経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

根なし草

私は、ずっと落ちこぼれだった。
何か能力があれば才能があればといろいろと手を付けてきた。
他の人は難なくこなせることを私は苦労してもできない。
子どものころから周囲とまともな関係を築けず、孤独になることを選んできた。
周囲に人がいることが気になって仕方なく、縮こまってきた。
誰と一緒にいてもしんどい。
自分の本当の望みは何だろうと分からず彷徨う。
夢中になれる物もない。
もっと明るくて、活発で優しくて、仕事もできて、人に好かれる。
そんな姿からは程遠い。
意識すればするほど遠ざかっていく。
本当の自分はどこにいるのだろう。
良い所はないのだろうか。
恥じない姿はないのだろうか。
死ぬまで落ちこぼれなのだろうか。
内向型なのは間違いない。
外からの刺激に打ちのめされ、のたうち回る。
気が狂う。
人からは純粋といわれる。
他の人は純粋ではないのか?
純粋な人は生きられないの?
お金を稼がなくては生活できない。
どの企業に入っても、周りよりも見劣りする。
誰でも得意なこと合うこと、必要とされる場所があるという。
どこを探せば見つかるのだろうか。
見落としたのか、通り過ぎたのか。見えないだけなのか。
私はこの世に生まれてきても、何も見い出せず、何も分からない。
ずっと靄がかかっていて、どこに向かえばしあわせを掴むことが出来るのだろう。
どこに進めば出口にたどり着けるのだろう。
ずっと暗闇の中にいて、深い闇に呑まれて、浮かび上がることが出来ない。
もっと上手く波に乗れたら良いのに。
いろいろと考えて答えを出したあげくの結果はいつも裏目に出てしまう。
考えすぎるからか、方向が間違っているからか。
思慮しているつもりでも、梯子を外されてしまう。
渡ることもできず、後ろに下がることもできず、沼に沈んでいく。
じたばたしながら堕ちていく。
この世に生を受けても、何の意味もなかった。
無駄な人生だった。使命があったとしても果たせそうにない。
温かい光に包まれて、心から笑顔になれる日は訪れるのだろうか。
長々と書き連ねてしまってごめんなさい。

感想1

経験談は短文でつづられていて、淀みなく言葉がでてきた印象を受けたので、生きてきた中で社会が求めるものに繰り返し圧倒されてきたこれまでだったのかなと想像しつつ読ませてもらいました。そしてあなたが霞、闇、沼と表現する世の中をひとりで歩んできたのかもしれないと思いながら感想を書く手を止めてしばらく色々考えました。
優しく明るく活発で仕事もできて好かれる人という“社会に適応したモデルのような存在”があなたの近くに実際にいたのかもしれないし、そうではなくてあなたの中にある“社会に求められる象徴的な存在”として表現したのかもしれません。あなたがその存在を目指して翻弄されながらも努力し続けてきた現実とのギャップに圧倒されて苦しくなっているようにも私は感じました。
本来のあなたを自分で見つけられず彷徨う様子が書かれていましたね。幼少期からこれまでを振り返ってみた時にあなたの個性や感じていることはどれくらい尊重されてきたでしょうか。尊重というのは抽象的ですね。無理にあなたの行動や性格、思考を変えようとしたり、否定したりされずに一緒に考えたり、楽しんだり、認められた経験のことです。
もしも否定された記憶の方が多かったとあなたが感じているとしたら、本当の自分がまだ見つからないのは無理もないことだと私は思います。ひとは受け止められ、承認されるなかで自分を認識して、これでいいんだ(もしくはいいのかも)という存在を積み上げていくので、いまのあなたには受け止め合える存在やそういった機会が必要なのかなと私は感じました。
ここまで感想を書いて、実際にお話ししてこれまでの経験やあなたの人柄を知りたくなってきました。そのなかから何か見つかるような気がしてなりません。いまはSNSや電話をつかって匿名でお話できる窓口もあります。そういったところでだれかと話ながら自分を見つけていくことをおすすめしたいです。投稿ありがとうございました。

感想2

投稿者さんの周りに生きる人々や世の中、人生などへの切実な問いかけが印象に残りました。これを読みながら、投稿者さんは努力や苦労を続けてきた人なんだろうと感じました。ただ、社会では結果ばかり重視されることが多いですし、望むような結果が出ないことが多くて、打ちのめされるような気持ちになってきたのかもしれないと思いました。
「周囲に人がいることが気になって仕方なく、縮こまってきた。」「外からの刺激に打ちのめされ、のたうち回る。」と書いてあることから、投稿者さんは刺激に対する感じ方や受け取り方が他の人と違うことが多いのかなと思いました。もちろん感じ方はみな千差万別ですが、その中でもマイノリティ要素が強い人は、周りの人に想定してもらえない困り感が日々たくさんあって大変だと思います。また、他の人が言っていることと自分の感じ方が違うことが多いと、自分自身でもなかなか自分の状況が掴めないことが多くて、それもまた困ってしまうことだと思います。
「お金を稼がなくては生活できない。」という部分に強くうなづきました。本来そうあるべきではないと私は思うし、実際のところ別のやり方もあると思いますが、私自身社会の中でマイノリティとして生きていて、お金に困ると社会から弾かれているような感じがして絶望してしまいます。
投稿者さんの文章は端的で、同時に詩がある感じがして、ここに書かれているような問いをずっと考え続けてきたからなのだろうかと思いました。自分自身の感覚を正確に理解しようと、あるいは表現しようとする追求の中で、比喩的な表現が出てきているのかな、と想像しました。投稿者さんが感じてきたことや思いなどをもっと読んでみたいです。もしそれを詩と名づけるのであれば、のびアートに投稿するのもよさそうだと思いました。よかったら死にトリには色々な参加方法があるので、試してみてください。投稿ありがとうございました。

お返事1

丁寧なコメント送っていただきありがとうございます。

こういう場でないと何も主張できなくて、投稿させていただきました。

優しく明るい人は、いるようないないようなという感じです。

これまで関わってきた人たちは、自分と比較しても柔らかい雰囲気で明るい人たちが多いです。

でも、求めている明るさとは違っています。

周りを明るくする人とは出会っていません。

その人と関わるとこちらまで明るい気持ちになるという経験はしていません。

その人だけが明るくて、こちらにも同様なことを求められるという感じです。

これは一方的で身勝手な見方です。

周りも明るくさせるほどの影響力を持つのは難しいと感じています。

前向きな人の方が、人を惹きつけます。

そんな存在になれないことがもどかしく感じています。

もっと良い面を引き出し、周りにも良い影響をもたらすことができればどれだけ良いかと常々思っています。

エネルギーが弱くて、重く沈むことばかりです。

家族や親戚とは良好とは言えませんでした。

思春期時代はかなり荒れて、父親に殺意すら抱きました。

どのように振舞えば良いのかは今でも分かりません。

誰といても、気を使うことばかりで、一緒に過ごして楽しいと感じることもありません。

その人の望むままに振舞うことの方が多いです。

皆さんは、楽しい一緒にいたいと思えるからともに過ごせるのでしょうか。

基本的にはマイペースで集団行動は苦手です。

群れることもあまりしません。

中年になっても、未だにまともな生き方が分からない。

泥道に囚われた足元から軽く歩ける道に繋がれば良いです。

マイノリティーは、報道でよく耳にしますが、自分は無関係だと思ってきました。

自分は努力しているのか。努力していないからこんな有様になっているのではないかと思っています。

努力の仕方も分からない。

本当に何事も長続きせず、根を張ることもできず、今でも風に流されています。

また、長々とまとまらない内容になり申し訳ありません。

投稿はどのようにしていただいても良いです。

お時間いただき、ありがとうございました。

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