20歳の頃、軽い鬱病と診断されたのが始まりでした。
子供の頃から、自分のことをあまり話さない子でした。13歳の時に、父が急死しました。その頃からさらに、話さなくなり、自分の感情を抑え込むようになっていきました。母は父が亡くなる前と変わらない生活を望んでいましたが、今思うとそれは難しかったと思います。
進学し、大学へ行くのが当然という環境でした。母は私が国公立の大学へ行ってほしいと言いました。大学へ行くのが気が進まないような態度をとると、働くのかと言って怒っていました。
人と関わり話すのは苦手でしたが、勉強は頑張りました。母が望む大学へ進学できました。
ひとり暮らしが始まり、私はこのままではいけない、変わらきゃという思いもありましたが、人と関わるのも上手くいかない、勉強も徐々にできなくなっていき、不登校気味になり、入学から2年が経った頃、それまで辞めると言うことは許されないような環境にいて、初めて、母に大学を辞めたいと言いました。とても勇気がいりましたし、これからどうなるのかとても怖かったです。
それから、教授に辞めたいと相談に行きました。その教授は私を引き止めてくれました。もう少し頑張れないかと。辞めてどうするかも決めていなかった私は、頑張ってみました。
その後、教育実習がやってきました。私は挑戦しましたが、情けないけれど、途中で逃げ出しました。私の精神状態は限界でした。
そして、母は私を連れて初めて精神科を受診しました。それが20歳の頃です。
20代の頃は、鬱病の諸症状に、眠れない、希死念慮が強い中で、なんとか仕事をしていました。人間関係はうまくいきませんから、職を転々としていました。
20代後半から30代になる頃、ますます症状は悪化し、ついに31歳の時に、自殺を図りました。運よくか悪くか助かりました。約5ヶ月入院しました。
日常生活が送れるほどに回復し、作業所に通えるようになり、アルバイトができるようになり、数年後、正社員として働けるまで社会復帰できました。
今も同じ職場に勤めています。
ただ辛いのは、体調は回復しましたが希死念慮は消えないことです。
今40代です。子供の頃、自分の感情を吐き出せてたら、自分の思いを話せてたら、違う人生があったんじゃないかと思います。若い世代の方で、同じようなことで苦しんでいる方がもしもいたら、とにかく誰かに、うまく話せなくても相談できることを願います。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
聞いてもらえたら。
感想2
最後の願いまで受け取った上で、そこからまた何度も経験談を読み返しました。読みながら、「自分の思い」は、本来何か思った時点でたしかに「ある」はずなのに、それを「ない」かのように振舞える(我慢できる)のはどうしてなのか、そして何があれば、他者から自分の思いを「ある」ものとして扱われたと感じられるのか…などということを考えました。読ませていただいての私の推測では、自分が考えていることを語る行為や、またそれを誰かに聞いてもらうという体験を通して、自分自身やその思いが「ある」ものになるというか、認められるような感覚が得られるのではないかなとイメージしました。
(経験談からわかる範囲にはなりますが)投稿者さんは、これまでに、自分の思いを語る機会も、問われる機会も、尊重される機会も奪われてきたのだと感じました。今回、死にトリの経験談を通して、投稿者さんの「思い」を聞けて良かったです。たとえ今からでも、語ることは意味を持つと考えているので、よければまたいつでも、お話しできればと思います。加えて、これは私見にはなりますが、死にトリの場で様々な方の語りを聞く機会がある身としては、「聞く」ことの意味を再考する機会を頂くことができました。投稿ありがとうございました。
お返事1
感想を読んで…
カフェでひとり、思いや経験を一気に書き連ねてメール送信しましたが、後から経験談にふさわしかったか考えていました。
20代の頃、救いを求めてカウンセリングを受けに行ったこともありましたが、相手にされなかったのを思い出しました。今回、このような深い感想をいただけてとても心に響きました。誰かに話す、聞いてもらうことの意味をあらためて考えています。ありがとうございました。
感想1
幼少期の頃から自分のことをあまり話すことはなかったとのことで、詳しいことは書かれていませんでしたが家庭の中で親(特にお母さん)の顔色を伺うことや、無意識にそれ以外の場面でも周囲の雰囲気を汲み取り自分のことは後回しにしてしまうことが多かったのではないかなと想像しながら読んでいました。人と関わり話すのが苦手というのは、きっと自分の感情などを抑え込んできたことによる影響が大きいと感じましたし、変わらなきゃと思ってもなかなかうまくいかないもどかしさや悔しさは私も投稿者さんと同じように人と関わることや話すことが苦手なので、安易に言いたくはないのですが共感できるなと思いました。
気が乗らない中でお母さんの期待に応え大学進学したこと、とっくに限界はきていて勇気を持って大学を辞めたいと伝えたけれどもう一度頑張らざるを得なかったこと、社会人になってから鬱の症状や希死念慮が高い中でもなんとか仕事をしていたこと、その時のことを想像すると気持ち的にはかなりギリギリだったのではないかなと私は思いましたが、何が投稿者さんを動かす力となっていたのだろうと気になりました。
最後のほうにある「子供の頃、自分の感情を吐き出せてたら、自分の思いを話せてたら、違う人生があったんじゃないかと思います。」という一文にこれまで歩んできた人生についての様々な思いが強く込められているのかなと感じます。過去のことは取り戻すことはできないですが、この経験談の投稿をきっかけにここでは書ききることのできなかった出来事や、その時々で感じた投稿者さんの思い、今のこと含めてまた良ければ死にトリに届けてほしいなと思っています。お待ちしていますね。経験談の投稿ありがとうございました。