以前、仕事場でよく面倒を見てくださった先輩から見放された時の話です。
「君は昔の僕によく似ている。良かれと思ってやった事が全て裏目に出て、周囲から馬鹿にされてもそれは仕方が無いと誤魔化して、問題に真剣に向き合おうとしないで。
人生を舐めているんだよ。
そうやって生きるしか無かったのかもしれないけど、そのままじゃいけないだろう。
君は自分の意思で変わりたいと思わなければいつまでも駄目な君のままだ。」
ずっと頼ってきた先輩からそう怒鳴りつけられたのです。
当時、私は元々居た部署で上司とぶつかった末に部署を異動しました。
その先輩は私に色々なことを教えて、私も新しい仕事に目を輝かせ「ここならばやっていける」と考えていました。
しかし、その部署でも様々なミスを重ねに重ね、何度も叱責を受け、最後は仕事場に居る事も苦痛になり早退や欠勤を重ね
そんな私に遂に先輩の堪忍袋の緒が切れたのです。
最終的に私は適応障害の診断を受け休職。
復帰後はまた元の部署へ配属。
人間関係は良好とは言えず、仕事も全く自信がない。
何かの拍子に周囲に人が居ることが堪らなく怖くなる。そんな日々を送っています。
仕事場から逃げ出したい。そんな時、先輩からぶつけられた言葉に責められます。
君はそのままでは駄目だと尊敬する人から言われた。
でも駄目な自分と向き合えない。
それならば何故生きるのか。
先輩に貰った成長の鍵となる言葉は
同時に自分の現状を責め立てる言葉で
捨てる事も受け入れる事もうまくできないまま
生きづらさの一ピースになっています。
感想1
先輩から言われた言葉を読んで、正直なところその先輩に対してイラッとしてしまいました。もしかしたら、あなたは昔の先輩に似ていたのかもしれないけれど、だとしても決めつけているなぁと思いました。また、本当に言いたいことは別にあるような気がしたのです。それを正直に言わず否定する言葉(と私は思いました)で言うなんて酷い…!そう思ってしまったのです。ましてや、良く面倒を見てくれ、そして尊敬していた先輩に言われるのは、言葉以上に突き刺さるものがあったんじゃないかと思いました。あなたが駄目なのかはわからないですが、少なくとも「駄目な自分と向き合えない」とこうして言える時点で、あなたは自分自身に向き合っている、向き合おうとしているのだと思います。(この言葉を人から教えてもらったので、受け売りなのですが…)私には真剣に向き合うってどんな状態なのかいまいちわかっていません。きっと、正解はないのかもしれません。だって、向き合い方は人それぞれだから。けれど、これまで向き合ってきたあなたがいるからこそ、先輩からの言葉を「捨てることも受け入れることもうまくできないまま生きづらさの一ピースになっています。」、そう言葉にできているんじゃないかなって思いました。