経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

期待しないで

私が経験して率直に思ってきたことなので不快に思ったらすみません。多少被害妄想が入っているかもしれません。

 私がとても明るい性格から暗い性格に変わったのは小学5年生の時がきっかけだったと思います。人数の関係なのか、私が小学4年生の時に近くの小学校と合併しました。その影響で学級にいる同級生の数がとても増えました。それだけだったらまだ良かったのですが、合併した小学校にいじめっ子がいました。その子をAさんと書かせて頂きます。

 小学5年生になりクラス替えを終えました。新しい生活が始まると思い学校に行くと、そのAさんがいました。今思うと小学生にしては陰湿なのですが、私はAさんに目を付けられてしまいました。たまにクラスでグループを作る時がありました。遠足や修学旅行、班活動など、色々な決め事があったのですが、Aさんが根回ししていたらしくクラス全体でハブられてしまいました。先生にも余りに酷く見えたのか、
「これ以上○○ちゃんを入れないんだったら、先生が決めます。」
と言われる始末でした。その時期は本当に辛くて、いっその事死んだほうがマシだと思うこともありました。実際学校にいてもうわの空で、無意識にここから飛び降りれば消えれると常に思っていました。

 中学生になり少しは楽しい生活が出来るかもしれないと思いはしましたが、正直変わりないと思いました。私の地域では他の学校の人も遠くから通うようになります。その他の学校は悪い噂もあるらしく内心ヒヤッとしました。

 中学1年生になるとまたクラスが変わりました。そこではいわゆるカーストができました。その中でも一軍と呼ばれるような女子達がいて、リーダー格の子をBさんとします。Bさんは初日から私のことを睨んだり、調理実習の時なども、
「○○と同じ色の三角巾なんだけど!」
と大きな声で言ったり、私に酷い態度を取ってきました。私も何が気に食わなかったのか分かりませんが、とても萎縮して小学5年生の時のように戻ってしまいました。取り巻きの子達も冷たくクラスでも居場所がなくなりました。その時先生に部活動中呼び出され、
「○○さん虐められてるんじゃないの?」
と薄暗い階段できつい口調で言われたことが今でも印象に残っています。説教のように感じてしまい、より萎縮してしまいました。

 2年生の時はAさんBさんともクラスが分かれ比較的平穏な生活が送れました。しかし3年生になると状況が悪化しました。AさんBさんとクラスが同じになってしまい、更に仲の良かったた友達も私を避けるようになりました。親友も離れていき、他の子と仲良くしているのをよく見かけました。私はどうすればいいのか分からず、なんとか印象を良くするために努めました。その結果残ったものは、精神科通院・体重減少・人への恐怖・食欲不振などのマイナス要素でした。学校に行くことが怖くなり休む日も増え、死にたい生きたくないと思うようになりました。学校の先生も、
「○○の友達に積極的に誘うように言いましょうか?」
と電話が来たり、
「○○なら優秀だから大丈夫、心配ないな」
と変な期待もされていて辛いです。祖父母も、「○○は頭が良いから大学に行ったほうがいいよ」
と言われています。両親は私のやりたいことを応援してくれてはいますが、行きたい高校を言うと渋っています。

 私のことをしっかりと見てくれる人はいるのでしょうか。私はいなくなったほうがいいのでしょうか。辛いです。私のこと期待しないで。期待に応えられなかったらどうするの?幻滅されてしまうのでしょうか。いっその事消えてしまいたいです。周りの人に相談しても被害妄想という一言で済まされてしまいます。両親からは、
「障害持ちなんだよ、きっと」
「○○はグレーゾーンだから」
と言われてきて、私もそう思います。しかし弟もADHD持ちなのですが、そう言われたことを見たことがありません。何故私だけそう言われているのでしょうか。私が可笑しいのでしょうか。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。まず、投稿者さんが経験して素直に思ったことが書かれているのだとは思いますが私は不快には思いませんでした。むしろ、書いている途中で気持ちが苦しくなったりしていないかな?など色々考えながら読ませてもらいました。小学校5年生からの出来事は、読んでいるだけでも周囲の言動には許せない気持ちになりましたし、私自身も学生自体に似たようなことを同級生からされたことがあるので、当時を思い出し胸が詰まるような感覚になりました。特別、自分がなにかしたわけではないのにただちょっと気に食わないからとか目を付けられてしまうのは本当に理不尽だなと感じますし、「いっその事死んだほうがマシだと思うこともありました。」と投稿者さんが思ってしまうほど追い詰める状況が、学生のうちは見えている世界が学校と家くらいしかない中であまりに残酷であることをもっと身近にいる大人が理解しないといけないことなのではないかと投稿者さん以外にも、いじめの経験がある人たちのお話を聞いて思うことです。
タイトルにも文章中も出てくる「期待しないで」という言葉に込められた思いが私には切実に感じられ、本当は今の自分の状態を理解してほしいのにそれが叶わない辛さが強くあることと思います。きっと学校にいても家にいても心が休まることはないでしょうし、むしろどこにいても周囲の様子をうかがい、かなり気を張り詰めて過ごしているのではないでしょうか。そういった状況の中で書かれている周囲の大人からの反応を考えると、本当の思いや考えなんて言えないだろうと思いました。もし、ここに書いてくれたように投稿者さんの中にある気持ちを外に出すということが、多少でも心が楽になるのでしたら匿名で相談ができるSNS相談などもあるのでそういった場を活用してみるのもありなのではないかなと思っています。
投稿者さんの身近にいる大人たちの言動は悪意がないことなのかもしれませんが、だからこそたちの悪さを私は感じてしまいましたが残念なことにそういった大人が結構存在しているというのが現状で、そして子どもはそこに逆らうというのは難しいことのほうが多いです。なので容易ではないことは承知の上ではあるのですが、この先投稿者さんが周囲の期待に応えようと頑張らなくても良い状況になることを勝手ながら願っています。また、投稿者さんが死にトリを必要に感じた時はいつでも参加してくださいね。

感想2

投稿ありがとうございます。これまでの学校での出来事を読んで、その中で日中の多くの時間を過ごさなければいけないのはとても大変なことだと思いました。そこにい続けることが困難なのにその状況が好転するとも思えず、しかも行かないでいることも難しいと感じていれば、「いっその事死んだほうがマシ」と思うことはその時のあなたに唯一できる想像だったのではないかと思いました。
いじめの状況を変えてくれる人もいなかったし、中学生になってからは先生に指摘されたけれど、「薄暗い階段できつい口調で言われた」ことでかえって萎縮したことが書かれていて、あなたの助けになるものではなかったのだと思いました。その先生がどういう意図で、どういうメッセージを発したくてそうしたのか(そういう発信になってしまったのか)、私にはわかりませんが、もしその人がいじめを無視したいとは思っていなくても、その状況を変えることにつながらなかったり、むしろ状況を追い詰めてしまったりということはあるのかなとも思いました。
3年生になってからはさらに状況が悪化してしまったということで(これを送ってくださった今中学3年生なのかなと思って読んでいます)、今もつらいことが続いているのかなと思います。
私は大人の今になってみると、学校は全てではなかったな…と思うのですが、中学生の頃は学校以外の場所はほとんど家くらいしか知らないし、学校でつらいと生活のすべてがつらくなってしまうということは無理もないと思います。私は学校には別に行かなくてもいいと思いますし、実際中学生の頃には行っていなかった時期もわりとありました。
もちろん、学校に行くことで学べることもあるとは思いますが、それは死にたいほど苦しめられながらでも果たさなければいけないものではないと思います。
「期待しないで」というタイトルを踏まえてこの経験談を読んで、あなたはもうかなり疲れてへとへとなのに、なにをするか、どうするか、どうできるかという話を続けられても余計に疲れてしまうのかなと想像しました。もしかすると周りの大人は今のあなたのことを心配したり、あなたにとっていい状態になることを願っているのかなとも思うのですが、心配も願いも相手(あなた)の気持ちや状況やあり方を優先することができなければ押し付けになってしまうのだと思います。そうではなくて、今の自分の状態に寄り添って、ゆっくりじっくり関わり続けられる関係をあなたは求めているのかなぁと思います。
最後に、私はADHDの診断をされている大人で、たしかに自分は多数派とは考え方や感じ方が結構違うなぁと思います。でも違うことは悪いことではないしダメなことでもないと私は強く主張したいです。あなたがもし多数派と違う性質を持っていたとしても、それがあるからなにかを諦めたりする必要はないし、なにかを軽視されたりすることはあってはならないと思います。「被害妄想」という言葉からは、あなたが切実に感じていることを軽視するようなニュアンスを感じ、個人的には気になりました。
自分が知らないことを他者が感じていることや考えていることに気づくのは、だれでも、大人でも簡単ではないのかもしれません。だからそれが軽視という形で現れてしまうこともあるのかもしれません。そうならないためには、いろんなことを感じて困ったり苦しんだりしている人がいることを知り続ける必要があるのかなとも思います。それは人のことを知ることにもつながるし、自分のことを知ることにもつながる気がします。
私は死にトリもそういう色々な「人」を知る場所のひとつだと思っています。その場所であなたの経験談を読ませてもらえたことも嬉しいです。もし気が向いたらまたアクセスしてみてください。

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