経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

普通になりたい

仕事と家庭の両立ができず、些細なことがきっかけで全てが壊れた気がした。
好きでやっていたはずの仕事は苦痛となり、可愛いはずの我が子が邪魔に思えた。目に見えて分かる不調に周囲は気遣い、話を聞き優しくしてくれた。とてもありがたかった。ただ、それと同時に自分が求めていた答えと違うこと、軽くあしらわれているような感じがしたことにショックを受けた。私は普通じゃない。だからいくら相談してもこの人達には分からないし、根本的な解決にはならない。せっかく手を差し伸べてくれた人達に対して突き放すようなことを思い申し訳なくなる。考えなければいい、好きなことをして忘れたらいい、程々に頑張りましょう。それが出来たらどんなに楽か。出来なくてどうしょうもなくてぶつける場所もなくて、ただ自分を傷つけることしかできない。生きていればみんなストレスはあるし悩みもある。それを乗り越えて明日を迎えている。みんなができていることができない私は普通じゃないのか。普通ってなんなんだろう。自分で自分に普通でなければならない呪いをかけて苦しんでいる。その苦しさから逃れるためにまた自分で自分を傷つける。それが間違ったことと知りながら。でもそれが今の私の普通だから。

感想1

「仕事と家庭の両立」というのは言葉にするのは簡単ですが、「些細なことで壊れた」とあなたが書くように実際はギリギリの中で行われているのだろうと私は思っています。あなたの「好き」や「可愛い」がそう思えなくなるほど、あなたが必死に両立しようとしてきた姿が想像されました。
あなたの周りには「優しくしてくれる」人たちがいるとあります。それは「よいこと」とされて終わりがちですが、「優しさ」ゆえに言い返せないとか「優しさ」ゆえに嬉しくなくてもお礼をしなきゃいけないという負の力も働くものと私は考えていて、あなたの言う「どうしょうもなくてぶつける場所もない」というのはまさにそういったことかと思いました(あなたが「普通じゃない」からというわけではないと感じます)。
最後に、あなたは「みんなストレスや悩みを乗り越えて」いると書いていますが、この社会はそれこそが「普通」であり「正解」であるというメッセージを発信し続けているため、そう「見せている」人が多いということかと私は考えています。そんな社会は誰かの「苦しみ」を「苦しみ」とは認めない生きづらい社会だなと感じています。そうではない社会にしていきたいですし、私はあなたの「苦しみ」を「苦しみ」として受け止めたいなと思いました。投稿ありがとうございました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。読ませてもらいながら普通ってなんだろう…という思いと、最後の方に書かれている「普通でなければならない呪いをかけて…」という部分を読んで、まるで自分自身に言われているのではないかと感じています。
「普通」は多くの人からの自分への評価だったり、影響を与えてきた価値観の集合体のように私は思いました。自分が自分自身に向ける評価や作っていく価値観の柔軟性を狭めていくものだとも感じています。社会の中で「普通」に沿っていくことは何も考えずにいれる時にはできることですが、投稿者さんのように自分と向き合ったり、考えたりする力があると「普通」に沿うことはとても難しいことで苦しくなってしまうのではないかなと考えました。もし機会があれば投稿者さんと「普通」についてもっと話してみたいです。どんな形だったら投稿者さんは話しやすいでしょうか??

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