経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

死にたい

私は家庭に恵まれています。親がいわゆる毒親でもないし、ましては暴力を振るわれたことなんて1度もありません。小学校の頃から塾にも通わせてもらいました。ピアノだって習わせてもらいました。学校の先生にも「いい子だ」と言われそれが嬉しくてたまりませんでした。それと同時にこの期待を裏切ってしまわないように、そう思うようになりました。
成績も小中はいい方でしたが、他人から見ればいい点数、けど親からしてみれば96点のテストも「なんであと4点が取れないの?」
100であらねばいけない、そうしないと認めてもらえない。ふと校舎の3階から下を見た時に落ちたらどれだけ楽なんだろうと考えるようになりました。

高校は進学校でしたがいわゆる落ちこぼれ。成績が出る度に死にたいが増しました。3年生になると保健室に通うようになりました。クラスでいじめられていた訳ではないのですがどうしても雰囲気に馴染めない、浮いているな、と感じていたからです。この頃から自傷行為を始めました。保健室の先生には話しましたが、他に話す人はいませんでした。友達もいましたが、自分のことを話して離れられたらどうしよう、という恐怖が大きかったからです。そこで初めてカウンセリングを勧められました。学校にやってくるカウンセリングの先生にその時の心境を話し、久しぶりに泣きました。次の日、担任に呼ばれました。カウンセリングで何を話したのか私にも話せ、というのです。なんで、と思いましたが拒否するのさえ怖くて結局全部話しました。少しは馴染む努力をしろと言われました。悔しくてそのまま保健室に行き泣きました。その時の担任は今でも嫌いです。

大学は親が望んでいた教育系の大学に行きました。自分のしたいことがなかった訳では無いですがそれを優先するということは親を裏切るのではないかと思ったからです。毎日電車の中でいきたくないと感じながら大学に通い、サークルの部室で単位を落とさない程度にサボりました。後期に入り、部室で何かされたとか、そういう原因もなく突然泣いてしまいました。1回だけに終わらず、2回も3回も泣きました。見かねた先輩に連れられて初めて心療内科に行きました。うつ病の診断をもらいました。親には言えないな、そう思っていましたが家に帰り、処方された薬を飲まないと、と思ったら薬でバレると気づき親に行った経緯を話しました。母親はなんで黙ってそんなところに行ったのかと言われ、父親はそっか、と一言言い、寝ておいでと言われました。
母親はうけいれてはくれないんだろうなと感じました。
それから大学を辞めました。私のしたかったことをしようと父に言われしたかったことができる短期大学に入り直しました。
大学に通っていた頃よりは死にたい頻度は減りましたが、それでも死にたかったです。元気の振りは板に付いていたので辛くても人に言わず黙り通しました。取り繕えない時には大学に行かないようにしました。
ダメな日には食事中に泣いていました。その度に母親に文句を言われました。ご飯を食べるのが嫌になりました。どうするのがいいのか分からなくなり就職は遠くにしようと決めました。

就職は上手くいき、親元を離れました。それと同時に通っていた心療内科に行くことが出来なくなり、誰かに心の中を喋ることが出来なくなりました。辛い苦しい死にたいを誰に言っていいのか分からなくなりました。なんで辛いのか、なんで苦しいのか、なんで死にたいのかも分からないのに誰に頼るのだろう、と思いました。

今はただ辛くて、苦しくて、死にたい。

感想1

親、教師、特に母親から「いい子」を求められ続け、なまじそれに応えることのできる力があったからこそ、自分を殺し、期待されたことに応え、それもまたあなたという人の一部ではあるのでしょうが、本当の自分(本当の自分、という表現は適切ではない気がしますが便宜上そう表現しますね)を出さず、ずっと我慢してきた方なのかと思います。そしてその表現方法としての涙で、そのような形で感情を出し、周りにSOSを出してきたのでは、と思います。親は無意識にも意識的にも、自分の子供を所有物として扱いがちです。お話を聞いているとその母親はあなたではなくあなたの外側、やステイタスを見ていて、あなた自身を見てくれていないように感じました。そのような表面下では存在を、もしくは親が認めたくない部分を否定するという行為は世の中のイメージしている虐待とはまた違った側面からじわじわと心を痛めあつける、緩慢な虐待といってもいいのではないでしょうか。そのような中でも短大を卒業し、親元を離れることをやり切ったことは、あなたの聡明な判断とそれを実現させる強い生きる力を感じます。

もし誰かに「つらい、死にたい」ということで少しでも苦痛が和らぐのであれば、この死にトリを使ってくださってもかまいませんし、新しく今の自分の街で自分に合った心療内科を探すのも一つではないかと思います。もう、あなたの行動や発言を制限する存在からは離れられたわけですから。

なんで死にたいのか、おそらく死にたいと思う人にはなにがしかのきっかけがあるかと思います。もしくは小さなことの積み重ねでこれという原因はないけれど…という方もいるかもしれません。ただ、原因は何か、を追及してその原因に対して何かをすることで楽になることは少ないような気がします。何が原因で死にたいかを追求し、自分を見つめなおしたい気持ちはとても分かりますし、私自身も時折そのようなことをしています。しかし、原因よりも、今どうしたらその死にたみ、あるいは痛みは軽減するのか、を考えていく方があなたの心の澱のようにたまったものが、少しづつ膿として出ていけるような気がします。

辛くて、死にたくて、苦しい。

どこででもいえる言葉ではないし、だれでも受け止めてくれる言葉ではないかもしれない。でもそれが言える場所、人、この場所も含めて出逢っていければと思います。そう思ってしまう、感じてしまうことまでご自身で否定してしまわず、発信し続けていただければと思います。

感想2

経験談を投稿してくれてありがとうございます。「いい子」でないと認められない(と感じる)、親の望んだ自分でなければならないというのは、どれだけ傷ついてもおかしくない状態です。なので、あなたは母親さんのことを毒親といっても、差し支えないのではと思いました。今は離れているとのことで勝手に一安心しましたが、今も過去のダメージに苦しめられているのかなと推察します。

どうしてつらいのかがわからないと書いてあったので、「つらチェック」をしてみるのはどうでしょう?「つらチェック」は死にトリの1コンテンツで、死にたさや生きづらさを分析するツールです。役に立つかわかりませんが、ぜひやってみて感想を教えてほしいなと思いました。

適切な医療を受けるのは人として当然の権利なのに、なかなか安心して医療を受けられないのには、やりきれない気持ちになります。あなただけではなく、家族や周囲の人の反応が気になったり、受診を制限されたりする人がかなりの人数います。どんな仕組みがあれば医療を受けやすくなるか、アイディアがあれば教えていただきたいです。

感想3

母親の期待通りにならなければ認められない環境で生きてこられて、死にたいほど苦しんでいるということなので、あなたにとって母は毒親と言ってもいいのではないのだろうかと思いました。少なくとも、同じ家にいる大人にそうしたメッセージを受け続け、元気な振りをし続けないといけなかったら、とても苦しくなるのも当然だろうなと思います。また、学校でも「いい子」を保ったり、先生に理不尽に責められたりした経験でも、「死にたい」が塗り重ねられていったのだろうとイメージしています。

就職を機に、親と離れる選択をされたことは、大きな一歩だったのではないかと思います。ただ、環境が変化した今も、心身に染みついてしまった死にたいほどの苦しさに苦しめ続けられているのではないかと想像します。また、変化したからこそ新しく迷うこと、辛いと感じることもあるだろうと思います。

特定の辛い理由があるときにだけ、他人を頼るのではなく、いつでも誰かを頼り、頼られるのが当たり前の社会にならないものだろうか…と思いました。また死にトリでもお話を聞かせてもらえたらと思っています。

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