はっきり言えば今の私は幸せですし、不満や辛いことがあるかと聞かれれば答えはNO。
それでも私の後ろには、常に影のようにぴったりと、希死念慮がつきまとってるのです。
それがいつからかもわからないですが、はじめて「死にたい」と口に出したのは10歳の頃だったかと思います。
今思えば、性的虐待をしてきた祖父や、それを見て見ぬふりをして私のせいにしてくる母、
子供に関心がない父など、理由はいくらでも作れます。
実際中学入学以降精神的に不安定になり、自傷行為や自殺未遂、ODなど典型的な所謂「メンヘラ」として生きていました。
それでも生き延びてきたのは、どこかで「絶対幸せになってやる」という生に対するモチベーションがあったことや、数少ない大切な友人たちの支えのおかげです。
社会人になり、親に否定されてきた自分の存在や価値観が間違いではなかったことを学び、徐々に精神は安定してきました。
周囲の環境ももちろんですが、物理的な距離を置いたことや、金銭的に自立したことも大きいでしょう。
理由もなく涙が出たり、首を括ったり、薬を大量に服用したりするようなことはここ1年全くありませんでした
それでもふと、「いつ死のうか」という考えに襲われ、頭から離れなくなる。
何も辛くない、どう考えても5年前のほうが辛い状況だったし、「死ぬモチベーション」は高かったはずなのに。
ご飯は美味しいし、趣味も楽しい。
それでも今のほうが圧倒的に、「それ」の存在を身近に感じるのです。
いうなれば、クリアしたゲームを惰性で続けている感覚で、いつ辞めようかな、飽きたなと常に考えながら生きている状態。
シンデレラだって桃太郎だって、幸せに暮らしましためでたしめでたしで話が終わるように、
私の人生も、もう物語として終わりを迎えたように感じられてならないのです。
「それ」から逃げ続けるために行きたい場所、やりたいこと、友達や家族との予定など、楽しみを作って生きる理由を作るときもあれば、
奨学金の支払、自殺した場合の死体処理などの死んだらいけない理由を作っているときもあります。
はたから見たら、とても意欲的な人間に見えていることでしょう。
でもそうしていないと、私は「それ」に飲み込まれて、死んでしまうのです。
自分が5年後生きているイメージが全くわかない。
自分のことなのに、どこか他人事のように「死んでしまうんだろうな」と感じるのです。
もし私が死んでしまったら、きっと友人や配偶者は「自分がもっと支えていたら」などと、自分を責めるでしょう。
でもそんなことないんです。
きっとどれだけ幸せになっても、なんなら幸せになればなるほど、「それ」は私に近づいてくるんです。
だって、めでたしめでたしなのだから。
いつか「それ」に追いつかれてしまったときに、大好きな人たちが自分を責めないでいてくれること、今はそれだけが願いです。
感想1
投稿者さんが暮らしながら考えたことや気づいたことを率直に書いているような感じがして、整理されていて理解しやすかったし、表現にすごく納得しました。とくに「クリアしたゲームを惰性で続けている感覚」という表現がとても心に残りました。
「どこかで『絶対幸せになってやる』という生に対するモチベーションがあった」と書かれていましたが、「クリア」するまでの日々は強い目的意識を持たないといけない大変な状況だったのではないかとも想像しました。また、だからこそその続きの人生の中で「幸せ」を感じる一方で、その後のイメージが湧かないまま「いつ死のうか」「死んでしまうんだろうな」とも感じているという面もあるのかなとも思いました。
投稿者さんの経験談を読んでいて、最近読んでいた『その後の不自由 「嵐」のあとを生きる人たち』という本のことを思い出しました。この本はアルコールや薬物依存症の女性たち自身の当事者研究を元に書かれた本なのですが、トラウマ的な状況を生きてきた人たちが、多くの問題に直面していた「一番大変な状況の“あと”」でどう生きてきたか、ということが書かれていました。その中で「回復とは回復し続けることだ」と書いてあったのが印象的でした。私自身「回復」真っ只中で、「前に比べて全然困ってないな」と思ったと思えば「いや、やっぱり全然無理」となったり「いや、回復ってそもそもなんなの…」などと感じることも多いのですが、でもちょっとあとになって振り返ると、実は状況が変化しているというということもありました。
だからといって、個人の体験を一般化するつもりもないのですが、投稿者さんの状況や感じ方や過ごし方も、また気づいたら変化しているということもあるのではないかと思いました。
投稿してくださってから一月くらい経ちましたが、最近はどんなふうに過ごしているでしょうか? 投稿者さんが考えていることや感じていることをまた聞いてみたいです。よかったら、また死にトリに参加してもらえたらうれしいです。