小6の頃、仲のいい友達とクラスが離れてしまって知り合いは出来るものの本当のことを心から話せる友達が居なくなってしまってある日突然行けなくなりました。勉強も会話も上手くいかなくて、、、けど小学校と両親は協力してくれて何とか別室登校をしてました。そこを何とか卒業して現在中二です。中学からは別室では過ごせず放課後に行ってるんですがとても罪悪感に苛まれます。。先生にも、忙しいのに学校へ毎日送ってくれる親にもとても申し訳なくて、最近「あぁ私がこんなになっちゃったからみんなに迷惑かけてるんだ」と思うようになりお昼は何もやる気が出なくて勉強は少ししかできません。フリースクールの交流などにもちょこちょこ行ってるんですが何も変わらず、「私が変わらないと」「私から話しかけなきゃ」とは思うんですが動けなくてもうこれからの事が不安で仕方がないんです。私に好きなことはあるのにもうそんなに楽しいと思えないし、みんなは受験とか迫ってるのに私は小6の頃からなんにも変わってなくて、勉強も人と会話も上手く出来ないのでもういっその事消えてなくなりたいです。
拙い長文失礼しました…
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
将来の見通しがなくて辛い
感想2
学校に行けないことにとても苦しい思いをしていることが伝わってきました。それだけ、中学生のあなたにとっては学校は行くべきところで、行かなくてはならないと思っているのでしょう。私は学校に行かなくても、それなりにその人らしく生きている人をたくさん知っています。そして、学校に行くことに頑張りすぎてその後も苦労している人も知っています。もちろん、学校に行って楽しくしている人もたくさんいます。何が言いたいかというと、学校に行くか行かないかはそんなに大きなことではないかもしれないという一つの見方を伝えたかったのです。
しかも、実は学校ってとても特殊なところでもあって、学校という場がとても苦手な子どももたくさんいると思います。でも、おかしなことにみんな同じように行かなければならないことになっています。死にトリの仲間のサイト「生きづLABO」では「学校に行きたくない」ということについて記事があるので、紹介します。
https://ikidulabo.lifelink.or.jp/sos/gakkou1/
私は、今の自分の気持ちをこうして表現し、自分の苦しみを理解しようとする行動は学校に行くことと同じぐらい(それ以上に)大事なことだと思っています。誰かにやれと言われたわけでもないのに、こうして自分で思い立って表現して送ってくれた思いをしっかりと受け止めました。
最後に、子どもは大人に多少迷惑をかけてもいいと私は思っています。今誰かに世話になっていることは、あなたが大人になってから子ども世代に返すための貯金だと思ってみるのをおすすめしたいです。
感想1
経験談を読ませてもらって私が~しなきゃって焦っているあなたの心境が伝わってくるようでした。学校は比較される場所ですし、受験も迫っているだろうから周りの友達を見ると焦るのも自然なことなのかもしれません。そして何よりも仲のいい友達(理解者)がいての学校生活だったんでしょうね…。
いまは中学2年生…自分の感情とか考えが揺れそうです。
私はあなたのこころの素直さが一番印象的でした。こころを守るかそれとも次に進むか、あなたのこころがそのタイミングを教えてくれているんじゃないかなって私は思います。いまのようにできる範囲で動ける時にはフリースクール行ってみたり、動けない時には経験談をかいてみたりしながら、こころが教えてくれている方向に身を任せるのも良いのかもしれないなって私は感じます。(いまはどちらかというとこころが休みたいと言っているのかな)
負担になるような場所やモノ、コトから一旦離れて、1週間でもいいから思い切りこころもからだも休めてみるとあなたはどんな風に感じるでしょうか。なにか条件が整うともしかしたらある日スッと前に進むこともあるのかもしれません。その時がきたらまたあなたのこころが“進んで大丈夫”って教えてくれると思います。
“周りの大人(両親や先生)に頼ると迷惑をかけてしまう”って感じる気持ちも簡単には無くならないあなたの確かな気持ちです。一方で大人はこどもを守って応援する存在でもあります。私もあなたの存在やこころの葛藤を感じて、感想を通して応援したいと思いました。
投稿ありがとうございました。