私は周りからどう思われるかがとても怖いです。今でもこうやって自分のことを書くのが怖いのですが、毎日とても苦しいのでここに書かせてください。
私は昔から同級生や先生にいつのまにか嫌わればかりいます。いじめのようなものや不登校も経験しました。幼稚園の先生から知能検査を受けるように勧められても異常はないと言われました。中学のときに担任の先生から心療内科を勧められて、そこでの検査も性格と言われました。成人を迎えた辺りからやっと、いまの心療内科で、自閉症スペクトラムのような症状があると告げられ様子見の段階です。今までの生きづらさの原因が分かりそうで、とても気が楽になりました。ただ同時にまだ少し受け入れられない自分もいます。ちなみに診断名は私の要望で伝えてもらったものであり、医師が無理矢理言ったものではないです。ちょうどその辺りに、同級生への長い片思いも破れました。就活の時期が近づいていますが、全くやる気がおきません。少し前までは就活に熱心なほうでした。大学でも友達ができにくくほとんど孤立しています。周りから避けられている感じもします。うまくいかないことが一度に重なり、ライフステージを経験することを諦めなくてはいけないと自分で思って自分で苦しんでいます。私のことを愛してくれるのは両親だけです。悩みもいつも親身に聞いてくれて、優しく、大切に育ててくれているのに、色んな所で「私のせいだ」「ごめんなさい」などとネガティブな言葉が口癖となってしまい、親に申し訳ない気持ちがあります。
自分のことを表現するのが苦手なのか、自分でもなにが書きたいのかわかりません。もし私の文章で不快な気分になった人がいたらごめんなさい。ビクビクしてしまいますが、きっと心のどこかで誰かに受け入れられたいのかもしれません。昔から失言してしまう癖があり、友人関係がこじれやすく、気をつけてるつもりではいます。こんなに苦しいのなら、死んだ方が楽になれるかもと思うときもあります。
色々すみません、よろしくお願いします。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
普通に憧れる
感想2
不安いっぱいの中、書いて送ってくれてありがとうございます。最初の「自分のことを書くのが怖いのですが、毎日とても苦しいのでここに書かせてください」という文章を見て、心の中で『その選択は大正解!』と声をかけていました(ちょっと偉そうな表現ですみません…)。それだけ、自分の気持ちを知る、出してみるのはとても大切なことだと私は思っています。だから、上手く書けなくても、何を書いているのかわからなくても、いいと私は思います。
周りからどう思われるか怖いとありますが、その怖さは、実はあなたが周囲のことをよく理解できない不安や恐怖から来ているのではないかと推測しています。人はわからないことに不安や恐怖を抱きます。子ども時代から周囲と関わることが難しかったり、その後に検査を受けて自閉スペクトラム症がわかったことを考えると、他の人が苦労なく学んだり気付いたり、理解できることを、あなたはよくわからなかったり、ものすごい苦労をしたり、分かったつもりを演じたりしなければならなかったのかもしれないと想像しています。自分が理解できないことで溢れている世界で生きるのは本当に大変だと思います。例えると全然知らない外国に放り出されて手探りで生きていくようなものだと思うからです。外国なら言葉も通じないので、周囲が分からないことに気づいてくれて、少しは優しくしてくれるのですが、同じ日本語を話しているし、同じように見えるので「なんで、そんなこともわからないの」「だって、同じでしょう」と思われて接してきます。それは本当に苦しいことですし、怖いことだと思います。あなた自身は何も悪くないと私は思います。理解できないことが多い世界でここまで生きてきたとしたら、ここまできたことに敬意を表したい気持ちです。
そういう意味では両親とはお互いに理解できる関係なのだろうと思います。これまではあなたと理解し合える存在が少なかったかもしれませんが、周囲のことを理解する方法もあなたのことを理解してもらう方法もあると私は思っています。死にトリはどんな人でもその人の感じることや考えることを支持しますし、お互いに理解したいと思っています。
もしも、これからも苦しくなって書きたくなったら、いつでも来てください。待っています。
感想1
周りからどう思われているかという恐怖は、投稿者さんの嫌われてばかりいると感じた経験、いじめのようなもの・不登校の経験から、大きく膨らんだのかな…?と私は考えました。私も投稿者さんと同じで、周りからどう思われているか常に気になり、怖さを抱いています。私の場合は、過去の人との関わりの中で安心できなかった期間が長かったことが、こういった恐さに影響しているのかなと推測しています。最初に私が書いた投稿者さんの経験も、とても安心できるようなものではなかったんじゃないかなと思いました。
そして病院によって、診断名等が変わる場合があると思います。(つまり一度病院でもらった判断は、もしかすると違うかもしれないということです。)生きづらさの原因が分からないまま、周囲の恐怖を抱いていたのは、本当にしんどかったのではないでしょうか?ですので、今の心療内科では少しでも投稿者さんの気持ちが楽なる方向に向かえたらいいなと私は思いました。また、周りへの怖さは投稿者さんにとって大きなストレスとなっていそうで、色々な場面で影響が出てしまっているのかなと気がかりでした。細かな困り感を、心療内科で相談してみると良いかもしれないなと私は思いました。経験談の投稿、ありがとうございました。