幼少期の親同士の暴力、家族への暴力、
施設、祖父たちの厳しい態度、自分の居場所。
子供の頃の環境は良い暮らしとは言えませんでした。暴力や暴言、生活苦による万引き、非登校、親を信じては裏切られを繰り返して人を信用する事も出来ません。
現在私は40歳、家庭もありましたが、自分の不甲斐なさに離婚と言う結果になりました。幼少期の環境が悪く、まともに育たなかったと思えばそうなのかも知れませんが、結果的には自分の行動が全てな訳で、言い訳を盾に自分のクズさを誤魔化しているんだと思います。
子供たち。どうか自分のようにはならないで。
幼少期の頃、父親だった人が怖かった。
イライラしてそうな時は声をひそめ、怒られてもなにも言わずにひたすら黙って泣いて、泣いて声を出しても殴られるから黙っていました。
そうやって成長すると、意見を求めれた時、声を出す必要がある時、声が出せなくなります。
頭の中では物凄く考えています。相手がどうしたいのか、何を求めているのか、それとなく読み取る事も出来る気がします。でも声が出せない。
爪を立てたりつねったり、痛みを伴う事で
少しだけ返事が出来ます。
体のドキドキや恐怖を、さらに強い痛みで誤魔化す方法です。
現在は心療内科に通い、生活保護と言う、生きていても誰かの迷惑になる存在です。
最近は死にたいから、死ななきゃいけない
と言う使命感に囚われています。
でも死ぬ事によって子供達に辛い経験をさせる事は絶対出来ません。
死にたい、死ななきゃいけないのに死ねない。今はそうやって毎日考え、考え疲れています。
誰かに相談する事はありません。
辛い事を分かち合おうとも考えていません。決めるのは自分、行動するのも結局は自分。
それが楽とは思ってはいないです。
相談しても、同情や寄り添った答え、アドバイス等、なんとなく返ってくる言葉が想像出来てしまう、、自分の中に何人かいて、自問自答会議を繰り返して、、、
、分かってもらいたい、でも理解はされたく無いん。なんか怖いのか、環境が悪かったねとか言われるのか、それまでの自分の存在を否定されるような、、、
よく分かりません、ごめんなさい。
日々の生活も自分についても自問自答を繰り返しています。でも答えはみつかりません。考えがループして、死にたいけど死ねない。なぜ?ループです。
どれだけ辛くても精一杯生きている人も多くいらっしゃいます。
自分は甘えた弱い人間です。
自分の様な人間が生まれない事を強く願います。
感想1
これまでの投稿者さんの生活には経験談に書かれていることのほかにも、おそらくさまざまな大変なことがあったのだろうと想像しました。
「体のドキドキや恐怖を、さらに強い痛みで誤魔化す方法です」という部分にすごく共感しました。痛みは強い感覚なので、他の感覚を一時的に追いやったり、麻痺させたりする効果があると、自分の実感としても思います。
恐れや苦しさ、固まってしまうような感じがあるとき、体はおそらく自分を守るためにすごく働いているのだと思います。でも、それが側から見るとただ「意見に答えていない」ということになってしまったりするし、自分でも困ってしまうことが多いと思います。
「理解されたくない」という言葉が印象的でした。この世の中では、「わかる」「伝わる」ことがとても重視されていて、個人的にはすこし不気味にも感じています。もちろんなにひとつわからない、ということもないかもしれませんが、人が安易に了解してしまうとき、必ず少なくないズレがあるように思います。これは想像ですが、投稿者さんはこれまでに自分自身についてか、あるいは身近な人について、よくわかっていないはずの人に理解したかのように振る舞われる経験があったのかな?と思いました。(違っていたらすみません)
人は全てを理解し合うことは不可能に近いと私は思います。だからこそ、想像して、違っていたらすこし修正して、理解を試みていくしかないのかな、とも思いました。
私としては、生きていていい人と生きていてはいけない人…みたいな分類は不可能だし(仮にそれがあるとして、誰かが決めたにすぎないものには本質的な意味はないと思います)、全てが生きていていい人だと思います。ただ、私も含めて、死にたくなる気持ちがある人はたくさんいるし、死にたいと思うことがだめだとも思いません。
投稿者さんが死にトリを知ったきっかけや、経験談を投稿してくださったきっかけが気になりました。投稿者さんが「ループ」してると書いていた思考の一端を教えてもらったのかなと思います。投稿ありがとうございます。