私は今23歳で無職です。
毎日死にたい気持ちでいっぱいです。
なぜこうなってしまったのか、良い機会なので振り返りたいと思います。
私は田舎で長男として生まれ、姉が1人います。小さい頃より内気な性格で幼稚園に入る時も他のみんなは普通に遊んでいるのに私だけ親から離れたくなくて号泣していたのを覚えています。とはいえ、環境が成長させたのか、小学校へ入学して幸いにも友達がそれなりに多くいました。休みの時間には毎回サッカーをするような活発な少年だったと思います。
小学校3年生になり、スポーツ少年団に入る事となりました。サッカー…と思いきや父親の勧めで野球をすることになりました。
しかし、この選択が間違いでした。
野球は私には難しいスポーツでした。元々知識も経験もない上にルールが覚えられない、サインが覚えられない、そもそもが小柄で内気な性格と、自分に足りないものが沢山で、正解のプレーが出来なかったらコーチ(友達の保護者)に沢山の人の前で怒鳴りつけられる日々でした。楽しくない。つらい。
このとき親に「無理しなくて良い」と言って貰えたら今の自分は変わっていたかも知れません。しかし、そんな甘い言葉は親からは無く、私は上手くなって怒鳴られないようにしないとそれだけで頑張っていました。
しかし、毎回毎回怒鳴られる内に心が折れてしまい、練習を休むようになりました。そんな中、夜中に両親の会話が聞こえてきて、父親からは「あいつは男のくせに根気がない」「情けない」とはっきり聞こえてしまいました。子供の頃の私にとって心臓にナイフを突き刺されたようにその言葉が脳内で何度も再生されました。その後はそんな私への腹いせなのか父親の嫌がらせが始まり、私の部屋にあるものを隠すことから、話しても無視され、姉には欲しい物を買ってあげ私には買わない、ゲームソフトをへし折ることまで様々な事をされました。その記憶がずっと頭に残っていて、それ以降は暗い性格になり、中学では小学校の時の友達とだけ関わり、高校ではついに友達と呼べる存在が消え、周りには私の事を排他的な目で見るクラスメイト、ずっと1人である事を馬鹿にする担任、引きこもりがちで肌が白いことで「◯◯くん(私)のような肌の色で塗ってください」と教室で堂々と言う美術講師。自分以外の人間が敵に見えました。行きたくない。行きたくないと夜中に発狂することもありました。その後は卒業に必要な日数を登校日から引いて余った日数全て休みました。卒業式は周りが泣いたり、別れを惜しんで写真を撮ったりしている中、私は無表情で帰りました。当然冷ややかに見られたと思います。本当はみんなみたいになりたかった。でも無理だった。ごめんなさい。それだけを思っていました。
その後は専門学校に行きましたが、コロナが直撃してほぼリモート学習となり、在学していてもしていなくても変わらないような状況で、引きこもりが加速するだけでした。進路相談をしても専門学校側は求人サイトで探して応募して行ってくださいの一点張りで求人紹介などはありませんでした。学んでいた専門性の高い業種で求人サイトとなると相手は美大大学生や理系大学生、さらには実績のある中途社員です。沢山添削をしてもらった自信の作品を持って行っても学歴で勝てるわけがありませんでした。
そして、ずっと就職活動している中で、消耗していた心が擦り切れてしまい、うつになり、もう何も出来なくなってしまいました。
23なのに男なのに毎日涙が出ます。
「男のくせに」「情けない」
あの時父親が言った言葉が今も、おそらく死ぬまで頭で再生されるのでしょう。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
死ぬまで
感想2
経験談の投稿をありがとうございます。
私にはあなたと少し似た境遇・経験があるため、そのことを共有させてもらいながら感想を書こうと思います。と、その前に…あなたの父親があなたにしてきたことはあまりに酷く、幼稚だなと私は思ってしまったので、そのことをまずお伝えしたく思いました。「スポーツ毒親」などとよく言われますが、あなたの父親はあなたを深く傷つけ、今日まであなたを振り回し続けたのではないかと想像します。それでもあなたはあなたなりに毎日歩んできたにも関わらず、「排他的な目で見るクラスメイト」や、教師としてあまりに不適切な言動をする先生(大人)たち(憤ります…)そして、サポーティブでない専門学校の就活支援体制(と実際の就職活動)などによって「心が擦り切れてしまった」ことが伝わってきました。あなたの経験からすればそうなるのも当然といいますか、むしろよくここまで耐えてきたと率直に感じます。
冒頭に「似た境遇・経験」と書きましたが、野球・スポーツにまつわることと、父親に関することが該当するため、共有させてください。
私は小学生の頃から野球をしてきました。私の場合はあなたと違って自ら選んで野球をはじめたのですが、その前に水泳を親に強制されていました。私は水泳に行くことが苦痛で、水泳教室に着くと堪えても涙がこぼれてきてしまうくらい嫌だったのですが、親は私の身体を強くするためだったか、水泳を習わせました。たまたま私は水泳をやめられましたが、もしあなたのように強制され続けていたとしたら、今の私はなかったかもしれないと感じます。ちなみに、野球は高校生で辞めたのですが、それは高校野球になった途端になぜかいろいろなルールなどが覚えられなくなってしまったためでもありました。そのため、あなたの困惑とその中で続ける困難さも想像ができるかもしれないと思っています。
もうひとつ、あなたと似た点は父による「男のくせに」「情けない」の言葉です。私はあまり身体が強い方ではなかったため、よく体調を崩しました。その都度、父は「男のくせに」「情けない」という言葉を私にかけてきました。余計なお世話と思っていましたが、私が心からそう思えるようになったのはこの言葉が「呪い」であると知ってからでした。この社会では「男性は強くなければならない」といった謎の「呪い」が蔓延しています(一方で女性はおしとやかでいるべきなどの「呪い」がある)。父はその「呪い」にかけられて、私にそれらの言葉をかけているに過ぎないと思ったのです。あなたの父はその言葉だけではなく、様々な「嫌がらせ」をあなたにしてきたため、その「呪い」の影響力は私の比にならないと思いますが、その言葉は所詮社会にある「呪い」をそのまま引き継いでしまった言葉に過ぎません(少なくとも私はそう考えています)。私が経験したように、「呪い」は「呪い」だと気づいた段階で、ある程度の効力を失うはずです。同じような「呪い」をかけられてきた身としては、あなたにぜひその「呪い」に気づいてほしいと思って書かせていただきました。「呪い」かもしれないといった目線で物事・社会を見るようになった私は、様々な「呪い」に気づくようになりました。もしよければ、「良い機会」としてそういった目線で一緒に社会を見てみませんか。心が擦り切れるほどの日々の中に、大切な気づきが見つかるような気がします。投稿ありがとうございました。
感想1
経験談の投稿、ありがとうございました。親の勧めで習い事を始めたということはよく聞く話ですが…その中で子供本人の意思を確認する必要があるのではないかと、色々と考えさせられました。私の知り合いにも幼少期からスポーツを習っていた人がいますが、小学生の頃に周囲の大人に怒鳴られたことを鮮明に覚えている様子でした。幼少期に沢山の人の前で怒鳴りつけられたこと、そのつらさを父親に理解されずに嫌がらせをされたこと、そして両親の会話が聞こえてしまったこと…全て当時のあなたが背負うにはとても重く、しんどいものだったのではないかと私は思い、勝手ながらとても悔しい気持ちになりました…。ここで私がどんな言葉を重ねたとしても、あなたの中の「男のくせに」「情けない」といった言葉はそう簡単に消えるものではないのだろうと思います。しかし私が考えるのは、たとえ父親の価値観に反することがあったとしても、それは父親個人の考えであってあなた自身が否定される必要はないのではないかということです。人それぞれ感じ方・考え方は違いますから、父親にとって耐えられた状況だったとしても、あなたにとってはつらい出来事だったのだと私は思います。また、私は自分のものさしで、相手を測ってはいけないと考えています。今現在まで、消耗していた心でなんとか走り抜けてこられた状況だったのかな?と想像をしました。ですので今は、いったん立ち止まってみるのもアリなんじゃないかなと私は思いました。