去年の今頃にもうどうしたらいい?という経験談を送ったけれど、そこから約1年。また色々とあり限界に近づいて来ているので思考の整理も兼ねて書きます。
まず、今までで1番調子が悪かったということ。中学から通っている心療内科の先生に鬱だねと言われるくらいに調子が悪くなり大学を休学しました。今も休学しています。原因はなんだったか思い出せないけど、今まで張り詰めていた糸がプツンと切れたような感覚でした。服薬で何とか回復しましたがあまり調子は変わりません。
次に事故にあったり持病持ちになったこと。事故のことは詳細は伏せますが私が鬱にならなければ起こりえなかったことなので今でも事故のニュースを見るとフラッシュバックをして心臓がドクドクして具合が悪くなります。そのせいで車の免許も取れていないです。持病持ちになったのは鬱で過食状態になり健康を損ねてしまったから。具体的な病名は伏せますが殆ど自業自得です。
とはいえ、これらは私の鬱であったり情緒不安定な状態の深刻さが親や周りの大人に伝わっていないからなのではないかとも思います。例えば、持病持ちになり約1ヶ月の入院をした時に原因を医師に聞かれて過食みたいになったとは伝えたものの精神的なものによる過食では無いと判断された?のかそういった話にはなりません。主治医は良くも悪くも持病の部分しかみてくれないのでなんだかなぁと思ってしまいます。大きな病院で患者も多いので私一人に時間をかけられまいと相談できずじまいです。
心療内科の主治医はストレスだねとわかってくれているのですがどうにも私の思う深刻さと医師の思う深刻さに乖離があるように思います。中学の頃から診てもらっているので今更見放されるとか見限られるとかそう言ったことは無いとわかっているのに何故か毎回カウンセリングをしても本当のことを言えずに後悔しています。
ここまで色々と書いてきたのですが深刻さが周りに上手く伝わらない原因は3つあるのかなと思いました。(もしかしたらもっとあるのかもしれないけれど)
ひとつは周りから見た私の性格からそこまで困っているとは思われていないということ。自分で言うのもはばかられるのですが割とそつなくこなせることが多いのでつまづいてもできると思われてしまっているということ。
ふたつめは自分の中にある生きづらさや困り事を自分が言語化できないこと。自分でも何が困っていてどうしたいのかが分からず漠然とした生きづらさを伝えているつもりになっているということ。
最後はお互いに言葉が足りなくて歩み寄れないこと。家族間で会話がなく特に父親は物事が自分の思った通りに進まないと烈火の如く怒り出すのだけど怒るに至った原因が支離滅裂で意味がわからなくてさらにヒートアップするので父親と話し合いをしようにも取り合ってくれず結局お前が悪いんだと一蹴されてしまうということ。私はどっちが悪いとかそういう話がしたいんじゃなくて問題を解決するためにはお互いがどう言ったプロセスで動いていくかを論理的に話し合いたいだけなんです。しかしヒートアップした父親はいつ手が出てくるか分からない状態なので怖くて怖くて仕方がありません。実際2月に父親と大喧嘩をして家出もしました。家出をしたと言っても私にはカラオケやネカフェで泊まるなんて度胸はないので祖父母宅に家出しただけですが…
他にも色々ありますが長くなるのでここら辺で…
解りたいけど解れない。お互いそんな気持ちなのかなと思います。けれど実際問題私が色々と問題を抱えているのは事実なので解決には至らなくても今より良くなるように協力をして欲しいと言う気持ちと娘に期待をしないで欲しいなという気持ちがせめぎ合っています。親も大変なのはわかっているけれど1度立ち止まって話し合いたいです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
話し合いたい
感想2
投稿ありがとうございます。読んでいて色々考えながら書いていたら、感想がとても長くなってしまいました。読みづらかったらすみません。
経験談から、あなたが自分の状況や自分を取り巻く周りとの関係、そしてそれがどういう仕組みで怒っていることなのか…などを理解しようと試み、整理しながら考えてきたことを感じました。「今まで張り詰めていた糸がプツンと切れたような感覚」と書いてあり、これまで生活の中で緊張状態を強いられることが常態化していたのだろうと想像しました。
私は「自業自得」というのは違うのではないか、と思いました。世の中では自己責任で片付けられてしまうものがあまりにも多くありますが、それはほとんど置かれている状況を神していないものすごく不公平な「責任」のあり方だと私は思います。
あなたの「話し合いたい」という考えがとても印象的です。あなたは建設的に考えて合理的にお互いの問題として解決に向かいたいと考えているのだろうと思います。この社会にはあまりにも多様な人が生きているわけですから、十把一絡げな対応や、自分の想像だけで決めることではなく、対話を重ねることが重要だと私も思います。ただ、それがどうしてもうまくいかない状況はとても多いし、成立しない場合も少なくありません。その中であなたはどのようにしたらいいのか悩んでいるのかなと思いました。
個人的に気になったのは「ヒートアップ」してしまう父親のことです。そういう人とともに生活するのは、それ自体かなりしんどい状況なのではないかと思いました。そういうことを家族以外の大人に相談することはできているでしょうか。生活する上での手段は話し合いだけではないですし、2月に「家出」をしたのもあなた自身の真っ当な身の守り方だと思いあます。あなたが使える逃げ場が増えるといいなと願っています。
「生きづらさや困り事を自分が言語化できない」という部分から、自分の困りごとを言葉にするのはかなり難しいことがあると改めて感じました。言葉にしやすい困りごとは多くの人が経験しているため、誰かがもう言葉にしてくれていることが多く「あるある」で通じやすいけれど、他の人に通じづらい困りごとは、自分でもどう言ったらいいのかわからないことが多いと思います。たとえば「産後うつ」という言葉がありますが、近年できた言葉です。その言葉ができるまでにも、その状態の人はたくさんいたはずですが、その頃、その人たちは気のせいじゃないかとか、なにか言葉にできない困りごととして扱いに困っていたのではないかと思います。
死にトリには様々な生きづらさを表現する多様な人たちの言葉が載っています。その中でも「全く同じ」を探り当てるのは簡単ではないなと思います。でも、社会にはまだうまく言葉にならない困りごとがたくさんあるので、死にトリはそれを少しずつ言葉にしていく場所でもあるのかなと個人的には思っています。あなたは「言語化できない」と書いていましたが、この経験談はまさにあなたの言語化してきた考えや思いがつまっていると思います。また、あなたの考えたことや感じていることをよかったら教えてください。
お返事1
感想ありがとうございました。
感想へのお返事
感想1を書いてくださった方へ
感覚や思考について誰かと一緒に時間をかけて、じっくり深めたいような気持ちという部分が私の言いたいことを的確に言語化していただけて嬉しかったです。
みんながみんな私に時間を取れる訳では無いのですがやはりお互いを理解するためには必要なことだと改めて思いました。
現実では難しくてもこうしてインターネットで私のために考えてくれる人がいるということだけでも私にとっては少し心が軽くなりました。
ありがとうごさいます。
感想2を書いてくださった方へ
「自業自得」というのは違うのではないか、の部分にとても救われました。周りの人達には自業自得だからね…と言われて来ていたのでそう思わなくてもいいんだと思えました。
家族以外で相談できるのはやはり心療内科の先生ですかね…交友関係もあまり広くないし友人達にここまで重たい話をする気も起きないので結局は1人で溜め込んでしまいます…
家出のくだりも自分を守るために行動出来たんだなと自分を褒めてあげたいなと思いました。
拙い文章にもかかわらずこうして感想を書いていただけて自分自身の考え方を大切にしたいなと思えました。
ありがとうございます。
感想1
「話し合いたい」というタイトルが気になって、何度か読ませていただきました。
最初は父親さんなどの、思うように気持ちや考えを伝えあえない相手とのことを指しているのかなとイメージしました。しかし読んでいくうちに、伝えあえないもどかしさのことだけを指すのではなくて、投稿者さんの感覚や思考について、誰かと一緒に時間をかけて、じっくり深めたいというような気持ちも含まれているのかなと感じました。もしそうであれば、投稿者さんが感じている深刻さの乖離や、中々話せない感覚が起きるのは、求めている量や内容を満たせるような時間や場が不十分という事なのかな…と(あくまでも勝手な解釈ですが)。
想像するに、それだけ考えていることや、感じていることがたくさんあるのではないかなと思いますし、個人的には「周りに深刻さが上手く伝わらない」という思いに共感するところもあるので、またあなたの状況や思考を教えてもらえたら、何か自分も気づけることがあるかも…などと思いました。投稿ありがとうございました。