経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

ただの甘え。

国語が得意って訳じゃないし殴り書きなので、細かい所は気にしないでください。
私、現在中2で前より気持ちが楽になったので書いてみようかなと思い、今に至ります。
私事なのですが、辛い、死にたいって本気で思ったのは中1の6月頃です。まあ、その頃に1回体調崩して3日学校を休んだので、体からのSOSは出てたのだと思います。中学に上がると同時に転校したので、そのせいもあったのでしょうね。毎日、毎日、勉強の速さに付いて行けなくなって。周りと壁が1枚あるのに気が付いて、置いていかれても、せめて嫌われないようにって必死になって、どれだけつまらなくても、何もなくても笑顔作って。刺々しいけど、仲の良い子には「何笑ってんの、気持ち悪い」って。仕方ないじゃん。じゃないと、壊れそうなんだもん。って喉元まで出てきた言葉を飲み込んで、まぁ…私が自宅学習をサボっていた(多分、ただの甘え)もあったのだろうと思いますが。ある日全部、面倒臭くなっちゃったんです。なんか、自分の人生振り返ったら、小さい頃は「人より少しできるいい子」で、小学生の頃も「明るくて勉強も運動も人並みにできるいい子」で、高学年になると、「勉強もできるし友達もたくさんいるいい子」でした。でも、中学に上がって(先程も言いましたが、引っ越しました。)大好き(?)だった親友とも気軽に会えなくなりました。(なぜ?がつくかと言うと、別に嫌いとか苦手とかじゃなくて、親愛?ってのが私自身感じないというか、わからないというか、親友って相手に言われたから私もそうしてるだけ)それで、なんかしんどい日が続いて、最初はテストも提出物もできてたけど、だんだん手が回らなくなって。勉強も追いつけない程置いていかれちゃって、テストの順位も80位から120位まで下がって。親に怒られて、迷惑かけて、私生きてる価値ないなって思っちゃって。部活もサボり気味だし(現在も)未来に希望もなくて、高校とかお金かかるだけなら、中学のうちに死んだ方が親は楽かなとか考えて。世の中「命を大切に」とか「大切な人が悲しむ」とか死に対して、そんな事言ってるけど、そんな事私が一番わかってるし、ただ、アンタらが考えられないくらいに苦しくて、辛くて、逃げたくて…周りなんて考えられる余裕もないって思ったけどまた押し殺して。生きるのしんどくて、逃げてるうちに親の期待裏切って、「成績も友達付き合いも悪い子」になっちゃって。中2に上がって二者面談の時、担任の先生に相談したら(自殺願望は言ってない)聞いてくれたけど、現実見せられて、でも、相談した時に、話を聞いてくれただけで少し楽になったけど、今でも夜にひとりで「死にたい」とか「朝も明日も来なければいい」って思ってしまう。世界中の飢饉の子供達と比べれば私は幸せなのに。恵まれてるのに。でも、その子達に同情とかで心は揺れ動かないし…元から優しくない人間なんだなって、最近気付いた。小さい頃みたいに、親にたくさんワガママ言って甘えたいなって、時々思うけど、どこか親も自分も大嫌いなんだなって、ふとした時に思う。

感想1

投稿者さんの苦しくてどうしようもない気持ち、それに付随しているさまざまな考え、そしてその背景にある状況がとても伝わってきました。小学校のときは周囲の期待に応えられていたはずなのに、中学校で環境が変わって、しんどさや、しんどさから逃れたいけれど逃れきれない感じがしているのかなと思います。「現在中2で前より気持ちが楽になった」と書いてあるので、今はそれとはまた少し変わっている部分もあるのでしょうか。
私はずいぶん前に学校を卒業した身ですが、私としては学校はだいぶ窮屈な場所だと思います。また、学校で重視される「学力」は世の中にあるたくさんの価値観のうちの1つにすぎませんが、あまりにもそれに学校がこだわりすぎるシステムになってしまっている気がします。また、そういうシステムの中で親の期待が空回りしていることも少なくないと思います。
親友に対する気持ちがわからないと書いてありましたが、その人がいた方が楽に過ごせていたということは確かにあるのかな?と想像しました。(個人的には人が言っている感情の名前って結構てきとうで不確かなのではないかと思っているので、厳密に考えなくてもいいような気もします)
また、「親にたくさんワガママ言って甘えたい」を実行してもいいと思いますが、親との関係では、今はそれが難しいのでしょうか。
文章を読んでいて、自分のつらい気持ちと同時に、それはどういうことなんだろうとか、振り返ったり、分析したり、視点を変えて考えてみようとしたりしている感じがしました。私は「ただの甘え」とは思いませんし、自分が実感している苦しみと人の苦しみを同じように比べることは難しいので「優しくない人間」ということでもないだろうと思いました。
学校と家以外に投稿者さんが過ごしやすい安心できる場所が見つかるといいなと思います。投稿者さんの暮らしているところの近くですぐに見つからない時は、死にトリにまた遊びに来てくださいね。

感想2

今の気持ちを整理するように丁寧に書いてくれたので、とてもスムーズに読めました。そして、死にたいほどつらい気持ちを抱えていることもよく伝わってきたので、あなたがそのような気持ちになっている背景について考えています。
小学校の頃の活発で勉強も運動もできて友達の多いあなたも、中学になって少し人付き合いを負担に思っているあなたも、勉強が手につかなくなって成績が下がったあなたも、そして今死にたいほどつらい思いを抱えているあなたも、どれもとてもあなたらしく感じて、どれがいいとか悪いとかは全然ないと私は思いました。ところが、世の中はどうしても子どもに対して結果や表面的なことで評価をしようとして、勉強ができる方がいい、運動もできた方がいい、暗いよりも明るく活発な方がいい、友達がたくさんいる方がいい、対人関係もうまくできる方がいい、死にたいなんて思ってはいけなくて、頑張って生きなければならない…とこんな風に考えることがあまりにも多くて本当に困ってしまうことがあります。どれも、人間の一部分のことですし、それだけを見ていいとか悪いとか決めてしまうようなことではないように思うのですが、どう思いますか?
私はあなたが最初の方に書いた「体からのSOSは出てたのだと思います」という表現に思わず唸ってしまいました。中学生で自分の身体がSOSを出していたことに気付く力があるということで、私はテストの順位より大事だと思ったからです。ちょっとテストの順位に対抗意識を燃やしてしまっていますが、テストの点数より自分のコンディションが分かって、言葉にできるって本当に大切だと感じます。それと同時に、自分が友達に対する気持ちの変化や勉強に熱意を持てないこと、そして甘えたい気持ちがあることなど、自分の声に耳を傾けられる感性を持っていることが伝わってきました。飢餓の子どものことも書いてくれましたが、食べ物がないような物理的な欠乏はもちろん子どもにとって危機的なことですが、私は自分の感じていることや思っていることを封印したり、抑圧されたり、強制されることもまた心理的な危機だと感じています。あなたがやる気が出なくても、甘えたいという気持ちも、そして自分が大嫌いという気持ちもそう思っているのだから、それでいいと私は受け止めました。きっと、あなたは悩みながらも自分なりに進んでいくように感じました。
迷うときに、少しでも死にトリが役に立ちそうなら、またいつでも来てください。待っています。

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