経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

違う世界に行きたい

毎秒毎分、色んなしんどさを感じていて、その度に落ち込み、打ちひしがれては、立ち上がりたくて本を読んでみたり、自分の中で分析をしてみたりしているのに、いざ文章にしてみると何を書いたら私の心のうちが的確に表現出来るのか分からない。
大雑把に表すなら、家族の仲も良い。職場の環境も良い。少ないながら友達も、恋人もいる。でも蓋を開けてみたら。
家族は幼少の頃から母子家庭、母と妹の仲は昔から良く、長女の私は父とよくいたが、それも1人になった。母は私の話を聞いているようで聞いてない。虐待を受けていたせいかアダルトチルドレンっぽい所もあるし、妹も面倒くさがりで自己中心的。私はこの自由な2人を支えなきゃいけない立場にある。もちろん私が2人に助けられることもあるけど、私の孤独に気付いてくれたことは一度もない。「死にたい」「消えたい」って本音を、「産んだ親の前で言うな」とそれっぽい理由で押さえ付けてくるので、見て見ぬふりをしてるようにも思う。何気ない雑談や話に加わろうとすると、無視されることもある。
だからといって、2人を攻めて自分を絶対正義にしようとは思わない。2人だって色んな苦労、色んな思いをしているのは分かっているし、お互い様な所だってあると思う。ただ、私がこの家での孤独を拭えない。居場所だと思えない。ただそれだけ。
仕事は接客業だが、他の接客業に比べてお客さんとの距離がより近い接客業。尊敬できる先輩にも巡り会えて、多くの人と会う場所柄、違う価値観にも出逢えた。でも自分にピタリと当てはまる考え方、分かってくれる人に会えたとは思っていない。一人一人違うのだから当たり前だとも思うけど。
先輩もお客さんも、自分より2回りは年上の人が大半なので、「そうじゃない」「それは違う」と否定することも出来ない。無言の「あなたはまだ若いから」という蔑みと無理解、無遠慮に晒されながら、「人生の先輩方」にない知識とフィーリングを使って歩み寄らなきゃいけない。一歩間違えれば平気で無視が待ってる冷たい社会で、自分の機嫌の取り方を知らない、疲れた大人たちの機嫌を取らなきゃいけない。
もちろん、相手がこちらに配慮してくれてることだってあるのは分かってる。ただ、人間が作った各個人で不確かでブレブレな「社会のルール」に則って生きなきゃいけない、「失敗しても良いよ」と言いつつ許してくれない冷たい世界で生きていくのに疲れた。
学生時代と比較すると、軽いながら病気もたくさんするようになった。調べると大体の症状の原因がストレスなので本当に笑ってしまう。
今は現在形で気管支炎に悩まされてるけど、熱がなく、かつ人手不足で、裕福でもないので仕事を休む訳にもいかず、思わず咳き込んでしまおうものならもうパニック。「近くで咳き込んでしまって申し訳ありません」と謝ったら無視された経験は正直症状よりも心の方が辛かった。ご時世的に理解は出来るけど、正直そんなにかと思った。こうして書いてみると、家でも職場でも無視されてるんだなと気付く。都合が良くて、気軽に軽視出来る存在の私。でも全てを人のせいにしたくないとも思う自分がいる。ああ生きづらい。
細かく砕けばもっと色んな思いがあるけれど、日々こんなに細々と複雑な思いを渦巻かせてることを自覚すると、そりゃ疲れるわとも思ってしまう。
何でこんなに複雑な思いをしなきゃいけないのだろう。もっとシンプルで優しい世界に行きたい。ここじゃないどこかに行きたい。ここにいなきゃいけないなら消えてしまいたい。死ぬ勇気はないくせに、生きていたくもない。
大金も、贅沢な暮らしも、大きな幸せも何もいらないから、もっと優しい世界に行きたい。

感想1

文章の中に一歩引いて自分の周囲や世の中を見ている投稿者さんのまなざしを感じました。「毎秒毎分、色んなしんどさを感じていて、その度に落ち込み、打ちひしがれては、立ち上がりたくて本を読んでみたり、自分の中で分析をしてみたりしているのに、いざ文章にしてみると何を書いたら私の心のうちが的確に表現出来るのか分からない。」という冒頭の文章からも、自分自身も含め客観的に理解しようとし続けてきたのだろうなと思いました。
また、自分の状況や周りの状況を理解するために、色々な情報を得ようとしてきてもいるのだろうと思いました。
だからこそ、自分の「なま」の「落ち込み」「打ちひしがれ」ているときの感情や感覚を表現することがかえってむずかしいということもあるのかもしれません。(それが悪いということでは全くありません)

きっと投稿者さんは言葉を扱うのが得意な方だと思うので、逆に、言葉以外の方法で表現することを試してみるのもいいのかもしれない…と思いました。思いつきでしかないですが…たとえば絵の具を使うとか、言葉でも、習字をしてみるとか。私の場合は利き手じゃない手で殴り書きで日記を書くだけでも感情を少し出しやすいと感じたことがあります。

投稿者さんが行きたいと書いていた「優しい世界」のように、投稿者さんは他の人に優しくあろうと日々気をつけているのかなと想像しました。でも周りの人が心の機微をよく理解する人であることは多くなく、消耗してしまうことも多そうだと思いました。

「でも自分にピタリと当てはまる考え方、分かってくれる人に会えたとは思っていない。」という部分を読んで、私も、似た感覚でだれかを探しているかもしれない…と思いました。私もながらく考え方や感じ方の似ている人を探し続けている気がします。でも、なかなかリアルな周囲の人々の中でそれを探し出すのもむずかしくて、私の場合は本や映画、ドラマなどの中に、そういう「誰か」を見つけようとしています。その誰かは私に直接言葉をかけてくれるわけではないのですが、世界を超えて共感できるだけで、ちょっと安心した気持ちになれることがあります。

「ただ、人間が作った各個人で不確かでブレブレな「社会のルール」に則って生きなきゃいけない、「失敗しても良いよ」と言いつつ許してくれない冷たい世界で生きていくのに疲れた。」という表現がとても的確だなぁと思いました。
投稿者さんは日々いろいろなことを感じ取って、またそれに合わせる力があるのだと思います。投稿者さんのいる「ここ」で、自分の感じていることを押し殺す以外に、その場でのルールや常識などと呼ばれるものに則って生きるやり方がみつからず、「ここじゃないどこかに行きたい。ここにいなきゃいけないなら消えてしまいたい。」と感じているのかもしれないと思いました。
私はブレブレな社会の「こうすべき」「こうでなければいけない」を守る必要って本当にあるの?とも思います。
社会という言葉もどのコミュニティをさすのか曖昧な言葉ですが、それぞれのコミュニティによっても、またそれを受け取った個人によっても、「こうすべき」は違っているんだなと思います。
私は日本以外の国に住んだことはないですが、海外だとさらに違うだろうと思いますし、日本国内でも、いろんなローカルな「こうすべき」があるなと思います。また、その時々の状況で、同じコミュニティ・場所でもルールや常識は変わることがあります。
死にトリの経験談でさまざまな方の感じていることを読んでいると、世の中の常識(ということになっているもの)への疑問がどんどん私の中に募っていきます。そして、そういうものと関係なく、自分を酷使せず、一人一人の人がやりたいこと、落ち着くこと、心地いいと感じることを見つけられたらいいのになぁと思います。
投稿者さんにとってなにか頑張らなくても楽しめること、あるいは例えば触れていると安心できるもの…などはありますか?
そういうものはもちろんこの世の中にあるものですが、「優しい世界」にほんの少しだけ接続しているのではないかとも思いました。
投稿者さんの書いている「優しい世界」について、あるいはこの世の中について、投稿者さんと話してみたいと思いました。

感想2

 日々、色んな考えや感情が頭の中を駆け巡っていて、1日の終わりはどっと疲れることが多いのかな…と私は想像をしていました。
 「何を書いたら私の心のうちが的確に表現出来るのか分からない。」「都合が良くて、気軽に軽視出来る存在の私。でも全てを人のせいにしたくないとも思う自分がいる。」という部分を読んで、あなたは何が事実なのかを限りなく正確に捉えようとしていらっしゃる方なのかな…と私は想像しました。(私の想像なので、違っていたらすみません。)
 私もよく、「自分の存在が軽視されている。」と感じることが非常に多いです。まず最初は軽視する相手を心の中で非難するのですが、次第に「そもそも私に問題があるのではないか?」と考えるようになります。これは私の思考が偏っているかもしれない可能性を踏まえて、私に問題があるかもしれないことも視野にいれます。なるべく正確に、事実を捉えたいと思うのです。(しかし私の場合、自責思考と白黒思考があるので、そういった考えになりやすいのですが…。)正確に事実を捉えようとすればするほど、深く考え込んでしまい、よく私は脳疲労を起こしてしまいます。この私の経験から、あなたももしかして似ている部分があったりするのかな….?と思った次第でした。
 また、家や職場などであなたはよく気遣い・気配りをし、空気を読んでご自身の役割を果たしていらっしゃるように私からは見えました。そのため、あなたの「軸」が自分ではなく、他人にある時があるのかな?と私は思いました。もしそうだとすると、あなたのご家族は自分に「軸」があるのかもしれません。(自由で自己中心的とありましたので)以前、「軸」がどこにあるか違うもの同士だと、それは異文化交流になってしまい、難しさがあると耳にしたことがあります。そのため、そういったことがあなたの家での「孤独感」に繋がっていたりしたのかなと、私は推測しました。
 こういったことから、日々感じ取るものが多く、その上で深く考えることが出来たり、他人への想像を働かせることが出来るあなたの「力」が、ご自身を苦しめている方向へ働いているような感じが私にはしました。例えるなら、視力が良過ぎるために様々なことが見えてしまうので、視力を下げるための眼鏡が必要な状態、という感じでしょうか。(これがあなたの仰る「シンプル」ということであったりするのでしょうか。)
 この社会は視力が普通の人や悪い人(鈍感な人)で回っているような感じがする時が、私にはあります。生きにくい社会だなと思いつつ、生きづらいということを発信していかなくてはならないと私は思っています。今回あなたが経験談に投稿してくださったことは、生きづらさの大事な発信だと思っています。投稿して下さって、ありがとうございました。あなたと「シンプルで優しい世界」とはどんな世界か?実現する為にはどうしたらよいか?一度お話ししてみたいです。

お返事1

あれから色々あり、文章に向き合うのが辛くなって、ご返信が遅れてしまい申し訳ございません。
ご感想いただき、本当にありがとうございます!

ご感想の中で仰って頂いている通り、私はまず状況を客観的に理解しようとし、文章化して形を作ろうとして、自分が奈落に落ちていかないように踏み留まろうとする傾向があるのかもしれないです。一旦泥沼に沈んで、もうめちゃくちゃになって叫び出したくなるような時もありますが、自分自身も間違いを犯したり、誰かを傷つけたり、不完全な部分があるのだと思うと、自分を棚に上げて喚き散らすことがどうしても躊躇われます。だからこそ、アドバイスいただいたような、言葉以外の方法で表現するというやり方をやってみるのも良いかもしれないと思いました。
また、自分の軸が無意識に他者の方向になっていることも、感想を拝見して気づけた気がします。「自分中心」ってどうやるんだろう、自分勝手とどう区別をつけたら良いんだろうという疑問や追求は、日々尽きません。
こんなに遅くの返信の後で誠に恐縮なのですが、宜しければ私も皆さんとぜひお話をさせていただきたいし、お聞かせいただきたいです。
こんなに丁寧に私の独白を聞き、感想を下さり、感謝の念が尽きません。

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