経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

楽になりたい

しんどいです。体の不調がもう何年も続いていて、病院に行っても不定愁訴、自律神経失調症と言われてきました。処方で改善もされず、結局ストレスなく過ごしましょうと言われて終わり。どうも、いたって体は健康なようです。
家庭環境も悪くないし、いじめられた経験もない。特に不自由なく暮らしています。それでも、頭は痛いし、めまいはするし、体のあちこちが痛くてだるい。市販の鎮痛剤を毎日飲みながら、ただ生きていることが、しんどいです。

私は精神科で働いています。仕事にはとてもやりがいを感じています。毎日誰かの思いを聞きながら、その苦しさを共感できる自分がいます。それに少しだけ救われています。私は1人じゃない、だからあなたも1人じゃないからねと、心から伝えられます。
でも、朝起きて、身支度をして、電車に乗って、席に着くだけでも、だるくてたまらない。座ってパソコンに向かうだけの姿勢がつらい。なんとか1日耐えて、帰るとすぐに横になる。そこで生きるのってしんどいなと、やっと涙を流すことができます。そんな毎日の繰り返しです。

体が痛いと言って、鎮痛剤を常用しているのも、職場では笑い話にしています。周りが「飲みすぎるなよ」と笑ってくれるから、私は””普通””でいられます。無理するななどと心配する人はいません。
私なんかよりよっぽど仕事ができる人たちが、しんどいけど頑張っていると言うから、私はもっと頑張らなければなりません。
彼女たちは、体調不良で休みがちな同僚のことを「私の方がしんどいのに」と愚痴を言います。正直、人が足りずにしわ寄せが来るのは確かです。でも、しんどかったら休めばいい。その人たちだってしんどいなら、休めばいいんです。私は「休めばいいのでは」「無理しなくていいのでは」と何度も言いましたが、「でも来れるから仕事する」としか返ってきません。
私も、出勤できるんです。布団から這いつくばりながら、満員電車でよろめきながら、席に座っているのもつらいのに、「じゃあみんなで頑張りましょう」と笑って誤魔化しています。だったらまだまだ、頑張れるはずですよね。無理して頑張るしかありません。

ただ、動けなくてどうしようもない日というのもあります。そういう時は、なんとか理由を探して休むしかありません。休みの連絡を入れるのがこわくて、休むためにどうしてこんなに苦しまなければならないのかと思います。
みんなも私と同じしんどさを隠して、頑張っているのかもしれないし、それが””普通””なのかもしれません。
だとしたら、こんな普通のことで、死にたいなんて思う私がおかしいんだと思います。

仕事柄、知識も多少はあるので、この心身の不調に思い当たる節もあるのです。思い立って精神科に…と思っても、初診予約がなかなか取れず、「もういいや」と簡単に諦めてしまいます。どうせ予約がとれても、休むことになりますから…「私の方がしんどいのにね」とみんなが困る姿が目に浮かびます。周りに迷惑をかけたい訳ではありません。
でも、出勤したとて、満足に仕事ができているわけじゃないので…思考が停止することも増えました。もはや、私にはどうすればいいか分かりません。この体がある限り、苦しむしかないのでしょう。

この身を投げ打って、物言えぬようになれば、周りも休みを認めてくれるのでは? などと考えてしまう瞬間があります。休むために死にに行くなんて、本末転倒ですよね…よくよく分かっています。だから本気で死ぬつもりはありません。自傷行為も自殺行為もしません。そもそも痛いの、嫌ですから。ただただ楽になりたいだけなんです。何も考えたくないし、何も感じたくない。生きているのがつらい。その思考の行く末が、私の『死にたい』です。

こんなふうに思ってる人の支援をしたいと、この仕事を選びました。そんな私自身が、周りを頼れないことにも、絶望します。生きていてくれてありがとうと人には言えるのに、内心さっさと死んでしまいたいなと思っています。
こんな自分に、もう疲れました。無理をするしか方法がありません。

感想1

体調不良は目に見えないので、本当に難しいと思いました。そして、だるいとかつらいとか痛いとかも人と比較できないので、我慢強い人ほど「自分は大したことがない」「他の人も大変だから」と自分で引き受けてしまうのだろうと推測しています。最後の一文、「無理をするしか方法がありません」というのが重く響いてきます。あなたの経験談を読んで、同じようにつらいのを我慢して、周囲に知られないように平気にふるまっている人はけっこういるのかもしれないと感じています。読みながら、どうにかしてあなたに休んでもらう方法はないのだろうか、無理をする以外の方法はないか悶々としていました。
発熱とか骨折とか、誰が見ても明らかに休んだ方がよさそうだとわかるように、あなたの体調不良も誰にでも目に見えてわかるようになって、「仕事は休みましょう」という指示が出るような測定器があったらなどと妄想してしまいました。ただ、あなた自身にも思い当たる節もあるとのこと、体調不良の背景もあなたなりに理解しているものの、それが分かったからと言って…という諦めの気持ちもあるのだろうかと感じています。
そもそも、つらい時に休むことができる、周囲もそれを快く了解してくれる職場はどうやったらできるのかな?とも考えています。今は人材不足のところも多かったり、全体的に労働環境に余裕がないので、休みたい時に休める職場というのは難しいのかもしれません。そして、働き方ももう少し個々の事情に応じて柔軟に働けるような仕組みがあってもいいのにと思います。あなた自身、精神科の今の仕事には動機も強く、やりがいや意欲もあるようなので、例えば週3回働くとか、1日の働く時間を短くしてもよくて、体調が悪くて働けない分は所得保障があるような、誰もが安心して働くことができる仕組みができないものかと一人いろいろ考えています。
人によってしんどさや痛さ、苦しさの基準は違うと思いますが、その人が痛いと言えば痛いし、しんどければしんどいし、休みたいと思ったら休めばいい…そんなことが許容し合える社会で生きたいと私は思いました。精神科の現場も体感し、自らもつらさに耐えて生きているあなたの意見を聞きたいです、と声をかけたくなるような経験談でした。
投稿、ありがとうございます。

感想2

逃げ道や退路を断つような思考となっている自分自身に疲れ果てていることがとても伝わってきました。
あなたが自分の考えをお話する時に“~ません。“という結びが多いことから私はそう感じ取りました。これだけ自分自身について考え、仕事では患者さんの気持ちを感じ取り、同僚とはうまくやろうとしているのですから、私があなたならどこからどこまでが自分の意思や気持ちなのかわからなくなるかもしれません。
仕事柄、自分の心身の不調について原因もわかっているということですし、日々何とか折り合いをつけて頑張っていることと思います。
あなたは、育った環境は悪くなく、何らかの暴力も受けてはこなかったようですね。以前、他の方の経験談でも「私は恵まれた環境で育ったのに、死にたい。そんな自分に罪悪感があります」という投稿を複数目にしました。そういった経験にどこか共通しているのは、家族や周囲からの期待、つくられた自分へ必死に適応しようとする姿でした。
頑張っている自分、普通の自分、ひとの為に生きようとして自分を二の次にしている自分…皆さん必死だし、それが“普通”だと思っているから気づいたらエネルギーが枯渇している姿です。あなたはどうでしょうか。経験談にもいくつかの“普通”がありました。
“普通“という言葉の意味について私は改めて考えてみました。それは平均であり、周りと比べて優れても劣ってもいない姿であり、社会に生きるもののあるべき姿のような意味合いで使われるように思います。でも本当に普通ってあるのか私はとても疑問です。実は他者と比べなければ普通って存在しないのかも…って思ってみたりします。
ひとは関係性の生き物なので、比べることを全くしないことは難しいかもしれません(学校教育が最たるものですが…)でもひとはそれぞれに侵されてはいけない権利や個性、領域を持っています。特に日本はそれが侵されやすい社会(家庭、学校、職場等)だと私は思います。少し横道に逸れてしまいましたが、そんなことをあなたと語ってみたくなりました。
こういうことをひととひとが語れないと容易に“自分”を見失うような社会です。そしてその先にあるのはあなたが言う通り、死にたいという気持ちなのだと私は感じました。
これからも“普通のあなた”だけではなく、“本来のあなた”について言葉にしてもらえると少し楽になるのかもしれません。
とても大切なことを考える機会をもらいました。
投稿ありがとうございました。

一覧へ戻る