私は今中3で躁鬱の不登校です。
今から書くのは私の体験談を元にどうして未来に希望がないと思ったかを皆さんに読んでもらいたいからです。読んで気持ちが楽になったりするものではないし、でも読んでる人が私みたいに悩んでいる方ならいいと思います。同じ人がいるんだなって思うと私自身楽になります。
文を書くのが苦手なので読みにくかったらごめんなさい。
私の家はシングルマザーでお母さんの実家で祖父 叔母 母 私の4人家族です。お母さんは働いているのでほとんど叔父叔母と過ごしていたと思います。でも母は休みの日に遊んでくれました。(話が飛んでますね、)今振り返ると、私がどこかに通うなど大人に恐怖心を持ち始めたのは保育園の頃でした。母が言うには私が保育園に行きたくなくて他の子は親御さんと歩いて行くのに私は母に泣きながら抱っこされて毎日いや!と言いながら通っていたそうです。私の記憶上行きたくなくなる原因は先生と一つ上の学年の女の子2人でした。明確な理由があります。行きたくないと言い始めたのも保育園に行き始めてすぐ、という訳でもなく先生(次からはA先生と呼びます)が私が通い始めて1年後に来てそれから、という感じでした。その前の担当の先生とは仲が良く大好きでした。だけど変わってしまい、A先生は私だけではなく子供に周りの先生に比べると冷たく接する様な真面目な先生でした。当時の私にはそれが寂しくたまに叱られていたのであまり好きではなかったです。生理的に無理と思ったのは、クラス全員が怒られた時でした。どういった理由で怒られたか忘れてしまったぐらいにとても私にとっては怖かったです。それが、怒られ→全員横一列に座る→何がいけないか等理由→1人づつA先生の前に行き謝るというものでした。怖くて1人づつという所がまず無理でした。最終的に最後の一人に近いぐらいで泣きながら前に行き謝ったのを覚えています。次の日から行きたくないと強く母に言って困らせていたのを覚えています。そしてもう1つの理由、女の子からの嫌がらせですがずっとされていた訳ではありません。決まってお昼ご飯の時です。私は今では違いますが小さい頃好き嫌いが激しく、保育園では完食するまで残って食べるのが当たり前でした。なのでよく先生と2人で残って食べていました。それを見かねてか、同じ班になった1学年上の女の子2人から無理やり食べさせられる様なことをされていました。全部食べるまで見張ると言うのが主にそうでした。酷い時は食べるように促し癇癪を起こし先生を呼びつけていました。それが1年近く、女の子達が卒園するまで続きました。家では耐えきれずに母に言ってしまい注意されたのか行動が大人しくなりました。A先生が女の子を褒めていたのを見てもっと無理に。
そして、小学校卒業の時にはこの時にもう今の私になる要素は出来上がっていたと思います。
1年生の担任S先生と出会ったそこが私の人生のターニングポイントだと思います。学校をよく休むようになり、10円禿げまでできました。まず、私は私自身S先生からいじめのような事を受けていたと思います。私含めクラスで2人くらい受けていました。私が主に受けたいじめは相談してもあなたが悪いと言われ、してもいないことをしたと判断された等です。あとは何もしてないのに通りすがりにゴミを見るような目で睨みつけられた、ぐらいでした。私以外の受けていた2人にしてはまだマシな方でした。
相談事と仕立てあげられた事について詳しく話します。
相談は私の置き傘がなくなったのをS先生に相談しただけでした。どこを探してもない、と私の置き傘は見つけやすいぐらいライトブルーでした。だからどこかに置いたりしても分かりました。だけどS先生は知りません。あなたのものだから知らない。ちゃんと管理してないあなたが悪いんじゃないですか?先生は責任とりませんよ。私はどうしようも出来ませんでした。だってロッカーの中に入れて使ってもいないし、人目の着くところにあったのに、無くしたとか有り得なかったからです。取られたと思ってもう1回言いに行っても相手にされませんでした。それには母も怒ったようでした。何をしたのかは知りませんが母がPTAでS先生の保護者からの評価が良くないことを教えてくれました。それから1年経ち、親友の朝顔に水をあげていただけなのに5mも離れているところから、女の子2人があー!引き抜いてるとか言ってS先生に言いに行きました。違うと女の子達に言っても聞いてくれず、してもないのに怒られ泣いていました。当然、母は呼び出され謝っていました。今でも申し訳なくて辛いです。でも母は私がしていないことを信じてくれました。親友の朝顔を引っこ抜かないと、親友は疑わずYがするはずないとだって抜いた様な感じになってないもん!と言ってくれました。親友とは保育園からの親友でぶつかる事も多くそれでもお互いを理解し合っているような仲のいい友達でした。それから3年生、S先生から違う担任に変わり(評判が悪く1年生に回った)風邪で学校を休んだ以外学校に行っていました。
4年生、また学校を度々休むようになりました。これといって理由はなく、休み癖が付いていました。5年生、クラスでいじめが起きるようになりました。クラスの仲がいい子が複数の男子を殴っていました。先生に叱られ終わりましたが、仕返しにいじめとはなりませんでした。裏で悪口を言われていました。大丈夫かと声をかけても大丈夫とかほおっておいてとかその子は孤立していました。その子とはよく話していて親同士が繋がりがありました。その子は頭が良くて中学受験をするので遊ぶ約束をしても無しになることが多かったです。トラブルをよく起こしていて注意をしてもダメでした。でも私はその子の事が仲のいい友達として好きでした。殴るのは良くないけど、6年生、クラス集団でのいじめが起こり、あの女の子2人はクラスの中心的な人に、授業中うるさくしたり問題を起こすようになっていました。その子達はいじめに加わっていたけど問題の中心は私の仲のいい男の子とその男の子が好きな女の子でした。学年で女の子(Hちゃん)が男の子(Tくん)のことを好きなのは大体の子が知っていて、告白して振られ周りに煽られHちゃんが叩く蹴るなどTくんにし、それがいじめに、でした。TくんはHちゃんが嫌いで触るななど言ってそれが大きくなり〇〇菌になりました。そこだけのものがクラスに広まり巻き込まれるのも無理がありませんでした。隣の席はTくんで次の席替えもTくん私の前はHちゃんその時に巻き込まれました。私達の机は1番後ろでベタベタ机を触ったりHちゃんが反撃したり、主に給食中に行われ偶然私の席の後ろのロッカーがTくんのロッカーでHちゃんはランドセルを落としたりわざと触ったり煽ったりなどして、私の机に触り隣の列からそれ寄越せ!(菌)と言われ渡さないと急かされたのでつい、渡してしまったのがいけなかったと今も反省しています。それ以外にも私は渡したりなど言い訳に聞こえるかもしれませんが、Hちゃんが私の机に触ったりして給食中もうるさく集中出来ずついわたしてしました。私の隣はTくん隣の斜め前にTくんと仲のいい子がいて私は場所的に邪魔でした。周りでベタベタ触って時には私を経由したルートでした。随分時間が経ちHちゃんが保健室で泣いていると担任の先生から言われました。いじめをした人で呼ばれた中にもちろん私もいました。私は咄嗟に主にいじめをしていた3人とは私はしていないと嘘をついてしまいました。それからHちゃんに謝る機会もなかったのが心残りです。それと3人に嘘をついてしまったことを謝りたい。
私は委員会に入っていて副委員長でした。委員長は受験で学校にいなく、発表は私が立場的にするのがそうでした。それが嫌でたった朝の朝会が嫌で、学校を休みました。それから学校に行っている間に拗らせた人間関係、先生との関係、治したくても治せなかった休み癖で私は卒業までの3ヶ月休みました。勿論沢山の迷惑をかけ卒業式に出ました。いつもと変わりませんでした。私は小学校の6年間お母さん叔母叔父
先生 友達 クラスメイトに沢山の迷惑をかけてきました。申し訳なくて沢山泣いてました。
びっくりしたのが卒業後HちゃんがLINEで友達にTくんのことでイケナイ発言を沢山していて
沢山裏で問題を起こしていたことがわかりました。それを先生が校長先生に話さなかったことが1番衝撃的でした。2年生の時にカウンセリングさんにぶちまけても学校附属の方なのに何も変わらなかったし、S先生にいじめられていた子は1人は転校もう1人はちょっとした障害を患っていました。他にも私のクラスではS先生が担任の時に2人も転校してるし、思えばおかしなことばかりで、理不尽で大人は味方してくれないし、辛かった。結局何も変わりませんでした。お母さんがずっと前から患っていたうつ病が悪化し、小学四年生の頃からいたマンションを出て実家に帰りました。家を出るキッカケは叔母と母の喧嘩です。実家に帰る前に母が死にたいと言っていたらしく強制で戻りました。
中学に上がり、入学して2ヶ月やはり人間関係と先生が無理で学校に行かなくなり完全な不登校になりました。毎日学校に行きたくない、自然に溢れる涙 毎晩布団で泣く毎日 起きられない朝 お母さんに人間関係が辛いといい、お母さんが通っている心療内科に行きました。良くなったかと言えば悪化しました。薬で治そうとしても、祖母が毎日学校いきなさい。高校はどうするの 大学は? ダメな親御 親不孝者など言われていたからです。それから毎日祖母に会わないように部屋で過ごすようになり、お昼ご飯はお弁当を持ち部屋で食べる毎日を過ごしていました。母と祖母は仲が昔から悪く離婚したのは価値観の違いで、それで離婚したことを責められ昔っから暴論ばかりだったそうです。それから昔は仲が良かった祖母とも仲があまり良くなくなり私の味方は母しかいなくなったようでした。祖母も叔父も私の事を考え言ってくれていることもわたしには辛くダメでした。
私の祖父は学歴主義でした。経験を元に学歴がどれだけたいせつか教えられたと母が言っていました。なので叔父2人はいい高校大学会社に行きました。いつしか祖母が私にも学歴がいかに大切か沢山言われました。でも不登校の私は勉強もしていなく普通の子達に追い付くには無理なんじゃないかってぐらいに離れていました。今思えば1時間でもいいから勉強しとけばよかったと思います。簡単には巻き返せないし、取り返せない、学ぶ機会を自分で切っているのだから。相当努力しなくちゃ行けません。
そして勉強しなかった私は眼中から外され次は従兄弟の番でした。私にはいとこが5人いるのですがみんな頭が良く祖母によく期待されていて私はダメ人間で、自分で自分の首絞めてるのに笑えますね。死にたいと思ったこともあります。それから中学二年生に上がる前に不登校を支援している学校、に行きました。クラスは小さくみんな不登校を経験している子達でした。私はそこで友達を作り普通の中学校とは違うけど学校に行き始めました。だけど祖母からはよく親不孝者とか言われます。それに耐えきれなかったお母さんと私で家を出ました。家を出る前に最後祖母に無理やり旅行に連れていかれ私 祖母 叔父 叔母 従兄弟 で旅行をしました。夜に相談の内容が聞こえてしまい、それが私の学校の話でもう嫌で嫌で仕方がなくてだけど帰れないので我慢しました。それから数ヶ月私は中3になり普通の子なら受験生ですね。私は通信制高校に通うことに決めました。好きなことやりたい事ができる学校だったからです。そして今現在、市の支援を使い家庭教師が来てくれています。なので勉強は中一から学び直しています。話が変わりますが、私は今の政治が嫌いです。タイトルに書いてある言葉の理由40%がそうと言ってもおかしくないくらい私には希望が持てません。私の家は貧乏なのでこの先必要不可欠になるであろう大学卒になれなかったり勉強もあると思うけど、好きなことができないよの中に楽しみもありません。勉強は学べる内に学んでください。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
未来に希望がない
感想2
私は経験談を読ませていただいて、むしろあなたの未来には希望があるように私は思いました。(すみません。人の未来に希望があるだとかないだとか、そもそも他者が言うことではないのですが…)ただ、私はこの経験談の中で得られた情報でしか想像をしていないし、きっとここには書ききれなかったあなたの思いも沢山あると思うので…あなたの「未来に希望がない」と感じる気持ちをまずそのまま受け止めたいなと私は感じました。しかし、私があなたの未来に希望があるように感じた理由を、お伝えしたいと思いました。
私があなたの未来に希望があるように感じた理由は、あなたは様々な困難さを乗り越えて、今、しっかり社会と繋がっているように私の目からは見えたためです。学び直そうと決断し、市の支援を上手く利用していること、自分に適した環境を選択したこと(通信制高校への進学)。これらはあなたの元々持ち合わせている「力」なのだろうなと思いました。また、幼少期からの不安定な人間関係によって、あなたは力を奪われていた状況だったのかなと私は想像したので、今は徐々にその力を取り戻している段階なのかなと思いました。そしてあなたが未来に希望が持てないと感じることは、あなたの課題ではなく、社会の課題だと私は考えます。様々な理由で、学びたいのに学べない環境に置かれている人はきっと世の中に沢山いると思います。
私には、自分の精神疾患によって大学に通えなかった時期があり、当時学ぶことが難しかった経験があります。(ちなみに結局、何とか配慮してもらい、頻繁に休みながらも卒業をしました。学費に関しては、奨学金を借りました。今は、授業料の減免や免除制度もありますよ。金銭面、精神面での支援制度は大学によりけりですがあります。)ですので、私はあなたの祖母さんの考えとはちょっと違います。心を壊してまで、通い続けなくてはならないのか。今は通う以外にも様々な選択肢があるのだから、道は一つじゃない。むしろ遠回りしたことで見える景色もあるかも。私はこんな考えです。ですので、あなたはダメ人間ではありません。
またあなたは、「学ぶ機会を自分で切っているのだから。」と書いてくれていましたが、これは「学ぶ機会から離れざるを得なかった。」なのかなと私は思いました。自ら切ったというのは、なんだかあなただけの責任に私は感じてしまいます。私は、あなただけの責任だと思いませんでした。
この死にトリには、様々な経験をした方がいらっしゃいます。他の方の投稿もぜひ読んでみて欲しいなと私は思いました。また、こんな記事もありますのでもしよかったら見てみてくださいね。経験談の投稿ありがとうございました。→https://shinitori.net/research/4229『こえサーチ 第25弾学校に行きたくない(行きたくなかった)』
感想1
「話が変わりますが、私は今の政治が嫌いです。」という一文が気に入りました(軽薄な感想で申し訳ありません)。私もそれに同意の一票です。選挙で、候補者の名前だけでなく「今の政治が嫌いです」という票の選択肢があって、それが過半数になると政治が完全に生まれ変わるとかだといいのになと思います。
あなたがこれまで先生から受けてきた扱いについては、本当にその先生たちを許せないと思いましたし、学校教育に関わっていたこともある身として(教師ではないです)心から恥ずかしく、情けなく思いました。
意味はないかもしれないですが、私が代わりに謝罪します。そんな人たちが先生になれて、そんなやり方を許されてしまう仕組みになっていること、学校がいじめの起こりやすい環境で、子どもたちが守ってもらえないこと…それは大人が全面的に悪いです。それこそ元をたどっていけば政治もかなり影響しているので、政治に絶望して死にたいと思っていることは、すごく筋が通っていると思います。
でもそれだけ理不尽に傷つけられてきた中、Hちゃんに謝る機会がなかったことを心残りに思い、3人に嘘をついてしまったことに謝りたいと思えることは、あなたの強さだと私は感じます。その真面目さがあることで「つらい思い」に加えて「申し訳ない思い」まで抱くことになって、感情の荷物がたくさんで、生きるのが本当にしんどくなっているのではないかと思います。
学校であったいろいろな出来事も、その一つひとつに丁寧に返せなくて申し訳ないですが、どれもつらいもので、しかもそれが脳裏にこびりついたままで今も苦しいだろうと想像しています。
中学で不登校になってから祖母・祖父からの心無い言葉は…もう、本当に酷いです。そんなことを毎日言われていたら、治るものも治りません。弱っているときに責められ、無理やりに旅行に連れてかれ、相談内容が聞こえてしまい…というのも想像すると、絶望でくらくらしてきます。
自分語りになってしまいますが、私は中学の途中で学校に行かなくなり、最終学歴中卒で生きています(社会に出てから十数年経過しました)。あくまで一つのケースでしかないですが、学歴がなくてもわりとどうにかなってきました。
勿論不便な目に遭うこと、不利な部分はあります。でも生きていくために何よりも重要なのは、(なるべく)健やかに自分らしい自分であることだと私は思います。例え学歴があっても、健康でなければ働けないし、あなたも書いている通り、好きなことができないなら楽しみもありません。
「今の時代の」社会で十数年やってきた私の肌感覚、そして経験から言わせてもらうと、学歴は徐々にその価値を失っています。私の言っていることがどこまで信頼できるかは別として(自分の情報に偏っている部分があること、自分が幸運だったことは認めます)、祖父祖母の学歴主義が「古い情報」なのは確かです。
でも同時に、勉強は純粋になかなか楽しく、価値のあるものだと私は思っています。例え少しずつでも頑張って成果が出るのは喜びだし、論理的に考える力などを身につけるための一つの有効な手段でもあります。
あなたがやっていて楽しいと思えること、手応えのあることを、これから積み重ねていけることを私は願っています。年齢が上がっていくほどに家族から離れられるチャンスは出てくると思いますし、大卒になるのもいろいろな方法があります(例えば私の周りには、一度働いてから通信大学に入った人もいます。ペーパーテスト形式じゃない受験もあります)。
アドバイス色と持論の強い感想になって、負担に思われたり、しっくりこなかったらすみません。
経験談の投稿、ありがとうございました。