昔から両親が不仲で、父はモラハラで母は、宗教で家にいませんでした。
対人恐怖、幻聴、リスカ、希死念慮、自殺未遂、閉鎖病棟入院、精神病、男性依存、認知の歪み、知的検査二回異常はそこまでなし。カウンセラー.虐待、性的虐待、洗脳、ドラッグ、脅し、レイプ、不特定多数性行為繰り返し、精神科の医者の暴言のせいで、過敏性胃腸症候群になり外出時、オムツしている。自傷行為 頭を壁にぶつける、わざと利用される、顔を自傷する、彫刻刀で脚に傷をつける、詐欺にあい現金をとられる、ストーカーされる、お金利用される、警察沙汰、性依存、不倫、自分と人との境界線がわからなくなる。
今までなんども病院通い、色んな病名がありました。
いまは、薬と、別で個人、家族カウンセリングでしか治らないといわれ、PTSDだといわれました。
小さい頃から親に愛されて育たなかったのが原因でした。記憶はないです。
家族カウンセリングしても、母はわたしのことは興味がなく小さい頃も、好きな食べ物も嫌いな食べ物も何をしていたかも記憶にないと言われました。
今までのことも興味がないそうです。自分の姉妹や、親戚には愛情深く昔のことを覚えていました。母は、私と姉を奴隷のようにいつも扱います。
たまに、怒りのコントロールができなくて、何度も何度も母を殺したくなり、我慢して、トンカチで壁に穴をあけてます。衝動がおさまさなくて辛いです。
普通に生活できなくなり、買い物行くだけで人がイライラしてしまいます。バスや電車も声とかイライラしてしまいます。だからいつも音楽を聞いてふたをします。
美容室が嫌です。バカにされてるきがします。千円カットいってても、姉がわたしをコントロールしてきて、容姿についてずっと嫌なこと言われてて、しんどいです、すごく人と話したりすると辛いし怒りしかないです。あとから、マグマのように沸々とどんな相手でも殺したくなります。
薬も制限されてもらえません。あなたは、カウンセリングでしか治らないと言われてから、今の病院は、頓服は少ない量しか出してくれません。苦しいです。障害者は家を借りることは難しいです。大阪の事件も影響あるらしいです。
安楽死しようとしていました。
本気でした。
でも、毒姉のことを考えると、すごいいつもわたしを平気で傷つけてくるけど同じ被害者だからおなじPTSDだから鬱だから、なんとかやめました。
猫を飼いました。
でも、猫がたくさん病気をもって、私と同じように、お腹もずっとよくなくて、毎日血便でたり、誤飲したり、愛着障害があって、動物の病院とも折り合いが悪くうまくいかなくて、かわいそうなおもいさせています。
何で生きてけるのかは、猫のおかげだけど、すごい大きい病気してお金もかかって、まだ消化器系はずっと、悪いのに、問題行動まであって、また病院やらお薬やら検査で、わたしも辛いです。猫に申し訳なくて、鬱の人は猫は飼わない方がいいとかみて、カウンセラーに相談したら、カウンセラーは猫飼ってて、そんなことないし、よくやってるとはいってくれたけど、しんどいって思ってしまうなんてひどい人間だなって。猫に不憫な思いさせてつらくて。わたしは本当にバカです。
猫のことは大好きなのに、攻撃されて辛くて理解できないこともおおくて、猫ともどうしていいかわからなくて、本当どうしょうもいです。
猫が死んだら、安楽死の道を選びたいです。
死ぬのはいきると同じくらい大変です。何度も自殺未遂して、死に損ないなので、わかります。
夜回り先生がいってたけど、生が暴力なら死くらい勝手に選ばせてほしい。わたしは生まれたくて生まれたくなかった。愛されて育ってるひとならよかった。誰も助けがない。変わらないのもしんどい
何も努力してこなかったし、人が怖い
感想1
経験談の投稿をありがとうございます。
あなたがこれまでしてきた経験は、親を中心にこれまで様々な人によってあなたがいかに傷つけられてきたかということを示しているように私には見えました。子ども時代というのは、あなたの言う「愛されて育つ」という経験、「安心」を感じる経験を積み重ねることで、人や社会を「信用」できるようになるといったプロセスが求められるものなのかなと私は考えています。あなたは暴力・抑圧の被害を受けてきたことによって、その経験を得られず、もがき苦しみ続けてこれまでなんとか生き延びてきたのかなと想像しています。その理不尽さを思い、大変歯がゆく思う私がいます。
あなたの経験談の中で、死ぬことをやめた理由にお姉さんをあげていることが個人的にとても印象に残りました。そのことをあなたは「同じ被害者だからおなじPTSDだから鬱だから」と書いています。それはあなたが傷の深さや痛みを身に染みて知っているから、また、姉のことをある種の戦友のように感じているからということなのかと勝手に想像しましたが、そのようにあなたが踏みとどまることができたのはどうしてだろうと、もう少しお話を聞いてみたく思いました。
私は最近あるドキュメンタリー番組を見ました。戦場で出産をした人の話で、番組内でその人の赤ん坊が怒っているような素振りを見せたときに「「なぜ産んだの」と怒ってるよ。「戦争ばっかり」って」と誰かが代わりに話す場面がありました。あなたの経験談を読んでいたらそのシーンがなぜかふと思い浮かび、生まれてくること・生きること・死ぬことについて、そして暴力があふれる社会について改めて考えさせられています。あなたは最後に「何も努力してこなかった」と書いていますが(私にはそうは思えません)それよりも何よりも「誰も助けがない」この世界・社会がおかしいと強く思います。そんなおかしな世界であなたがどのように少しでも「安心」を感じて生きていくことができるのか、一緒に考えたいなと思いました。それはそう簡単なことではなく、一筋縄ではいかないことと思っていますが、死にトリがその一助になれそうであればまた利用してほしいなと思いました。あなたが書いてくれた経験談を通じて、私自身、社会に対してやはり向き合いたいと強く思わされてもいます。できることは少ないですが、少しでも「安心」を感じられる社会にしたいです。投稿をありがとうございました。