に「自分より先に娘が死ぬ」経験をさせたくないから、私は今日も生きながらえています。

私のために、誰かのために、まだまだ書きたいことはあるけれど、一旦この辺で終わりにしようと思います。
読んで下さった方がいるなら、ありがとうございました。

感想1

物心ついたときからずっと死にたいと思っていた…経験談の最初から幼少期になにかあったのかなと想定しながら読み進めました。断片的な記憶だけでも経験に質量を感じました。特に小学生以降は、潜在的な自分の存在に対する揺らぎや危機をいくつかの自傷的な行動で乗り越えてきたのかなと思いました。(これから主治医としっかり掘り下げてご自身の気づきや回復につなげていくところなので、余計な推察はこの辺にさせてください)
仕事は楽しさを感じる一方で承認されることによる充足感によって疲れや負担に麻痺していたのでしょうか。楽しさや充実感に遅れて体調不良がやってきたことはその表れかもしれません。
生きること…あなたと同じとは言いませんが、特に今の社会で生きていくことは本当に大変だし、理不尽なこともある、触れたくない、見たくない、耳にしたくないこともあると私は思います。自分の潜在的な土台(記憶や経験)にそれらが影響するとなおさら苦しくなります。
あなたとしては生きることと母親さんが密接に関係しているんですね。浅はかな推測かもしれませんが、育ててもらっただけではなくて自分のどこかを母親さんに重ね合わせて、母親さんに対して複雑な精神的つながりを感じているのかなと私は想像しました。それが悲しみと安心という言葉に集約されている様です。
友人や同僚には違和感を感じ続ける日々であるという感覚…私なりに経験談から感じ取りました。また死にトリに来てご自分のために率直に感じたことを言葉にして欲しいと思いました。
投稿ありがとうございました。

感想2

音楽には演歌、ブルース、クラシック、ポップなどの種類や曲調があるように文章にも私は文調?のようなものがあると思うのですが、あなたの経験談は重厚な内容をポップ調に、いやそこまでポップでもないのかもしれません、非常にナチュラルに読める文調で表現していると感じながら読みました。私もゴリゴリの社会派でお堅い内容をポップに自然体に表現するのが個人的には好きなので、親しみを感じたのかもしれません。
あなたの経験を垣間見て、子どもの時におかれた環境から、子どもなりの生存戦略として、無意識で自分で麻酔をかけるのが得意になってしまったというイメージをしています。麻酔というよりもおまじないや、魔法に近いのかもしれません。それが、最近の休職に至った経過をうかがって、体調不良という形で表現されたので、これまでの麻酔やおまじないの効果が薄れてきたのかな、言い換えると、少し安心できる環境になり、麻酔やおまじないをそろそろ手放してもいいかもとしれない状況なのかもしれないと想像しています(違っていたらすみません)。
そんなあなたが母の存在が唯一の生きる理由だということを明言しているのはちょっと意外に思いました。なぜなら、私自身が誰かの存在に生きる意味を見出すという感覚が全然持てないからです(私の方がちょっとおかしな人間なのかもしれません…苦笑)。あなたにとって、実存の母の存在がそれだけ特別なのか、それとも母があなたの中で何かを象徴する意味も含めて特別な存在なのか、それともどちらでもないのか…などと勝手に想像を巡らせています。
経験談を読んで、私はあなた自身は感覚を大切にする人のようが気がして、私が勝手に想像して言葉にしてしまうと、あなたの大切な感覚の世界を歪めてしまうような気持ちもあるのですが、イメージしたことを率直に伝えてみました。
病院につながったことをきっかけに、今まさに、自分の物語を紡ぎ直しているのだろうと思います。きっと、あなたなら自分のペースで必要な記憶を丁寧に思い出しながら、それを物語として組み上げていくように感じています。「まだまだ書きたいことがある」というフレーズからもそのイメージを強くしました。もしよかったら、また書いてもらいたいと思います。そして、続きを読みたいとシンプルに思いました。

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