経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

歳をとるほどに感じる自分の未熟さ

21歳です。初めて投稿します。読みにくいと思います。すみません。

初めて死にたいと考えたのは、周りの友達にハブかれた小学6年生の時です。その時は反抗期もあり、家族に少し冷たくしていたような気がします。そのためか、家族といとこと旅行に行った時もいとこには、これいるあれいる?など優しくしていたのですが、私には何も聞いてきませんでした。そのときに私がいなくても家族は成り立なんだと考え、余計に死にたくなりました。そこから何度も思っていましたが、最近小学6年生の頃と同じような強さの死にたいと言う負の感情が出てきました。
私は小中学生の時は自分で言うのも難ですが、勉強ができるほうで、字もそれなりに上手く、賞などを取っていました。そしてそれなりに褒められてきたと思います。しかし高校に上がり、専門学校にいき、、など成長するたびに、自分の能力は大した物ではない、字だって大人になればみんなそれなりに上手くなり、私の頭や字のうまさは目立たなくなっていきました。いい子で育てやすい、真面目と言われてきた私ですが、19歳の時に彼氏と別れてから、たくさんの男の人と遊び呆け、そして今年には専門学校もさまざまな思いが重なり辞めてしまいました。両親や周りの人には驚きと落胆があると思います。きっと私には期待していたと思います。しかし、本当の私はそんなにできた人ではありませんでした。去年から付き合っている今の彼氏には、遊んでいたことやお金の使い方などでかなり叱られています。学んで直せば良いもののそれが難しく何度も叱られます。その度に、どうしてできないんだろう、私は周りとは違う、昔と比べると落ちこぼれだと考え、本当にいなくなりたい気持ちで正気でいられなくなります。そんなメンヘラのような自分も嫌になります。
このせいで、とは思いませんが、両親は7歳の頃に離婚しておりパパは私のことを捨てたんだと思っていた時期があります。新しい父親はすぐにきました。新しい父親とは現在でも友達のような関係だと思っています。育てられてきたのに失礼ですが、いわゆる父親に対して頼るのは難しいし、父という存在に愛されてきたなあなんて思ったこともないので、友達の父親がとても娘想いでその友達もパパは私のこと大好きだから!と自慢げに言っているのを見て、私にはなにか欠けているものがあるのかもと思ったりもしました。でも今の父親はよくしてくれているし、悪い人ではありません。感謝もしています。

なにを言いたいのかわからなくなってきてしまいました。
未熟さについてでした。私は、自分の考えや行動などが理想と違いすぎて嫌になってしまいます。
たとえば、お金の管理もできて彼氏も友達も家族も仕事も両立する自分。健康管理ができて痩せて可愛い自分。努力してやるべきことをしっかりとこなし、褒められている自分。これが理想です。
でも現実は、お金の管理も人間関係の両立も下手くそです。そして仕事もミスが多かったりうっかりしてたりします。お財布やスマホなどの大事な物も駅やコンビニに置いてきてみんなに迷惑をかけます。痩せたいのに食べてしまって太ってしまいます。やるべきことをやらないで彼氏と会ってしまったりして、周りの人に怒られます。
こんな感じでギャップというか、自分があまりにもできて無さすぎて、全て投げ出したくなってしまいます。ここで、奮い立たせて頑張るぞ!って頑張れたらいいですよね。でもこうやってネガティブに落ちていってしまいます。
なんだか本当に昔の自分が嘘みたいに、今の自分はダメダメです。もっと努力して、褒められたいです。自慢の娘になりたいです。自慢の彼女になりたいです。でも、それが私にとっては難しいという、悲しい現実があって、そんなことならもういなくなってしまいたいです。

言いたいことがバラバラになってしまってごめんなさい。呼んでくれたら嬉しいです。

感想1

小6の時の学校での出来事を始め、家庭内でも自分の存在を認められないことや必要とされていないと感じたことがきっかけで、何をしてもずっと満たされなさや虚しさなどを抱きながら過ごしてきたのではないかなと想像していました。理想と現実のギャップに苦しんでいる姿が浮かんできて、どうしたらその苦しさから解放されるのかと自分含めそのギャップで苦しんでいる人がいるのは確かなことなのでいつも考えてしまいます。ただ、もちろん例外はあるかもしれませんが、苦しめているのもそれを解放できるのも自分自身であるのではないかなと私は思ったりもします。投稿者さんが感じている未熟さや他の人と比べてできないことというのは、社会全体が能力によって人の価値を評価し判断する風潮があってそれが多くの人の価値観として根付いていることが大きく影響しているのではないかなと私は感じます。なので投稿者さんがそう感じてしまうのは自然なことだと思うと同時に、どうして自分の価値を能力の良し悪しで決められなければならないのか疑問に思いますし、それこそが生きづらい人たちをたくさん生み出している要因の一つだとも思ってしまいます。
投稿者さんにとって理想の自分は、本当に自分がなりたい姿なのか少し気になりました。何となく、周囲(世の中)が求める自分像にならなければと思ってしまっている節もあるのではないかなと勝手ながら感じてしまい(全然違っていたらすみません)、そのために努力することや自分を奮い立たせることは負担も大きいのではないでしょうか。そう簡単なことではないかとは思うのですが、まずは少しでもそのままの自分を自分で受け入れることや周囲のためではなく自分のためにできそうなことを考えてみることが必要なのかもしれないなと私は思うのでした。(あくまで私が感じたことで強制ではないですよ。押し付けがましく感じてしまったらすみません)
生きていく上で感じる難しさを一人で抱え乗り越えていくのは酷なことですし、迷ったり判断に困った時は一緒に考えられたらなと私は思いますし、良ければまたこうして投稿者さんの思いや考えを死にトリに届けてほしいです。死にトリには経験談の他にも様々なコンテンツがあるので投稿者さんなりにうまく活用してほしいなとも感じます。いつでも参加してくださいね。お待ちしています。経験談の投稿ありがとうございました。

感想2

理想と現実のギャップがあって、頑張りたいのにうまくコントロールできない自分にがっかりする気持ちがあるのかなと想像しました。
勉強ができることや、字が上手に書けること、それからお金の管理ができることや物事を両立できること。それらは投稿者さんにとっていいことで、「メンヘラのよう」なこととか、「ミスをすること」などは悪いことなのかなと思いました。

「もっと努力して、褒められたいです。自慢の娘になりたいです。自慢の彼女になりたいです。でも、それが私にとっては難しいという、悲しい現実があって、そんなことならもういなくなってしまいたいです。」という文章が印象的でした。逆にいうと、投稿者さんの中には、努力をしていない自分、うまくできない自分は認めてもらえないという思いがあるのかな?と想像しました。
死にトリには「つらチェック」というコンテンツがありますが、使ってみたことはありますか?このツールは、私たちの中にある理想と現実を可視化することで、「社会が私たちの中に内在化させたものを取り出して、見つめなおす」ことをひとつの目的として作られています。よかったら使ってみてください。

また、私は人が未熟であるのは当然のことで、それが悪いことではないと思います。成熟していくとは、正しい人間像に向かっていくということというより、それぞれの人がそれぞれらしく生きるために、少しずつ成長していくということなのではないかと思っています。
それよりも、私は人をできること、できないことで判断してしまう世の中こそ「未熟」で、成長すべきなのではないかと思っています。
能力が高い方がいい、できることが多い方がいい、という考え方は能力主義と呼ばれます。また、「○○ができないのは本人のせいだ」という考え方は自己責任論といったりします。どちらもこの世の中にまん延している考え方ですが、私はどちらも行き過ぎていて、人を窮屈にしていると思います。
…とは言っても、投稿者さんの褒められたい、自慢の存在になりたいと思う心も事実で、それを否定する必要もないと思います。(私も、思い通りに自分をコントロールできなくて絶望的な気持ちになることがあります)
ただ、一方で「期待に応えたい」という気持ちをモチベーションにし続けるのはしんどいことも多いかなと思います。それとはべつに、投稿者さんが好きなことや、評価とはあまり関係なく楽しいこと、やってみたいことなどはありますか? もしかすると、それも生活の中で大事な要素なのかもしれないと想像しました。すぐには思いつかないかもしれませんが、なにかあれば、よかったら聞いてみたいです。

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