経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

呪われた人生

小学3年生のとき、離婚をして母子家庭になった。
母は夕方から夜にかけて仕事をしていたため、学校から帰ってから寝るまでは2つ上の兄と二人きりの生活だった。
親と顔を合わせるのは朝のみ。
ある夜、言うことを聞かないかとかそんな理由で兄に殴られた。その後、兄にばれないようにトイレに隠れて親に電話して、そのことを伝えた。兄と電話を代わった後、再び私に電話を代わることになった。兄からは「お前が悪いんだから何もされてない。殴られてないって言え。言わないとまた後で殴る。」と脅された。母親は疑っていたが、結局嘘を貫き通すしかなかった。その経験から私は、「もうお母さんには頼れないんだ」と思った。
兄と2人きりの生活が続くに連れて、次第に兄は私をまるで奴隷のように扱い始めた。
親のお金を盗んでゲームを買ってこい、カードを買ってこい、小遣いを全部よこせ、お前の誕生日プレゼントは俺が欲しい物を頼めなど。その通りにしないと殴ったり蹴られたりするので、言うことを聞くしかなかった。自分から言えないから、親に気付いてもらって、助けてもらうのを待つしかないんだと思った。
ある日、兄の机の中にゲームがあるのを親が気付いて、勝手にゲームを買ったこと、引いてはお金を盗んだことが親にバレた。これで母親がやっと気づいてくれると思った。でも母親が部屋を出た瞬間、兄が「盗んだのも買ったのもお前だから、これはお前のもの。俺のせいにするために俺の机に入れたことにしろ。殴られたくなかったらお前がやったって言え。」と言ってきた。結局自分は救われないんだと思った。親に自分が盗んだと言った。親にボコボコに殴られた。兄に濡れ衣を着せようとしたことで兄に土下座をさせられた。
そんな生活の中で、私は自分に気に食わないことがあったら殴っていいんだと思うようになった。学校で嫌なことがあると暴れたり、友達を殴ったりしていた。担任の先生に怒られたときに「なんで叩いたらダメなのか分からない」と言うと、ビンタをされて「痛いでしょ?叩かれたら痛いからダメなの。」と言われた。そんなの私が一番分かっているのにと当時は理解できなかった。
そんなふうに振舞っていると、小学5年生のときに担任の先生に「最近発達障害という子がいることが分かっている。多分この子はそれだと思う。」と言われた。母親からすると、お金を盗むのも、学校で粗暴なのも全部発達障害だからと納得したんだと思う。
中学2年生になり、兄が高校1年生になると兄の暴力はさらに酷くなっていた。私の頭のデコボコにしたいという理由で棒で頭を殴られた。守っていると腕全体があざだらけになった。青あざではなく、赤黒く変色していて、青あざが酷くなると赤くなるんだなと感じたのを覚えている。””殴られたくなかったら””という名目で全裸で外を走らせたり、真冬のベランダに夜から朝にかけて締め出されたりしたこともある。ハサミで腕や脚を刺されたこともある。数日間血が止まらなかったので、きっと縫う必要がある傷口だったのだろうけど絆創膏で
隠していた。ちゃんと塞がらなかったからか、今も傷口としこりが残っている。他にも腕や脚のあちこちに鉛筆で刺された芯が残っている。
この頃、兄のやっているゲームのレベル上げをやらされて、ほとんど毎日、夜はゲームをさせられていた。寝る時間が授業しかなくなって、学校ではずっと寝ていた。学校の先生からはやる気がないやつとそう評価されていた。
ある日、お金を盗んだことが当時の母親の彼氏にバレた。その人は兄が盗んだと見抜いてくれた。これでやっと救われるんだと思った。でもその後、その人が私の方に来て、「お前が盗んだだろう。(仕事中の)母親にも電話したからな」と言われた。その後、母親から電話がかかってきた。ようやく救われると思っていたから、ちゃんと打ち明けようと思った。「お金は盗んでない。今まで言えてないことがある。今まで起こっていたおかしなこと全部話す。」と言った。激昂していた母親は「今まで言えてないことってなに?お前が全部悪いんだろう。」と言った。このとき、親の助けはもう期待できない。私が家を出るまで我慢するしかないんだと思った。
その後も、兄のこと以外でも私が何かしようとしたり、希望を持とうとすると、どうにもならない理不尽な障壁が生じることばかりだった。
運命とか神様なんて信じてはいないけど、私が幸せになろうとするから、早く死なないからこんな理不尽な目に合うんだと思えてならない。
大人になった今、愛されたい思いが強くある。でも底のない満たされない愛情欲求となっている。恋人にそれを求めてしまっている。初めて付き合う人で5年続いたけど、そのことが強く負担となっていたので、時期を決めて別れることになった。
満たされることのない愛情欲求を抱いてしまう私は誰かと一緒にいると迷惑をかけてしまう。一人で生きるしかない。でも一人で生きられるほど私は強くない。
こんな呪われた人生に生まれたくなかった。贅沢なことは言わないからせめて普通の家に生まれたかった。こんな愛情欲求捨ててしまいたい。
輪廻転生なんて信じていないけど、もしそんなものがあるのなら、来世は普通に生きてみたい。

感想1

読みました。子ども時代に、身近な逃げられない人間(兄)から酷い扱いを受け続け、それに気づき助けてくれるはずの身近な大人からも守られず…というのは心に深い傷がのこって当然だと思いました。
「底のない満たされない愛情欲求」とあなたの表現にありましたが、そのような「底のない飢えや渇望」というのは、傷つきながら孤独に耐えるしかなかった時間があったことによる後遺症だと私は感じています。(私も形や程度は違いますが、同じような気持ちがあります)

聞いてみたいと思ったのは、自分の愛情欲求の強さとその背景にある過去に、あなたがどう気づき、どう向き合っていったかです。
恋人にそれを求めてしまっていると気づき、時期を決めて別れようとまで思えるところに、私は「強さ」のようなものを感じました。自分の願いや欲求を真っすぐに見つめて、それをある程度抑えるのは(抑えるのが正しいかは別として)、心理的負荷や葛藤が大きく、守られて育った人にさえ難しいことだと私は思っています。あなたがそんな苦しい思いで孤独を選ばなくていい未来を、私は願っていますが、「一人で生きるしかない」と一度思ったあなたには、案外遠からずその未来を掴めるのではないか…と思いました。
無責任で楽観的な予想と思われてしまうかもしれませんが、私がそう感じたことだけは、それがあなたの救いになるかは別として、どうしても伝えたい気持ちになりました。
同じく、一人で生きられるほど強くないと認めることも、「強さ」のようなものに感じます。
どういう意味かというと…自分の現在地や気持ちをありのまま認められることが、人生を取り戻していく何かしらのスタート地点というか、大きなポイントのように私は感じていて、でもそれは思ったよりも難しいことだと思っていて…。少なくとも自分は、そこから目を逸らして生きています。でも本当は向き合うべきだと思っているから、あなたに尊敬のような感情を抱いてしまうのだと思います。

あなたにこれ以上理不尽な目に遭ってほしくないですし、幸せになる権利や自由は、誰にでもあるものだと思っています。
ただ一方で、あなたが書いているように「呪われた人生」というのは実際存在していますし、大人になって家族から離れられたとしても、簡単に呪いから解放されることはないのでしょう。そのことを思うと、生きるってあまりに理不尽で不平等で、もっとどうにかならないものか…と歯がゆさを感じます。せめてこの不平等な現実が、広く社会に認知され、適切なサポートを受けられるようになるべきだと思いますし、そのために私にやれることはしていきたいです(自分の力は小さすぎますが…)。
それを実現するには、このような発信を当事者がしてくれることはとても大事で不可欠なことなので、経験談を送ってくれたことに感謝しています。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。

10代の頃にこれだけの期待と裏切りとが重なっていく生活を経験していく中で、本当によくここまで生き延びてくれたと思いながら読んでいました。
あなたの「やっと気づいてくれる」「ようやく救われる」という言葉に、あなたの母親への大きな期待がうかがえました。今度こそは自分のことをみてもらえると思える瞬間だったのだろうと思います。
そんな淡い期待してもしても、ことごとく裏切られ続けて行くことで、期待の相手がいつしか「母親」から「恋人」に転換していったのかなと私は感じました。だから、恋人に対して過剰な期待や強く求める気持ち(あなたは「底のない満たされない愛情欲求」と表現しています)が暴走するのは無理のないことだろうと思いました。

また、小学3年生の頃から、守ってもらいたい存在である母がほぼ不在の中、兄からかなりひどい暴力で支配を受けてきたのですから、「自分に気に食わないことがあったら殴っていいんだ」と思ってしまうのは、無理もなく、そらそうだよと思いました。兄から暴力を受けるだけでも相当なダメージだったと思いますが、それに加えて周囲の大人が気付いてくれず、あなたのせいにしたことは、あなたの心や尊厳を深く傷つけただろうと想像しています。

心に受けた傷は簡単になくならないと思いますし、あなたが今苦しんでいる気持ちや感情は、本当に書いてくださった過去の出来事からきているだろうし、それがまさに「底のない満たされない愛情欲求」なのだろうと感じました。

「一人で生きるしかない」とありましたが、こうして死にトリに経験談を送ってくれたのは、その後にある「でも一人で生きられるほど私は強くない」という気持ちがあったからだろうと私は感じています。
こうして死にトリとつながったのですから、もう一人ではないと私は考えます。本当に些細なつながりですが、このつながりから、あなた自身が自分で自分のことを満たすことができるように願っていますし、あなたが自分を助けることの手助けに死にトリがなれたらと思います。いろんなコンテンツがあるので、これからも利用してもらえると嬉しいです。

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