経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

完璧であるために孤独であるということ

私はこれまでの人生客観的に見ると大きな挫折もなく上手く行っているように思います。中高一貫校から難関大に進学し誰もが知る会社で働く事が決まっています。自慢のようになってしまいますが容姿も学内で噂話をされたり街中で人目を集める程度には整っており、周囲からは何不自由なく充実した生活を送ってきたと思われているように思います。しかし現状私は強い孤独を感じており、何のために生きるのか、将来に楽しみや希望を見出す事ができません。

このような状況になったのには多くの要因があると思います。まず家庭環境についてですが私は両親のことを尊敬できません。私の家族は深い会話をしない仮面家族です。まず前提として父親は母子家庭出身でありマザコンです。また父型の祖母は息子の家からお金を吸い取っていくような人間であり、当然ですが私の母親との相性は最悪です。私が小さい頃はまだその事を感じていなかったのですが、高校に入るくらいから母が父や祖母に関する愚痴を私と兄にこぼすようになり、父親の自分の家庭より祖母を優先してきた態度(主に金銭面)を知る事になりました。
その上でまず父親を尊敬できない理由です。もし父親が十分な稼ぎがあり家庭にも十分なお金を入れた上で祖母に親孝行するというのであれば何も悪いことはありません。しかし実際そうではありませんでした。父親は私が中学の時まで世間的に見て「良い」会社に勤めていました。しかし突然自分がやりたい事をやるということで会社を辞め独立し起業したものの全く成果がでず、あろうことか5年間もニート同然の暮らしをしていました。母親は専業主婦だったのでその間世帯年収は0でした。私たち兄弟は中高一貫校に通っていたため学費は高かったはずですが、私学共済の奨学金をもらいながら何とかやりくりしていました。また他方で父親はかなり思想が強く、超学歴至上主義である一方で受験産業を軽蔑しており、加えて超放任主義です。私達兄弟はそのような環境の中塾などにいかず(行けず)良い国立大学に行かなくてはならないという強迫観念を持ってひたすらに勉強をしていました。こうしたこともあり現在父親のことは心底軽蔑しており正直視界にすら入れたくないです。次に母親を尊敬できない理由ですが、母親はとても他力本願で自分から行動をおこなせない人です。耳にタコができるほど父親や祖母の悪口を聞かされてきましたが、母親自らが動いて現状を変えようとはしません。本人曰く諦めているとのことです。こうした両親ですが、その一方表面上の家庭の姿を壊さないようにしているという印象が強くあり、今でも家族皆で食卓を囲みますが誰も深入りしないしさせないような距離感があり、正直とうの昔に家庭として終わっているのにまだ体裁を取り繕っているのが不思議でしょうがなく、何とも言えない不快感、嫌悪感、閉塞感があり、家にいても居心地の悪さを感じます。

次に学校の環境ですが、私は高校1年の時に中学からやっていた部活をやめました。理由は勉強に打ち込むため、無駄な出費を抑えるためです。しかしここで一つ問題がありました。私は部活外に仲の良い友達はほとんどおらず、部活を辞めて部活時代の人と話しにくくなった高校2、3年はとても孤独でした。スタメンでありながら部活を突然辞めたため、部活時代の友達たちからは嫌われていたと思います。陰口や悪い噂話をされている事を耳にしたことは数知れず、しかしそれも当然だと思い更に殻に閉じこもるようになりました。また勉強は塾などに入らず一人で行っていたため高校時代の楽しい思い出はただの一つもありません。この頃から孤独であるという事に対して鈍感になりました。また何か成果を上げるためには孤独である方が良いという歪んだ成功体験ができてしまったように思います。大学ではまた部活などに入ったものの家が大学から遠かったことやコロナ禍、高校時代の暗い記憶もあり無難な付き合いの知人はたくさんできましたが、親友や恋人のような特別親しい人はできませんでした。しかし楽しくはないなりに貴重な体験はでき、就職活動は一人で戦っていたもののとても上手くいきました。しかし就活でも受験の延長のような感覚で世間の評価が高い会社に入る事を目標に頑張っていた自分がいて、その事に対して現在強い自己嫌悪に苛まれています。どんなに頑張っても満たされない、何のために頑張っているのかわからない、頑張ったその先に待っているのは更なる辛く孤独な競争でしかないのにそのレールから降りられない自分に心底嫌気がさしています。

周囲が期待する姿であるために頑張る事で一杯一杯で弱い自分を見せられません。このレールから落ちた途端に自分の価値は0になり、周りから薄い付き合いの友人すら消えてしまうような強迫観念に突き動かされて、日々本当にやりたい事なのかわからない事を無理やり努力して、空虚な時間を過ごしています。とても寂しいです。しかしリアルではそんな姿を見せる事ができません。おそらく周囲は私にそのような事を期待していないからです。下手な姿を見せれば悪い噂が広がるような気がして、常に無理をしています。これから先色々環境が変わったとしても自分は変わらない事を考えると、日々を楽しく、本当に気を許せる人と共に過ごすことなど私には不可能なように思います。何のために生きるのか、生まれてきたくなかった、日々そんな事を考えながらも自殺する勇気はなく、今日も孤独感に苛まれながら生きています。

感想1

投稿ありがとうございます。周囲の期待や求められる姿に応え続けてこられ、それが自分の在りたい姿や状態ではないということに明確に気が付いて苦しくなったのは最近のことだったのでしょうか。本当の生きたい自分ではない、やりたいことではないことをやりながら、周囲にも本当の自分を出せない状態で、強い孤独感を抱えていて、またそんな自分を自己否定してらっしゃるのかなと思いました。私自身はそんなあなたの言葉を読みながら、むしろそんなあなたと話がしてみたいと思いました。あなたほど大きな経験ではないですが、その孤独感や苦しさが少し分かるような所もあるなーと想いながら読んでいました。
また私が思ったこととしては、あなたの選択や頑張ってきたことが本当の心に従った動機ではなかったにしろ、その時は仕方の無かったことなのではないかということ(今も含めて)、その時の状況に応じた最善を歩んできたとも言えるのではないかとも思いました。
そして、だからこそ今、よりよく生きたいという想いが孤独感という形で強く主張を始めているのかなとも想像しました。なんというか、力がついてきたということでもあるのかなと。ある道を完璧にこなして、大学やそれから就職までされたこと、本当に並みの努力じゃなかっただろうし、孤独な道だっただろうと想像しますが、それは一つの大きな力にもなっているところもあるのかなと。
現在、その道を歩んできた自分と、よりよく生きたい自分とが激しくぶつかるようになってきたことは、ある意味あなたに違うなんらかの力が育ってきているからというか。そんなことも想像していました。勝手なことを言ってしまいましたが、あなたの葛藤や孤独、きっととても大事な気持ちでもあると思うし、その気持ちに共感できる人も実は多いのではないかとも思います。私もその一人ですし。ぜひまたこちらにも訪れてほしいですし、お気持ちをいろんな形で聴けたらいいなとも思いました。

感想2

経験談の投稿をありがとうございます。

読ませていただいて、あなたがいわゆる世間から評価される能力等を持っているからこそ、孤独や虚しさを抱いているのかなと想像しました。「大きな挫折もなく上手く行っている」と冒頭であなたは書いていますが、きっとそれはその通りであり、なんだったら周りからはうらやましいとすら思われる立ち位置にいるのかなと想像します。それゆえに「弱み」を見せられないし、「期待」から外れることもできず、とはいえその状況(や自分自身)に虚しさや疲れを感じ、八方ふさがりといった状況なのかなと感じましたが、どうでしょうか。

あなたの経験談を読んでいて、過去の私は少しあなたに近い状況にいたかもしれないとふと思いました。少し私の話をさせていただきます。私は能力等がある程度あったことから、子どもの頃は特に優等生扱いをされ、周りの大人に「期待」をされるような人でした(少なくとも私はそれを全身で感じながら生きていました)。その状態はうれしくもあった一方で、「できなくなる」「評価されなくなる」怖さが常に横にあるようなものであり、私の価値や生きる意味は「そこ」にある、むしろ「そこ」にしかないと思って生きていたように思います。弱さをさらけ出すことや期待を裏切ることは当時の私にとっては価値や生きる意味を失うことであったので、そうならないよう、そしてそれを誰かに悟られないように精一杯でした。当然、誰かと深い付き合いをするといったことは怖くてできませんでした。そんな私ですが、ある時に大きな挫折を経験しました。それによって強制的に「できなくなる」「評価されなくなる」状態となって、まさにあなたの言う「価値が0」となる(と私は感じる)経験をしたのです。その経験は当時地獄のようでもがき苦しみましたが、今の私からすればその経験があってよかったと感じています。なぜなら、それ以来「評価」や「期待」ではなく、自分の物差しで自分のやりたいことを(その頃よりかは)選択できるようになった気がしているからです。
これはあくまで私の話・私の経験のため、私にしか当てはまらない話かもしれません。その前提で、あえて私の経験からあなたと共有したいなと思ったのは、レールから降りることで失うこと・ものはあるけれど、それによって得られること・ものもあるのではないだろうかということでした。あなたがもしレールを降りたとしたら、学歴をはじめ、世間の物差しで「良い」とされる軸であなたを見るまなざし(人や評価の声など)は失われるかもしれませんが、違う物差し・違うまなざしがあなたを待っているかもしれないと私は思います(もちろん、その確証や保証はできませんが…)。
誤解のないように言っておくと、「レールから降りることこそいいことである」と私は言いたいわけではありません。また、もしあなたがレールから降りることを望む場合に、それはあなたの努力だけですべきことだとも思っていません(私の場合は強制的に降りる経験をしたに過ぎないと考えています)。この社会は能力主義が蔓延っており、「評価」されることがある程度求められる現実があると私は思っていて、そんな社会では安心してレールから降りられるわけはなく、「降りても大丈夫だ」と思える環境がまず必要だと私は考えているためです。残念ながら、そうした環境をすぐに整えることは難しいですが、どうしたらそういう社会にできるかを私は考えていたいと思いますし、もしよければ、あなたの意見をお聞きしたいなと思いました。そんな社会であなたがどう生きていくか、あなたの「弱さ」や「怖さ」をはじめ、あなたの気持ちや「やりたいこと」を一緒に考えることができたらいいなと思います。もし、死にトリがそれらを共有できる場となりうるならば、これからも利用してもらいたいと思いました。よかったらまた来てください。リアルでは言いにくい気持ちを書いていただき、感謝します。

お返事1

稚拙な文章だったかと思いますが丁寧なご感想ありがとうございます。

お二方からの感想を読んで少し気持ちが楽になると共に、視野が広まったような気がします。

>感想1

私には父親に社会的な評価で絶対に負けたくないという意識が根幹にあり、それを原動力にこれまで走り続けてきたということに最近気づきました。ただそんなものに囚われても幸せになれるわけではないということを嫌でも感じる年になり、ただ気づいたときにはこれまで自分を殺してきたが故に、本当に自分がやりたいことが何もないという現実に直面しています。

何がやりたいのか将来が見えず、また自分が夢見るような人並みの幸せは手に入れられる気がしない、そんな絶望感がしんどいんだと改めて感じました。最近猛烈な自己嫌悪感、孤独感が募る日々を過ごしていましたが、少し今までの自分を肯定的に見られるようになった気がします。この葛藤の中で自分と向き合い殻を破りたい、そういう少し前向きな気持ちになれました。

改めてありがとうございます。

>感想2

最近色々と孤独感などについて調べていく中で回避型愛着スタイルというものが端的に自分を表しているのかなというふうに感じています。少しでも弱い部分を見せるとそれが噂話などの形で自分を苦しめるのではないかという恐怖感があります(実際そういうこともあったように思います)。そのような意識の中でこれまで生きてきたため、自分を守るために完璧であることが最善だと考え、可能な限り弱みは見せず・つくらずを徹底し、結果としてより弱みを見せにくい、見せれば嫌味のような形でみなされてしまう、そんな状況を作ってしまったように思います。

また後半の世の中に蔓延る能力主義に関してですが、私もよくこの社会の生きずらさの根幹には能力主義ひいては行き過ぎた資本主義があるのではないかと考えています。マイケル・サンデルの”The Tyranny of Merit”を最近読んだのですが、おそらく現代社会に生きる人間は皆”能力”というものをある種共通の尺度として捉え、それを元に人を評価しようというきらいがあるように思います。かくいう私もこの社会が苦しいというふうに思っていながらも、能力を重視する環境に居続けてきたがために、人を見るときに能力というものを重視してしまう部分もあり、能力主義に囚われた自分に対して嫌悪感があります。口では職業などに貴賎はないという風に言えますし、理想としてはそうあるべきだと思っていますが、社会はそうはみなさないということをどこか諦めとして認めてしまっている自分がいます。だからこそレールから外れずにこれまで生きてきましたし、レールから外れることに強烈な恐怖感があります。

ではどのようにすればもっと自分の心に従って生きやすい世の中になるのかという問いですが、私は中高などの段階からもっとやりたいことに素直になれる環境になると良いのではないかと考えています。現代社会は大学進学率も上がり大学に行くことが当然の世の中になっていると思いますが、本来皆がやりたいことを追い求めた際に高等教育を受けたいという人がこんなに沢山いるということには違和感があります。受験は共通の尺度で競い合うことが強制される世界であり、能力主義が体に染み付いてしまいます。中高の時からやりたいことに素直になれて、そういう道を選んでもなんとか生きていける、そして社会がその生き方を尊重してくれる、そういう確信が持てる社会になると良いなと思います。なかなか実現できるかを考えると気が滅入りますが…

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