経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

痛い

それを『地獄の痛み』と呼んでいる。

やつは突然くる。一度きたら、もう眠れない。痛み止めは効けばラッキー。耐えて、耐えて、死にそうになりながら耐えて、布団の中で涙をこぼしながら、このまま本当に死ねたら楽になるのかも、なんて考えたりする。
神経を切り裂かれてるみたい。あるいは焼かれてるか、すり潰されてるか。
医者に行けば応急処置はしてもらえるけれど、根本的な解決にはならない。だってこれは治らない。小康状態と発作を繰り返すだけで治らない。

他人には言えない。全部自分のせいだから。これはいわゆる『よくない生活』によって引き起こされる。たとえていうなら、『たばこを吸う』と『肺がん』がイコールで結ばれているようなもの。
他人はみんな言う。「そんなにたばこばかり吸ってたら肺がんになるよ」って。それで肺がんになったら、「たばこをやめなかった自業自得だ」って。だから言えない。

30代。若くはない。でも、これを患うには世間一般的に見てあまりにも若すぎる。
命を脅かされる疾患ならばまだ同情されて溜飲も下がったかもしれない。でも生憎と命には関わらない。そのことが余計につらさを増幅させている。命に関わらないから、軽く見られる。他人から見ればわたしはただのきちんとしていなくて、健康に無頓着で、自分のケアも満足にできなかった残念な人間にすぎない。
「まだ若いのにねえ」なんて言われたくない。
「どうしてそんなことになっちゃったの?」なんて、わたしが一番聞きたかった。

順風満帆な人生だった。
親から虐待なんてされたこともなく、いじめにあったこともなく、パワハラやセクハラの被害にもあったことがない。
友だちとの交流もあるし、趣味もある。気ままに旅行するだけの自由も体力もある。
でも、そこに、『地獄の痛み』もあるのだ。それだけでは脳裏に『死』の一文字がよぎるのに不十分だろうか。

貯金が徐々に減っている。わたしの症状はもう、高価な薬を使ってもらわないとおさまらない。いつまた小康状態に戻ってくれるかはわからない。先が見えないのだ。いや、見える先なんて元からない。だってこれは治らないのだ。
今も痛い。ずっと痛い。医者からは遠回しに「ちゃんとした生活をしてなかった自分が悪いでしょ」と言われた。痛みを訴えて苦しんでる患者にそういうこと言う?もはや怒る気にもなれなかった。まあ、正論だし。

痛みから逃げたくて、いつ死ねるか、とばかり考えてしまう。
『好きなときに死ねる権利』あるいは『どんな疾患もたちまち治す薬』、どちらかが手に入れば、すこしは楽になるだろうか。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。痛みによる耐え難いほどの苦しみ、そしてそれがなくなる未来を描けない苦しみが切実に書かれた経験談だと感じました。死に安らぎを求めるほどの「地獄の痛み」があなたの生活をどれだけ苦しめているのだろう、と想像しながら読みました。
個人的には「自業自得」という言葉は、あなたが医師に言われたという「ちゃんとした生活をしてなかった自分が悪いでしょ」という言葉は、実際のところ真実ではないことが多い、というか、責任の問題はどこか一つに帰結できることは世の中にほぼないと思っています。また人の行動は自由意志のように見えても、実際にはその人の偶然の体質や育った環境や社会における教育などに左右される面がかなり大きいのに、それが見逃されている場合がほとんどだと思います。でも、それが結局なにによるものだとしても、あなたが抱える痛みの辛さが変わるというわけではないですもんね…。
この経験談も痛みを感じながら書いていたのかなと思います。痛みは絶対値的なものというよりは、痛みの刺激そのものとそれを感じ取る部分の掛け算のようなところがあるとは思いますが、そうだとしても痛みがあるときに痛みを消すことは難しいのだと思います。
あなたが抱える痛みと比べられるものではないかもしれませんが、私も体の痛みが強くて何日もうまく眠れない日が続いたことがあります。その時は痛み以外のことを考えることができなくなってしまって悪循環だったことを覚えています。
意識をそらすのも簡単ではないかもしれませんが、人間に備わる機能として、フォーカスしたものを強く、それ以外を相対的に弱く感じるようにできているようなので、せめて少しでも、あなたが気持ちよく感じられること、見たり聞いたりして楽しめるもの、簡単に取り組める趣味などがあればいいなと思いました。

感想2

投稿ありがとうございます。
順調に生活している日常に突然強烈な痛みが訪れる…不摂生…ここまでなら私が2度経験した痛風の発作症状を思い浮かべましたが、どうもそんなレベルの話ではないようですね。
切り裂かれ、焼かれ、すり潰される…地獄の痛みと表現され、死もよぎるくらいですから、のたうち回るような相当な痛みなのでしょう。私の身近にも全身が痛い病を患っているひとがいますが、本当に外から見ていると全然わからないので「どんな痛みなの?」と聞くとペンチでギリギリ思い切りつねられている感じ…とか色んな表現で教えてくれて「それは痛いわ…」と思います。それを聞いてみても「痛み」も「辛さ」もひとりひとりが感じる確かな感覚であって他人とはぜんぜん比べられないものだと私は思っています。
死もよぎるのは、強烈な痛みもさることながら、これからもその痛みを伴って生きていかなければならないという現実に向き合うしんどさがその理由なのかなと想像しました。さらに地獄の痛みを軽く見られる周囲の無理解がそれに輪をかけているようです。私が痛風になった時でさえ、「体質もあるけど自己管理が…」というメッセージを向けられました。
経験談も痛みのなかで書いてくれていたんですね。書きながら痛みに折り合いをつけているようにも見えました。
この感想を読む頃は小康状態でしょうか…痛みが小康状態のときは、生きるということに対するイメージや現実的な活動範囲は少し違うのでしょうかね。そういうときは痛みを乗り越えながら生きていくことにどのような心持ちで向き合っているのか、もしくはあまり考えないようにしているのか知りたいと思いました。
“権利や薬”はなかなか無いと思いますが、「時間」ならありそうです。気持ちを少し和らげたり、意識を少しやり過ごす「時間」はこういったやり取りのなかで得られるかもしれません。痛みとストレスはつながっているとも聞きますから、死にトリにまた気持ちを置きに来てもらいたいです。

お返事1

こんにちは。
ご多忙のなか経験談をお読みくださり、また感想をありがとうございます。
お陰さまで、現在は小康状態です。
経験談は痛みに耐えながら衝動的に書き連ねて投稿したものですが、小康状態の今あらためて自身の書いたものを読み、いただいた感想を読み、わたしは自分が匿名のだれかの寄り添いを必要としていたのだと理解しました。
経験談にも書いた通り、わたしには友人がいます。わたしの疾患に理解もあり、決して「ちゃんとしてなかったからそうなったんだ」なんて言いません。でも、それは友人だからです。わたしは知らない誰かからの「ちゃんとしてなかった」のレッテルに怯えていました。そんなものに怯える必要なんてないと頭ではわかっているのに、どうしようもありませんでした。
だから、匿名のだれかからの理解が必要でした。ただわたしの痛みを生きづらさとして受け止めてくれる言葉が必要でした。
今は確かに痛みは落ち着いています。でも、またいつやってくるかわからない不安、この先もずっと付き合っていかなければならないしんどさ、それは変わりません。それでも、お二方が病名すら明かそうとしないわたしの経験談をありのまま受け止めてくださったことは、わたしが必要としていたことそのものでした。
(病名はまだ、打ち明けるには勇気がいります。すみません)
経験談はぜひ掲載してください。わたしがネットをさまよって死にトリにたどり着いたとき、わたしの「死にたい」はほかの方々の「死にたい」とすこしズレているような気がしました。ほかの方々はもっと壮絶な過去や現在を経験していて、ただ身体的痛みから逃れたいだけの自分がとても矮小な存在に思えました。
でも、もし、わたしと同じような人がほかにもいるとしたら、わたしの経験談を掲載してもらえたら、そんな方々と生きづらさの共有ができる気がします。
最後に、お二方も身体の痛みや痛風の症状があること、またご友人にもご病気の方がおられるとのこと、さぞおつらいことかと思います。すこしでも症状が良くなるよう、お祈り申し上げます。

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