経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

何も出来ない

コロナの影響でどうしても転職せざるを得ない状況になり、以前の仕事はなん100キロとあるような鉄を加工する危険も伴う仕事で少し怖いと思う事もあり、今度は親にも心配をかけない事務職へと転職した。
転職してすぐに、私は社会にとってあまりにも不出来な人間なのだと感じた。
前の仕事はシングルタスクが主で、たまに間に何かしなければいけない事があっても自分で調整が出来る仕事だった。今思うと私に合った働き方が出来ていたんだろうなと思う。
事務職では、1日のうちにいくつものやっておかなければいけない事、何日までの仕事、唐突に入ってくるお願い、電話対応、と様々なタスクがわんさかと生まれてそれを正確に、早く丁寧にこなしていかないといけない。
まだ入社してすぐの頃は“慣れていないだけ”で済まされていたけど、最初の頃からひしひしと感じる自分の不出来さと先輩の呆れた顔や毎日幾度となくされる注意に、何度も涙を堪えて、帰り道の運転中は泣いていた。
でもどう考えても私が悪いでしかない、気をつけているつもりでも何度も何度も起こすケアレスミスに、電話で言われた事も何度聞いても頭の中を通り過ぎていってしまう、次々に“覚えてね”コレもよろしく”と追加された仕事を片付けきれないどころか、デスクの中も上もぐちゃぐちゃで、頭の中とまるで同じだった。
沢山仕事を任され“急いで!”と言われても混乱して自分でも間違っている事はわかるのにちんぷんかんぷんな行動をしてしまう。
そんな時に、悩んで調べているとADHDなどの発達障害の存在を知った。
ADHDの特徴にほぼ当てはまった、昔からマイペースで抜けているドジっ子、そして不思議ちゃんそう言われながら、小さく感じてきた周りとの違和感がやっと形になった気がした。
検査のできる病院を探して電話して、それからもう2、3ヶ月になるがまだ検査の途中だ。有給もないので土曜日の仕事終わりから予約の取れた日に通っている、超がつくような田舎でも精神病院やこういう検査等は混み合っているんだなと思った。
母には検査の事で話さなければならない事があり、ADHDの検査を現在受けていると話した。
母には「私の努力不足な面があるのではないか」と言われた、来月最後の検査をして、再来月には検査結果が分かるらしい。
それまではひたすらに毎日何とか注意をされる日々を送りつつ仕事をしているけれど、時たま全て放り出して死にたい。そう思ってしまう日が、だんだんと多くなっていく。
休日に友達と遊んで別れた途端にぼろぼろと涙が溢れ出たり、だんだんお風呂にも入れない、寝なきゃいけないのが分かっているのに寝れない、部屋はもう人が住むにはあまりにも汚い。周りの当たり前を出来ない自分が恥ずかしい、自分はどうしてうまくできないのだろう、何度も仕事中には自分の不出来さが身に染みて泣きそうになる。
もし検査結果で私がADHDだったとして今の職場では、どうにもならない気がするが、そこからどうすればいいのかの想像も出来ずにいます。
それでも生きていたいとも思ってしまうし、好きだと思える事や大切な友人もできている私はきっとまだ恵まれている人間だし、今は著しく視野が狭い状態なのかもしれません。
何とか、私自身が日常的に死にたいと思わないような生き方をこれからしていけたらと願っているばかりです。

感想1

 転職をしたことにより、あなた自身、こういった仕事が自分に合っていて、こういった仕事が自分に合っていない(もしくは少し難しさがある)事を知るきっかけになったのかな、と私は思いました。(これは私が仕事を変えるときに、当時の主治医から言われた言葉をもとに考えました。主治医は仕事を変えることを「逃げ」だと感じる私に、「逃げてもいいんじゃないか。むしろ自分の苦手を勉強する機会だった。」と言ってくれました。)
 あなたの母親さんは「努力不足な面が…」と仰っていたかもしれませんが、自分の努力のみじゃ、どうにもならないこと、限界なことって私はあると思います。私の場合ですと、精神疾患を持っているので、気合いとかで気分の激しい落ち込みをコントロールすることは難しいです。ですので今は毎日薬を服用しながら生活しています。まだ検査結果が出ていないとのことですが、もし発達障害であった場合は薬を活用してみたり、発達障害でなくても、可能な範囲で職場の人に相談をし、配慮をしてもらいながら働く環境を整えてみるなど…色んな方法がありそうだと私は思いました。(また、「発達障害者支援センター」という専門の相談できる場所も、各都道府県にありますよ。他にも相談できる窓口はあると思います。念のために情報をお伝えさせて頂きました。)
 そしてあなたの経験談を読んで、改めて自分の中の当たり前を、他人にも当てはめて考えるようなことはしたくないな、と思わされました。例えば、遅刻が多い人に対して「なんで時間を守ることが出来ないんだ。」と一方的に怒るのではなく、「時間の管理が苦手なのかも?」と、自分の当たり前を一旦横において、相手の背景を想像したいなあということです。あなたの職場には、こういったように想像できる方があまりいらっしゃらないのかな、と私は気になりました。もし理解を示してくれそうな人が一人でもいらっしゃれば、一度具体的にあなたが苦手だと感じることを話してみるのも一つの方法かもしれません。(あなたは、ご自身の苦手だと感じることを客観的に捉えていらっしゃるような気が私にはしています。)苦手なこと、得意なこと、できるけど好きではないこと、どうしてもできないことなど…人それぞれ、持つ力って全然違うものだと私は考えています。むしろ、違うということがもっと当たり前の認識になって欲しいと私は思っています。(そうでないと、私はちょっと息苦しいです。)そんな認識が広まるように、私もできることを頑張っていきたいと思います。経験談の投稿、ありがとうございました。

感想2

この社会では一定の能力を一方的に求められるときや、できるできないで評価受ける場面がとても多いので、あなたのタイトルにある「何も出来ない」という事実が重く、つらく、人の生活や人生にのしかかることがよくあると感じています。本当は何もできないわけではなく、あなたの話の中では今の職場で求められていることが出来ないだけで、あなた自身ができることは実はたくさんあると思います。それがたまたま求められることが出来ないだけで、存在すら否定されるような気持ちになってしまうのはそう思わせてしまう社会のあり方の影響が大きいように思います。おそらく学校でも同様で、求められることが画一的で、要求されることができないと、ダメだと思われたり、もっと頑張れと言われたりすることもあったのだろうと思います。
でも、人はそれぞれできることやできないこと、能力は一人ひとり違います。そして、誰もが自分だけの力で生きているのではなく、助け合ってこの社会を構成しています。であれば、お互いにできることを出し合って、できないことは認めあって暮らしていく方が誰もがハッピーだと思うのですが、実際にはみんな同じようにできるようになれと要求されてしまいます。そして、あなたのように本来できることもあるのにすべてがダメかのように思ってしまうことにもなります。最後の方で、「今は著しく視野が狭い状態なのかもしれません」あなた自身も書いていましたが、そうだろうと私も思いました。あなたはあなたらしい魅力があり、少なからず自分の力も信じたり、周囲にも理解してくれる人がいるのだろうと思います。それなのに、死にたいと思うことが増えたり、涙がぽろぽろこぼれたりするのは、とても追い詰められていたり、不安な気持ちがあるのだろうと推測しています。
病院で発達障がいの検査をしてきたようですが、自分自身のことが知るいいチャンスになるといいなぁと思いました。診断名は一つの指標でしかありませんが、あなたが自分のことを理解し、自分と付き合っていくことの手助けになることを願っています。もう一度お伝えします。あなたは「何も出来ない」のではなく、「何も出来ない」と感じているのです。できることがあるし、何かしたいと願う気持ちがあるからこそ今、苦しいのだろうと思います。だから、私は、できることに注目したいと思いましたし、頑張ってきたことを労いたいと思いました。
私は、できるできないで一方的に判断しなくてもいい世の中になってほしい思っています。あなたのように苦手なことがある人こそ活躍してもらいたいと思いました。できることを少しずつ持ち寄れる社会にするためにはどうしたらいいか、一緒に考えてもらえると嬉しいです。

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