わたしにとって最古の記憶は、ある詩集(現在の愛読書)を読み終え、潮風が吹いた瞬間から、唐突に始まっている。
毛穴と髪がそよいでいくのと、火照る頬を冷やす感覚と、風の温度と質量に驚いた。
そして、声を上げて泣いたのである。
忘れもしない、16歳の夏、わたしはやっと生まれた。
驚かれるかもしれないけれど、わたしには16歳以前の記憶がまったくないのだ。
アルバムを見ても、まったく身に覚えのない少女が能面のような無表情で棒立ちしている。
母や兄が話す幼少期のエピソードも、いくらきこうが、つまらない悪趣味な映画をしけたポップコーンをかじりながら見るようなどうでもよさとうっすらした嫌悪を感じ、他人事のようである。
アイデンティティの確率が遅いために、まだ名前を呼ばれるたび、「ああ、わたしはこんな名前だったか、」と看板を外されてしまった解体中の建物がなんだったか思い出した時のようなあいまいさで、新鮮に、かつどうしようもなく感じる。
父はわたしが高校を卒業すると同時に蒸発し、とうとう養育費を払わなかった。
なぜだか父の顔と名前、ぜーんぜん、思い出せないんだよなあとふしぎに思っていたが、なんとその答えは小学生の頃の日記にあった。
日記を綴った『彼女』と『わたし』がまったく結びつかないままだが、どうやら『彼女』は性虐待を受けていたらしい。
驚きの新事実である。
『彼女』は『それ』以降、父の顔がのっぺらぼうに見えるようになってしまった。
わたしには、思考と感情と身体感覚をばらばらにできるという特技があるんだけど、それも『彼女』が『それ』を受けている最中に編み出したものらしい。
なんか発育をからかわれて悲しくて、つらすぎて朝ご飯も給食も抜いて、夕食に白飯一膳ですませてまで発育を遅らせようと努力をしていたようだ。
あと「お前は風俗嬢になるんだよ」と言われ、それ系の求人も渡されていたっぽい。
えらいこっちゃだけど、もし『彼女』と『わたし』が同一人物ならたいしたことである、よく生き延びたな。
正直自分を誇りに思うレベルである。めっちゃウケるんだけど。
よく考えたら男の人とかめっちゃ怖くて、カフェのカウンター席で隣に座るだけで謎に動悸がして目の奥チカチカするし、全身血の気引いたりするけどもしかして、後遺症だったりするんだろうか。はた迷惑な話だな。
今、わたしの体は歯の根が合わずに号泣しながら書いてるわけだが、特技のおかげで思考はへらへらし、感情も凪そのものだ。
なんなら、word打ちつつ、別窓でインスタ見ながら視界の端に泣いてるわたしがちょろっとある、くらいで自分が二人いるみたいだ。
困ったことに「つらい」は背骨が固定されて、心臓が絞られる身体感覚でしかないし、「たのしい」だともっとわからない。
涙一粒さえ振り払えないまつ毛の脆弱さを思うと、表現はおろか感知するなど到底できないくらい、わたしは虚弱であやふやな存在なのだ。
わたしは小柄で童顔、服装もフェミニンなものが好きだからか「ピュアな感じ」とよく言われるが、そういわれると不安になる。
期待を裏切っているような、相手をだまして不当な評価を得ている悪人になったような、
ため池の底を掻きまわして、あらゆるへどろをぐっとんぐっとんにして濁らせているような…どうも落ち着かない。
そういう時はいつかの『それ』を思わせるアダルトコンテンツを見るに限る。
それで自慰をして、めちゃくちゃに自分を罵って貶めると最高だ。
わたしは下ネタが嫌いだが、根がクソビッチなので、なんだかんだ身体感覚は快楽におぼれるし、自分を痛めつけて貶めるのはめちゃくちゃ気持ちよくてすかっとする。
しかし気づいたら泣き叫んでいるし、自傷はするし、皿も割っているし自己嫌悪と罪悪感と恐怖で使い物にならないくらい落ち込む。
わたしは見た目で人をだますような性悪なので、いたいけで心優しい青年をたぶらかしてしまった過去がある。
このままでは人を不幸にしてしまうし、青年がわたしを嫌わなくてもわたしが青年を嫌っていじめるとよくないと感じ、交際の申し出を断った。
青年はわたしを「思わせぶりな態度しやがって、ブスが」とののしり、去って行った。
何が彼を怒らせたのか不明だが、わたしは過去に父を狂わせたのでやはり根がクソビッチなのだと感じる。
今も誰かがひどい目に遭っていないか心配だし、もっと言うと勘違いさせておきながら、わたしは被害者になることを恐れている。
母にもわたしがクソビッチゆえに他人を不幸に追いやってしまうと相談したが、『彼女』がほんとうに『わたし』である確信を持つ材料があまりにも欠けているために、前提条件を省いたせいか
「おまえみたいなブスを誰も好きにならない、もっとかわいい子はいくらでもいる」
と怒らせてしまった。
何を間違えてしまったかわからないため、かわいこぶることをやめ、悲劇のヒロインぶらず母の気に入るふるまいはどんなものか頑張って探ったが、結局母の機嫌によるだけで、わたしが生きているだけで人を不快にしていることだけがわかった。
わたしが好きなアニメを見ると、
「趣味の悪い絵、ほんとうに気持ち悪い」
「なんて無理のある脚本なの。この演出、どうなってるのかしら。矛盾ばかり。どうせつくりもの」
小説を読めば
「根暗の趣味だ。」
不眠や幻聴が苦しくてたまらず、必死の思いで苦しみを和らげ、すがろうとおまじないの本を読めば
「こどもだましね」
「こんなの、きちがいのやる趣味だ」
と母はせせら笑った。
アニメにも小説にも大好きな憧れのお姉さんがいたが、母は彼女らの言動を面白おかしく茶化して、裏声でせりふをまねた。
顔から火が出るほど恥ずかしかった。
なんてわたしは愚かなんだろう。変な、気持ち悪いものばかり好きになって。ばかばかしい。
いつの間にか好きな小説もアニメも話題に出るだけで動悸がし、自分が嫌いになってくるしくなるから、わたしに趣味はない。
いまだにストレス発散の方法がまったくわからない。
ネットで調べたら、好きなものについて調べると発散になるらしい。目からうろこだし、知らない、遠く及ばない世界だと思った。
そんな母だが、わたしが病気になると、とてもやさしくしてくれる。
だからわたしのあこがれは不治の病にかかり、母に優しく看病されながら死ぬことだが生憎、死なない程度の不調が時々降ってわくばかりで決定的な瞬間は訪れていない。
もちろん、精神的な不調だと母基準の「やさしくするべき状態」ではないので注意が必要だ。
あまり継続して働けていないし、引きこもりから脱却できそうと思った矢先のコロナ禍も加えて3~5?年は引きこもったのもあり、貴重な若さを無駄に浪費した。
あいかわらず記憶があいまいで、ほとんどぶつ切りの状態だから強く印象に残らない限り、わたしが思い出すことはない。
霧深い夜の海、かばんひとつさげてボートを漕いでいるような心細さと無謀さで、運よく大しけに当たらずにいる人生だ。
あるいは、猛吹雪の夜、がむしゃらに、本人は走っているつもりだが雪に足を取られ、強風につんのめってなめくじ並の遅さで這っている。
前も後ろも真っ白で、足跡ひとつ残らないような人生だ。
まとまってなくてごめんなさい、これがわたしの精一杯の、率直なSOSだ。
なんか疲れたな。すべてに。自慰しよ。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
性悪女の不在票
感想2
率直にあなたから見える世界や感じる世界をそのまま書いてくれたのだろうと思いながら読みました。人は意識や気持ちをもっているのが特徴ですが、あまりに過酷で耐えられない状況に追い込まれると、意識を変えたり、気持ちをなかったことや違ったことにして生きのびようとすることができることを私は多くの人たちから学びました。
あなたの経験談はもともとのあなたがあなたでいようとする意識(わたし)が苦しみから自分を守るために形を変えた意識(彼女)と共存しながら書いてくれたように感じています。共存することは想像以上に大変なことだろうし、とてもエネルギーが消耗するだろうし、ダメージを受けることだろうとも思いました。ただ、そうした大変さや苦痛もあなたにとってはとても当たり前のことであって、周囲からこうして大変だろうと思うと言われても、あなた自身はピンとこないのかもしれません。ただ、経験談を読んだ第三者の私としては、あなたは何の落ち度もないのに幼い時から理不尽な扱いを受けて、子どもの権利を守られなかったと理解しましたし、その現実を一身に引き受けてきたことを静かに受け止めています。(16歳に「わたし」が生まれるまでは、「彼女」が現実を一手に引き受けて、それを記憶に残らないように対処してくれたのだろうと想像しています)ただ、読んで、私は不思議と感情や気持ちを抑制しようとしている自分に気づきました。確かに、父親も母親も酷いぞと思う気持ちはありますが、そう思いつつ、「いや?親がひどいとか私が勝手に思うのはなんか違うな」と思ったりしています。普段からあまり心は動きにくいタイプではあるのですが、あなたの経験談を読んで安易に大変だとか、苦しいだろうとか、怒りなどを感じるのは違うのではないかという思いが働いています。
それは、おそらくあなた自身が意識や感情の実感の持てない状況で、勝手に私だけが何かを感じてしまうのはどこか一方的でフェアではない感じがしたからかもしれません。
ただ、そんな迷いの中でも明確に感じるのはあなた自身の存在の強さでした。ちょっと安っぽい感じの表現になってしまいますが、踏まれても踏まれてもまた芽を出す雑草のような生命力のようなイメージです。好きなアニメ、小説、おまじないの本と否定されても次の興味や感性が創作物に触れること、新しい世界を見ることを求めていきました。しかし、それもいつしか諦めてしまうのですが、単に諦めたのではなく、こうして文章を書くことという自らの創造へと方向転換をしたのではないかと感じました。私はあまり感性の豊かなタイプではないのですが、あなたの経験談の表現は独創的で芸術的な印象を持ちました。しかも、とても自然に湧き出てくる勢いを感じています。
タイトルが性悪女とありますが、書いた文章や表現はまったく異なる印象なのです。それでいて、あなたがどこか自虐的になったり、自分を卑下するような内容もすんなりと私の中に入ってきました。この感覚は何なのか考えているうちに、一つ思いついたのは、あなたの表現には読んだ相手にこう思ってほしいという願望や押し付けなどが全くないことが、自然にするすると入ってくる理由なのではないかということです。16歳の時に生まれた「わたし」は「彼女」の力を借りながらも、「わたし」でいようとしたし、今も「わたし」でいようとしていると思いました。その「わたし」は他者を安易に評価したり、押し付けたりしないニュートラルな感覚でいるので、その感覚はいったいどこから来るのだろうと考えています。死にトリを見つけて、こうして「わたし」の表現を送ってくれたことに感謝します。願わくば、もう少し続きを読んでみたいです。投稿をありがとうございました。
感想1
「これがわたしの精一杯の、率直なSOSだ。」が、本当にその通りだと思える文章でした。
経験談に、「日記を綴った『彼女』と『わたし』がまったく結びつかないままだが、どうやら『彼女』は性虐待を受けていたらしい」とありました。驚きの新事実だ、と。
あなたはそれが事実だと確信していると思いますし、この感想を書いている私もそれが事実だと思っています。でも、私はあえて「もしそれが事実だとしたら」という設定で感想を書きます。その事実を信じていないのではなく、その事実を「本当のことだ」と認める資格は、本人にしかないと思うからです。(いや…もしかしたら私の本音は違うかもしれません。私自身が自分の傷つき体験を「自分の勘違いだ」と半分思い込むことで、気持ちのバランスを取っている部分があるので、他の人のことにもそのスタンスになってしまうのかもしれません)
あなたは自分を罵る言葉を(クソビッチ、性悪、他人を不幸に追いやる…)、経験談に多く書いていました。でも本当にそうなのだろうか?と私は問いかけたいです。「酷い目に遭うのは自分のせいだから仕方ない」と思うために、あなたは自分のことを罵る必要があるのではないか?というのが私の説です。(しかしこれについても、自分がそう思うことで自分を守っているから、勝手にあなたにも当てはめようとしているだけかもしれません…)
父が『彼女』にしたことは許されることじゃないし、もし『彼女』がどんなことをしたのだとしても、悪いのは『彼女』ではなく大人です。まともな大人は、性虐待をしません。子どもがどんな言動をしようと、です。無理に信じる必要はありませんが、私は一人の大人として、そう断言します。(ちなみに、私が何かを断言するのは極めて珍しいことです)
大人の仕事は、子どもの身体と精神の自由と安全を守ることだと私は思っています。子どもの好きなものを否定せずに見守り、精神的な不調があればケアして、「生きているだけで自分は存在を認められている」と感じられるようにするのが仕事です。私には自分の子どもはいませんが、私はいつも(子どもだけでなく、十分に守られていない人の誰に対しても)その仕事を果たしたいと思っています。
私に言わせれば、あなたの周りの大人は仕事をしていなさすぎです。かたっぱしから、やるべきことと逆のことをしています。
あなたの文章は独特に詩的で、あなたの感じている世界が、情景的にすっと入ってくる感じがしました。
その表現力は、あなたの一つの強みだと私は思います。深く傷つけられたことによって起こる感覚や記憶を言葉にすることは、あなたと同じような経験のある他の人のためにも、そのようなことの起こらない社会を作ろうとする大人のためにも、大切なことです。
何をどう伝えたらいいか分からないですが、この経験談を読めたことは、私にとって貴重なことでした。投稿ありがとうございました。