大学院を修了して社会人になり、もう死んでしまいたいと思うようになった。
死にたい理由
①結婚するか独身でいるか決めなきゃいけない②奨学金の返済③奨学金を借りてまで大学院に行ったけど活かし方が分からない④同年代の人たちが結婚や出産したとき
私はこのまま一人でなにもやりがいもなく奨学金の返済や生活のために誰にでもできるような仕事をしながら生きなきゃいけないと思うと、もう死んでしまいたいと思う。
同年代の人たちが仕事を頑張ったり、家庭を持っていく中一人で生きていかなきゃいけないと思うともう、死んでしまいたいと思う。
研究職を目指して奨学金を借りてバイトしながら大学院修了まで自分なりに頑張ってきた。しかし、就活も研究も失敗してしまった。奨学金借りてまで何やってたんだろう。私は本当は何がしたかったんだろう。分からない。惨めだ。子どものころから斜視でコンプレックスもあり、恋愛経験もなく劣等感だらけで苦しかったけど、頑張ってきた。でも何も成果でなかった。無駄だった。なんでこんな苦しい思いして生きなきゃいけないんだろう。死ぬ勇気があればいいのに。
学生時代特に仲の良かった友人がもし結婚することになったら死んでもいいかな。
どうせ今が一番幸せで悲惨な人生になっていくのだから、早く死にたい。明日は死んでますように。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
もう生きていたくない
感想2
「私は本当は何がしたかったんだろう」その言葉が印象的でした。同時に、就活や研究がうまくいっていたとしたらあなたの生きていたくない気持ちはかわっていたのだろうか?と考えました。なんとなくですが、うまくいっていたとしても、失敗できないプレッシャー等に苦しんでしまうのかな、どうだろう…なんて考えていました。なにが言いたいかと言うと、あなたの死んでしまいたいという思いの本質はもっと奥深く、別のところにあるんじゃないかということです。学校を卒業し、就職し、奨学金を返済しながらもそこそこ充実した日々を送る、そして適齢期に結婚する…そんなルートを社会が求めてしまっている、それが関係しているように感じました。(私自身がその価値観に苦しめられているからそう感じただけかもしれません。)成果が出なくてもあなたが頑張ってきたことはかわりないし、成果が出なかったからと言って頑張ったことがすべて無駄じゃないはずなのに、社会は「結果」で評価する…そして、周りの友達がそれをクリアしていく様子を見ていくと、一人ぼっちな気持ちや焦りが出てきて、たどり着いた先に「もう生きていたくない」という思いがあるのではないかなと感じました。あくまで私の想像なので、全然違っていたら読み飛ばしてください。経験談の投稿ありがとうございました。
感想1
投稿ありがとうございます。
「虚しさ」が伝わってくる文章でした。大学院を出た身として、あなたの「死にたい理由」の②と③に深く共感しつつ、それは社会の問題だよな…と嘆きながら感想を書いています。
私が大学院に進む際に言われたのは「就職しにくくなる」と「研究職は空きが少ない」という話でした。当時はその話をスルーしましたが、学びたくて選ぶはずの研究の先に十分な環境が整備されていないのはなぜかと疑問に思っていました。あなたの「無駄だった」という感覚はそうした不十分な環境・社会ゆえに感じさせられていることであり、あなたの「研究」が実際に「無駄」というわけではないように私は考えます。とはいえ(何をもって「失敗」かは横に置きます)「失敗」に終わったとあなたが感じる以上、その感覚は残り続けるのかと思い、奨学金問題を含め、安心して研究できる環境・社会はどうしたらできるのかと考えさせられています。
あなたは主に恋愛などで「周り」と比べ「死にたい」と思うとも書いています。これは「コンプレックス」や「劣等感」が関係しているように思いつつ、ここにも社会の価値観の影響があるかと感じますが、どうでしょうか。あなたの「理想」と社会の価値観のあたりをあなたと話して「研究」したいと思う私がいます。よかったらまた書きに来てください。