下手に理性があるせいで死ねない。
グレたり、犯罪に手を染めたり、他者を食い物にする生き方ができない。
でもそれを正しいと思った事はないし、するつもりも無い。
でももしそれができたら。
他人なんて気にせず、全部わがままにできてしまえたら楽だろうかとは思う。
母のように、急に泣き出して叫び出したり、自傷行為を始めたり家に火を付けようとしたり一緒に死のうと包丁を突きつけたりできたなら?
弟のように知的障害だと言われれば?
父のように「俺大人の発達障害だからねぇ~」と言い訳することができたら?
どんなに楽だろうと思う。でも、その人達もなりたくてなった訳じゃないということは痛いほどわかるから、言わないし言えない。考えてしまう自分に嫌気がさすが、やめることができない。
「あなたは○○です」と病院に行って診断を貰ったとして、それは「あなたはこれから一生働かなくていいですよ。好きなことしてていいんですよ」ということではない。
親のスネをかじって、生活していく理由にはならない。
だから高卒の認定試験も取ったし、専門学校にも通い始めた。多分親を安心させたかったから。
でも辛い。とても辛い。自分にはこれほどまでに価値がないのかと思い知らされた。いや、本当は無いことを気付いていながら周りの人と同じでありたいという願望でしかなかったわけだが。
本当はわかっていたはずなのに。
お前の居場所などどこにも無いと言われた気がした。わかっていても、理性があるからなんとか食らいついてきた。でも、どうしたらいいのかわからない。もし学校を辞めたら?次は?考える度に胸が痛くなる。頭が痛くなる。
自傷はしたくない。痛いし、多分構ってちゃんだと思われるのが嫌だから。
時は全ての人に平等である。ある人はこうしてくだらない自分語りをスマホから打ち込み、ある人は人から求め求められ順風満帆な生活を送っている。羨ましいと思う気持ちはあるが、憎いとは思わない。
死にたい。すごくすごく死にたい。死にたいんだ。
でも死んだら?諦めることは簡単だ。現にこうして、今までも私は多くの事を諦めてきた。
死んだら楽になれるのか?俗にいう天国とやらで、自分の好きな物、人に囲まれながら永遠に生きられるのか?
もしそうなら、私は今この瞬間にでも命を絶つ。
でもそれを証明するものがないから生きている。
死ねないから生きている。
空虚な自分に怒り、呆れ、悲しみながら、自分の唯一好きなことをして現実逃避する。よくないとわかっていても、これが私の最後の砦だと自分でもわかっている。
最近泣きたくても泣けない。最後に泣いた頃を思い出せない。
ニュース1つでその日の体調が変わる。アニメのショッキングなシーンは今でもトラウマだし、殺人事件の犯人に深い憎しみを覚える。過去のトラウマをなんでもない時にふと思い出して動けなくなる。
弟は今でも引きこもりだ。ゆくゆくは立派なニートになるだろう。
母親も変わらない。
父親も変わらない。
何も変わらない。
僕は変わりたい。でも変われない。
今は一人暮らしをしている。あの家族と離れられたことが唯一の救いだが、きっと離れることはできない。
何も才能もなく愚かで空虚な人間。
無駄に理性があるせいで何も出来ない軟弱者。
キッチンの流しの排水口に生ゴミが溜まっていくのを見ると、自分を見ているような気分になる。生ゴミのすえた臭いのような、クソみたいな気持ち。
ただ全てにごめんなさいと言いたい。
生まれてきてごめんなさい。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
下手に理性があるせいで
感想2
一人ではとても耐えられない苦しみを「理性」というキーワードで語る内容にとても興味深く読みました。なるほど、理性とは何とも厄介なものだと思いましたが、一方では理性があるおかげで、私たちが安全や安心を得ている側面もあります。でも、あなたにとっては理性の恩恵よりも、功罪の方を突き付けられることが多いのだろうと思います。私もどちらかというと、理性的でありたいと思う人間ですが、現実には理性的である方が、損をするのではないかと思うことがあります。
でも、よく考えてみるとあなたの悩みや苦しみは理性の問題ではなく、理性の存在を持ち出さなければならないほどの、理不尽や孤独にあるのではないかと思っています。身近な人が先に問題を発信する中で、意識しなくてもフォローや理解をする側に回ってしまい、その現実に向き合い続けることで、あなたの負担は増えていき、理解もされないままに、一人ぼっちで努力し、辛抱し、現実を受け入れ続けている姿を想像しています。
ひょっとしたら、周囲からはしっかりしなさいとか頑張ってねと言われることも多いのかもしれないと思うと、孤独の深さをより感じています。経験談では詳細は語っていませんが、語り切れない、思い出すこともつらい、語るのは虚しい経験がたくさんあるのではないかと思いました。また、ご自身のことを価値がない、愚かなどという表現がありましたが、それも孤立がもたらした表現だろうと推測しています。
最後の方に、唯一好きなことについて書かれていました。好きなことを楽しむことへの罪悪感もあるのでしょうか、私は思わず好きなことがあってよかったと思いましたし、好きなことがあなたの孤立を少しでも解消して、社会とのつながりを取り戻す役割を果たすのではないかと思いました。まだまだ、語り切れない思いがあると思いました。これからも、「理性があるせいで…」と感じたときにはこうした気持ちを書いて、送ってください。待っています。
感想1
経験談への投稿ありがとうございます。
自分の中で渦巻く苦しさを嫌というほど感じながら、どこか冷静に自分を見る目があるように感じました。ご家族がそれぞれに不安定さや特性を抱えている中で、みんなの問題を一手に引き受けて理性で自分をコントロールしないと自分を保てなかった、嫌だけど受け入れなければならなかった状況を想像しました。
「理性」は、あなたが大変な環境の中で生き延びるために身につけざるを得なかった力なのですかね。そして時間が経った今、あなたを苦しめているのですかね。
「死ねないから生きている」というあなたの一言が、いま私の心に深く刺さっています。澱みの中に漂い続けることはそれだけでエネルギーを消耗すると思いますし、あなたの「変わりたいけど変われない」と感じる虚しさや絶望感を目の前にして、筆舌に尽くしがたい思いです。
あなたをつらくさせている「無価値感」は、どこから来て何に影響されているものなのだろうともっと聞いてみたいと思いました。(ご家族との関係は、大いに響いていることを想像していますが)
自分の気持ちを書き連ねることは恥ずかしさもありますが、ここは匿名なので、思いっきり言いたいことを書いてもらえたらなという思いです。
あなたがここに訪れてくれて、経験を共有してくれてありがとうございます。よかったら、また待っていますね。