生きているのが耐えきれなくなって、たびたび死にたくなるのが多くなってきました。ここに存在しているのが気持ち悪くなったり、嫌悪感が生まれます。最初は家族や友達に連絡し、気持ちを吐露していましたが次第に相談に乗ってくれていた人から苦言を出されました。ずっとマイナスな感情を聞かされる身にもなってほしいと。なので、今では高校時代の知り合いの連絡先を消して縁を切り、家族の前で死にたいと言わないように我慢するようにしてます。これで私がいなくなったあと、死ぬ前に相談してくれればという言葉を残されたら地獄で大笑いする自信があります。てめえ気持ち悪いなと相手に指差して大笑いしたいです。
いつからこうなったのだろうかと考えだすと、わりと前から死にたがってたなと思います。小学生のころくらいだろうか。でも、死にたいが決定的に深まった瞬間は覚えています。私は学生時代、まだ死にたい欲がマシでした。それは、心臓が動いているだけで偉いと自分のことを奮い立たせてたから。でも、実際は私の意思で心臓を動かしてなく勝手に心筋さんが動かしているだけであり、それに、心臓が動いているだけじゃ世間は生きているのを許してくれないのだとふと気づきました。心臓が動いているだけじゃ許してくれないんです。これを自覚したときから私はもう終わりです。死にたい。消えたい。殺されたい。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
ここで気持ちを吐かせてください
感想2
きっと死にたい思いには、きっかけや決定的な何かがあったのだと感じますが、ずっと緩やかに細く、生きていくことや自分が存在することへの違和感を抱いてきたのかなと想像しながら読んでいました。「心臓が動いているだけじゃ世間は生きているのを許してくれないのだとふと気づきました。」という言葉が印象的で、これまでどこか自分の存在を否定され認めてもらえないなと感じることが多くてそれが結果として自分の存在(生きること)への嫌悪感にも繋がっているのかもしれないなと感じました。(全然違っていたらすみません)
私は文章を読んでいて、死にたいと思っていること含めてそれが今の投稿者さんなのだと思いましたし、ずっとその思いを抱くくらい“生きる”ということに前向きにはなれないのだとも思いました。身近な人には死にたい思いについて苦言を呈されて、その思いすら我慢することになっているかもしれませんが、せめて自分くらいは自分の気持ちに素直になってもいいのではないかと勝手ながら思うのでした。この経験談をきっかけに投稿者さんにとって死にトリが少しでも正直な気持ちを話せる場であるといいなと感じますし、また投稿者さんの死にたさについてやどういう状態であれば世間から生きていることを許されると感じているのかなどお話を聞かせてもらい、一緒に考えてみたいなと私は思っています。良ければいつでも死にトリに参加してくださいね。経験談の投稿ありがとうございました。
感想1
てめえ気持ち悪いな、という言葉に惹かれて、感想を書いています。本当はその感情を他者に抱かなくて済む現実の方が穏やかでいいかなと思いつつ、でもそのくらいの強さで「ふざけんな」と言いたくなるほどの失望・絶望を、あなたは味わったのかなと想像しました。同時に、文章の端々から、あなたが自分を否定する気持ちが強いのかなとイメージして、そういった気持ちの上で、身近な人に拒まれ、拒んだとしたら、より一層あなたは傷ついたのではないかなと感じました。
高校時代の知人という表現があったので、今のあなたは大学生あるいは社会人でしょうか。個人的に、「心臓が動いているだけじゃ(≒生きているだけじゃ)許してくれない」と感じたことは何回かあって、それを感じるのは大学~社会人の、自分で生き方を選ぶことを求められたり、周囲と関わり合わないと生活するのが難しい環境の中で特に強くなったので、あなたもそういった状況に晒されているのではと思っています。
読んでいて、表現の豊かさ・率直さから、他者に対してかどうかに関わらず、きっと言葉にしてアウトプットすることに何らかの効果がある方なのかな…と感じたので、もしよければまた、死にトリや匿名相談などで、あなたの気持ちや生活について、言葉でやり取りしてみたいです。投稿ありがとうございました。