経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

薄っぺらい自分

私は何となく生きているだけで自分の人生をしっかり生きていないなと最近ずっと悩んでいます。
もう30歳なのに中身がスカスカです。

私の特性としては他人任せ、受動的、自己愛強い、いい子体質、話を聞いているようで興味がないのかすぐ忘れる、思い出話ができない(覚えていないから)、決断するのが苦手、逃げ癖がある、面倒くさがりなどです。
たぶん一番の問題は面倒くさがりなところで、それによって生きるのがめんどくさい、立ち上がるのがめんどくさい、家から出るのがめんどくさいなど、どんどん内向的になっていったんだと思います。
しっかりしないといけないと思うのに頭が働きません。
常に現実逃避していて、めちゃくちゃハマっていたものもあるのですがそれも現実から逃げるためなのかもと思ったら少し冷めてしまい、それも辛いです。

人と話さなくてはいけない飲み会などが特に苦手で、基本人の話を聞いてるだけでほとんど言葉を発することなく終わります。自分に話を振られた時は頭が真っ白になって早く終わらせてしまいます。
人から注目をあびるのが嫌です。
職場はずっと同じところで働いているのですが、閉鎖的な職場でずっと同じメンバーで毎日同じようなことをやっています。
無駄に要領はいいので仕事をこなすことはできるし、仕事内容や職場の人間関係に大きな不満はないですが、知識や経験が身になっていないので、人に説明をしたり急に質問されると答えられません。

今もうまく頭が働いていないので上手に文章をまとめることができません。
自分のせいでこうなったと頭ではわかっています。
苦手だから逃げた、逃げたからできないままもっと苦手になる、どんどん苦しくなるの悪循環です。

自分の人生をしっかり生きていて知識と経験の積み重ねを感じる人が魅力的だと思うのに私はすっからかんです。
勉強してきたことも経験したことも全て抜け落ちて何も残りません。
テスト勉強はできたしいい高校、いい大学に入ったけどそこで何を学んだか聞かれても何も思い出せません。
人と旅行に行ってもその内容を忘れてしまうし、本や映画を見て感動しても具体的に話せないし内容もすぐに忘れます。

もうお先真っ暗に思えるので早く死んでしまいたいと思ってしまいます。
どうしてこうなったんだろう、どこで間違えてしまったんだろう、そんな事ばかり考えて思考停止したままここまで来てしまいました。
昔セラピーを受けたとき、頑張りすぎてしまう人は頑張らないでいい、逆に私のようなタイプはもっと恥をかいたり苦しい経験をしなくてはいけないと言われたことがあります。
結局頑張らないでそういう場から逃げた報いなんですかね。

長くて意味の分からない自分語りをしてすみません。

感想1

 あなたの経験談を読ませていただいて、ふと「自分の人生をしっかり生きるってなんだろう?」と思い、考えてみました。しっかりとは…経済的に自立すること?やりたい目標をつくってそれに向かうこと?こういったことが頭に思い浮かびましたが、なんだかこれは私の意思じゃないような気がしました。どちらかというと、社会にそう思わされている感じがしました。しっかり生きられていますか?と聞かれても、私はしっかり生きられていますと答えられる気がしません。私はよく面倒くさいと感じますし、家に引きこもることが好きです。
 少なくとも、社会に無意識に「そう生きなくてはいけない」と思わされている部分は、誰しもあるのではないでしょうか?あなたにとっての「しっかり生きる」ってどんなことなのか…お話を聞いてみたいなあと思いました。
 そしてどういった意図でその方が言ったかはわかりませんが、セラピストの方の言葉には、納得しかねるなと私は思いました。ケースバイケースな部分はあり、恥をかいたり苦しい経験が、後に自分に活きることはあるかもしれません。しかし、私はなるべく恥をかきたくないし、苦しい経験もしたくないなと思っています。それはメリットより、デメリットとして出てくる場合を考えているためです。実際、私は苦しい経験をしたことがあり、メリットは多少あったかもしれないけれど、ただやっぱりあの苦しさは味わいたくなかったなと思います。
 最後に、すぐ忘れる、覚えていないから思い出話ができない、頭が働かない、全て抜け落ちると書いてくださっていましたが、これらは生活にかなり支障出ていそうだと私は感じました。そこでこれはあなたのせいというより、脳のワーキングメモリ(記憶力)の問題だったりするのかな?と思いました。以前、喧嘩をしても数秒後にはなぜ喧嘩をしていたのか忘れてしまう子がいて、ワーキングメモリの弱さが原因だったというお話を聞いた事があります。ですので、この話を共有させていただきました。専門家ではないので、分からない部分がありますが、もし生活にかなり支障があると感じた場合、専門機関に相談してみるのも一つの方法かもしれないなと私は思いました。

感想2

薄っぺらいという言葉はたまに使いますが、あなたの経験談を読んで薄っぺらいの意味がよくわからなくなり、ぐるぐると考えています。あなた自身は自分のことを中身がなくて薄っぺらいと評価していますが、あなたの書いた経験談はなかなか重厚で、中身がたくさんありました。だから私には薄っぺらい人だという印象がありません。
あなたが説明すればするほど、自分に誠実に向き合い、まっとうに苦しむ様子が感じられていき、あなたの自己評価像から離れていくという不思議な感覚がありました。私は多くの人たちはあなたほど誠実ではないから、ここまで自分のことを素直に振り返ったり、率直に語ったりしないと思いましたが、中身はそんなに変わらないのではないかと思いました。そもそも、人間の中身というものは見えないので比較することもできませんので、あくまでもそれぞれの人の理解や認識上の問題なのかなと思っています。
伝わってきたのは、あなたが自分の生き方について理想やあるべき姿というものがあり、現状がそれに対して伴っていないこと(ギャップ)にフラストレーションや失望感があるということでした。そのギャップを埋めるべく、努力や経験が足りない、中身が伴っていないという理解をしているのかなと思いました。でも、私にはあなたが薄っぺらい人だと思わずにむしろ物事をよく考えてよりよく生きようとする人だと感じました。そこで気になったのはあなたが描いている理想がぼんやりしていることです。「自分の人生をしっかり生きている人」とありましたが、おそらくそれは「自分の人生をしっかりと生きているように見える人」であって、そういう人は何かしらの自分らしさを発揮できる機会や環境に巡り合っている人のような気がします。だから、あなたが薄っぺらいのではなく、まだ自分を生かす機会や環境に巡り合っていないだけかなと思いました。機会や環境は経験を積んだ方がめぐり合いやすいので、その意味では最後の方に書いてあった経験が足りないのかもしれませんが、恥をかいたり、苦しい経験ではなく、自分らしくいられる経験の方が大切だと思いました。無理して頑張る必要なんてないと私は思います。人付き合いが少なくても、新しいことに挑戦できなくても、今あなたができることを無理せず楽に取り組むことが何よりも経験になると思います。覚えていないことは覚える必要がないから忘れるのだろうと思います。忘れるのだって大切な人間の力だと私は思っています。
薄っぺらいという言葉から、私も長く語ってしまいました…すみません。機会があったらもう少し薄っぺらいということについて議論してみたい気持ちです。

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