自己分析と愚痴みたいなものです。思いつくまま書くだけなので、読みにくかったらごめんなさい。
私は子供の頃から、何かを始めたり最後までやり遂げることが苦手でした。
自分なりに計画を立てても直前になって嫌になってしまったり、勢いで始めても、周りと比較したり上手くいかなかったりすると投げ出してしまいがちです。
人付き合いも苦手で、友達に誘われればとりあえずついては行くが、自分から遊びに誘ったりすることはなく、大抵一人で居ました。
そういったことの積み重ねで、今の自分がいると思います。
勉強は最低限できたので、小、中、高はまだ普通に過ごせていたのですが、大学……特に就活で躓きました。
やらなきゃいけないことは分かっているんですが、いくら自己分析しても自分の良いところが見えてこず、面接が怖くて仕方なく、誰かに相談もできず、ずっと問題を先送りにしていました。
その結果、当たり前ですがどこにも受からず、無い内定で卒業。軽度の就活鬱になりました。
現在は親のすねを齧って実家で暮らしながら、派遣で働いています。
昔から自分に自信がなく、それで何かに挑戦したり他人と関わることが苦痛で、就活失敗でその気持ちが更に強くなり、社会人になってからは特に逃げるように生きてきました。
もう普通の人のように生活するのは無理だと諦めています。
仕事は何とか続けられていますが生きがいにはならないし、自分なりに何か楽しみを見つけようにも、こんな性格なので上達して楽しめるようになる前に嫌になってやめてしまいます。何もできる気がしません。
何をやっても心があまり晴れず、ずっと死にたいと考えていましたが、ここ数年になってその気持ちが強くなってきました。
全部根性のない自分が悪いですし、自業自得なのですが、もう何も考えたくありません。
楽に死ねるのなら、早く死にたいです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
ずっと逃げてばかりでした。
感想2
読みました。自己分析と愚痴、とても大切だと思います。私もよく書いたり、人に聞いてもらったりしますし、聞くのも読むのも結構好きです。なぜなら、他の人の愚痴や自己分析に触れることで、自分に何かしらの気づきが生まれるからです。
まず読んで思ったのは、あなたが自分の根性のなさや主体性のなさ(とは書いていませんでしたが、そういう感覚をもっていそうに感じました)を責めていましたが、それはそこまで責められるべきことなのだろうか…?ということです。
頑張ることは、本当にやりたいことに対してじゃないと難しいし(というかしなくていいと個人的には思っています)、自信がないと自分の良いところに気づくのも難しいです。そういう、頑張るための「土台」のようなものがないことで、あなたは苦しんでいるのではないかと感じました。むしろ土台がないのに、働いているのは、いわゆる「普通の人」よりも努力していると私は思います。
就活の面接は本当に理不尽でおそろしいものだと感じますし、この社会は逃げたくなる要素がいっぱいで、みんな逃げるべきなんじゃないかとさえ思います。少なくとも私はそういったものを避けて生きてきました。今はたまたま働けていますが、1年単位で仕事(パートのことが多いです)を変えているレベルで、経済的にきついときは実家や親戚の家で生活して、生活費を免除してもらっています。普通になれる見込みは薄いけど、「普通」についていこうとしたら苦しくて生きていけないと思います。最近やっと自分なりに身につけられそう&身につけたいスキルが見つかってきた段階です。
もし的外れな自分語りだったらごめんなさい。あなたに何かしら自分なりの手応えや道(土台への足がかり)が見つかってほしく、その参考情報になればと思って書いたものですが…相手の気持ちや立場を想像できている自信は、いつもありません。
経験談の投稿、ありがとうございました。
感想1
「始めること、やり遂げることが苦手だった」、「始める前に嫌になる、始めても続かない」、「人付き合いもどちらかというと受け身」で生きてこられ、小・中・高と進んだものの大学、特に就活で躓いてという部分や今に至るまでのその時々の感情や考えがとても私自身の経験と似ていたので、失礼と思いながらも勝手に親近感を感じながら文章を読ませて頂きました。
幼いころから今現在まで抱いてきた気持ちや感覚、それに伴うエピソードに至るまで文章全体を通して見ていると投稿者さんが主体性や自立性を構築することが出来なかった、もしくは周囲や環境に奪われてきたのかなと想像したのですがいかがでしょうか?(私の場合は両親に悉く先回りされて自分の興味や関心を潰されて来たので…。)
本当は自分で選択したい少し先の未来がいくつもあったけど、生きていく上での日常的な選択肢を投稿者さん自身であまり選ばせてもらう機会がなく、別の何かや誰かの選択を自分の意思決定の優先順位に組み込まれてしまっていたのかなという印象を私は受けました。そして「投稿者さん自身が決めた投稿者さん自身の選択」になっていないそれらの選択の積み重ねは「自信や経験」として蓄積されず、表現したい自分や自分が何者であるかをあまり把握することが出来ずに就活での体験に繋がっているように私には思えました。
「ずっと逃げてばかりでした。」というタイトルに思わず目を引かれたのですが、社会や仕事との接点からも逃げ、文字通り全てのことから逃げてきた私には投稿者さんが逃げてきたとは到底思えません。何とかでも仕事を続けていることや自分なりに楽しいことを見つけようと想いを巡らせていることは、投稿者さんが「自分の人生を自分らしく生きる」ために諦めていないことに他ならないと感じるのと同時にそれを可能にするだけの強さが投稿者さんに備わっているように私には感じられます。
根性や自業自得ももしかしたらあるのかもしれませんが、全部が全部自己責任であるとは私は全く思いません。ただ、その時々で自身が「決定」してきたことではあると私は自身の経験も含めて感じます。ですが、「自己決定」はこれから変えていくことがいくらでも出来ると私は思っています。
投稿者さんがこれまで選択してきた「自分」を否定も肯定もせずに隣に寄り添って、たとえやり遂げることが出来なかったとしても自分らしく在るために、自身が気の赴くままに知らない世界や景色に踏み込んでいけることを私は願っています。
投稿ありがとうございました。