家族にも友達にも、誰にでも必要とされずに、生きてきました。家族にはなかった存在とされて、学校ではいじめ、悪口。家では無視、でも死なられたら困るからご飯は出してくれるらしいです。昔から、誰からも愛されてきませんでした。この家族に生まれてから、愛を感じたことは少ないです。家族には愛されたいと思ったのですが、自分が不甲斐ないばかりに、誰からも必要とされなくなってしまいました。今は死ぬことしか考えていません。いち早く死のうとしています。私が死んだら、家族も平和になるはずなんです。皆もらくして生きられると思うんです、だから、早く消えてしまいたいです
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
居場所の無さ
感想2
誰にも必要とされないと感じる中で生きていくことが、投稿者さんにとっては死を選ぶほどの辛さや苦しさがあるのかなと想像していました。投稿者さんの今おかれている環境は、学校ではいじめや悪口、家では存在を認められないような扱いを受けているように感じることも多いのだと思いますし、自分さえ消えてしまえばと思ってしまうのも無理もないなと思うのですが、きっとそれはその世界(学校と家)しか知らないこともそう思ってしまう理由の一つなのかなとも思うのです。そう簡単に“居場所”を見つけられるものではないのは私も経験して感じることではあります。けれど学校や家じゃなくても価値があるない関係なく自分は自分として存在できる場があるというのも確かなことです。投稿者さんにとってどういう場であれば安心して“居場所”と思えそうか、また今回書いてくれたような思い含めて良ければいつでも死にトリに投稿者さんの声を届けてほしいなと思いました。経験談の投稿ありがとうございました。
感想1
短い中に強い孤独感がつまっているように感じました。誰からも必要されていないという感覚があるということは、誰かに必要とされたいという願いがあるのだろうと想像しています。自分が不甲斐ないばかりに必要されていないとありますが、本来は甲斐性があろうがなかろうが、存在を受け入れられることが愛であったり、必要とされることだろうと私は思うので、ひょっとしたらあなたが不甲斐ないということではなく、周囲の人たちとのマッチングや巡り合わせが悪かっただけかもしれないと思っています。この社会には家族や学校だけではなく、別の世界もあります。死にトリもその一つです。これからもよかったらつながって、居場所を見つけるために役立ててもらえたらと思います。