死んではいけない理由が分からないです。
幼少期は片親で育ち、兄弟は弟と2人でした。
父親は私が言う事が出来ないと躾で手が出ました。
大きな暴力は少なかったですが、一度頭蓋骨が変形してしまい病院に行ったことがあります。
ですが、大きな怪我はそれ以降ありませんでした。
両親が離婚してからは、母親のもとで兄弟と暮らしました。大きなきっかけはないですが、
弟との仲は悪く、出来るだけ生活するスペースを分けて暮らしていました。
母には苦労をかけしまいましたが、育ててくれた事には感謝しています。
でも、中学1年生の頃、珍しく泥酔した母に「お前が産まれてきたせいで人生変わってしまった」と愚痴を溢した事は29歳になった今も覚えています。
社会に出るまでは、何か起きれば死ねばいいと
考えて、周りに合わせて夢とか将来の仕事とか家庭とかを持っているように嘘をついて生きてきました。本当はどうでも良くて、どうせ何をしても良くはならないと思ってました。
社会に出てからは、上司に渡された仕事を上手く出来ずに迷惑をかけ、しんどくなっていきました。
困ったら声をかけてと言われ、聞くとそれは理解して頑張ってと言われます。
社員育成のために考える力をつけられるようにしてくれているのは理解していますし、努力するのは社会人の常識とは分かっています。
駄目なのは、上司や会社ではなく、自分だとも分かっています。
自分で考えられる努力はしてきたつもりですが、
夜になると明日も生きて仕事しなければと考え、憂鬱になり、朝は出勤前に吐きそうになります。
お付き合いさせて頂ける方もいますが、
悩みを隠して死にたい自分の本心を隠していて、
嘘をついて付き合っています。
周りに聞くと彼女には恋愛感情を持ってて、
好きになるのが普通だと言われましたが、
ぼくは彼女がいなくなっても何とも思わないし、
会いたいとも思いません。
周りがその年で彼女いないの珍しいと言ったので、
マッチングアプリで付き合っただけです。
みんなが言うような恋愛はしたこどがなく、
初恋も経験していません。
夜中1人になると、死んでしまおうと考える事が多いです。でも弟はニートをしていて、
死んだら葬式や負担が全部母にかかり、
死ぬ事で友達もショックを受けて、会社にも迷惑がかかるので、あと1日だけ生きようとして、
また夜に死にたくなるのを繰り返しています。
死んではいけない事や上司も友達もサポートしてくれているとは思いますが、正論でがんばれと言われても結局駄目なのは自分だと思い知るだけで、辛さだけが残ります。痛いのも苦しいのも嫌ですが、本当に死んではいけないのか分からないです。
生きてるのが辛くて死にたいですが、
迷惑をかけるので、あと1日だけを生きようと繰り返して生きています。普通にならなくても良いとは言われますが、それは建前でしかなくて、一定の常識は守らなければいけないのも分かります。
自殺だと迷惑がかかるので、
毎日少しでも早く死ぬためにタバコを沢山吸って、
睡眠薬を飲んで、食事の栄養を偏らせています。
どうして生きなければいけないのか分からないです。
感想1
経験談の投稿、ありがとうございました。人はいずれ死ぬものですし、死んではいけない理由はないのだと私は率直に思いました。ただ、投稿者さんが言っているのは「自ら死んではいけない理由」のことだと私は捉えました。「自ら死んではいけない理由」については、実は私もここ最近ずっと考えていたところでした。(ですので、タイトルに惹かれました。)しかし考えても、考えても答えは出ませんでした。結局、他者に対しての「自ら死んではいけない」という考えは、その考えを持つ人自身の「エゴ」に過ぎないんだろうなあ…と、私個人は感じています。
文章から、死にたいけれど、その気持ちをなんとか抑えて、1日1日を生きられている様子がよく伝わってきました。毎日心と身体に、痛みを感じていながらも動きを止めずに生活されている姿を私は想像し、それはしんどいだろうな…と思いました。そしてあなたの今現在の「死にたい」には、仕事の事が大きく影響しているのかな?という印象を私は受けました。自ら死を選んだとしても、選ばなかったとしても、平等に人は死にます。どうせ死ぬなら、その死まで出来るだけ苦しくない、自分にとって快適な道を選びたいと私は感じています。回りくどくなってしまいましたが、つまり今の仕事、しんどかったら変えるのも一つの方法なんじゃないかな?と私は思いました。もちろん仕事を変えることや辞めることは、簡単じゃないことだと思います。しかし、仕事で本来あなたに責任がないことまで、責任を感じるようになった影響で自分を責めることが増えたり、体調に影響が出たりしているのではないかと、私は想像しています。
私は投稿者さんの「死にたい」という気持ちを、肯定も否定もしたくないと感じています。そのまま、受けとめたいです。「死にたい」を否定され、息苦しくなったときは、またここ(死にトリ)に来てください。待っています。