家族・仕事の事
私は3人兄弟の末っ子です。
長兄には統合失調症があり、中学生の頃は引きこもりでした。高校卒業後〜二十数年以上、両親と次兄との4人で自宅で療養しております。私は現在一人暮らしをしており、あまり実家に帰ることはありません。
長兄の今後について、何も具体的なことは決まっていません。以前グループホーム等、提案しましたが結局流れてしまいました。
冷たい奴だと思われるかもしれませんが、私は一緒には住まないと伝えており、今後も実家に戻るつもりはありません。ありませんが、もしかしたら一緒に住まなければならない状況になるのでは?と不安が募ります。
心配しなくていいと言う割に、何も具体的な案を出してくれない両親に不満があります。
両親の高齢化(いわゆる5080問題)に近づき、両親や次兄は何かと連絡を寄越してくるようになり、私にとってはそれが依存心のように思えて、すごくストレスに感じます。
父はキレると手が出るタイプで、よく長兄を殴ったりしていました。父には普通に卒業して普通に結婚して…というような理想があったように思います。不登校で引きこもり、就職のできなかった長兄を認められなかったのではないか?と思っています。
私が専門学校に行きたいと言った時も、女は高卒で卒業すれば良いと思う、というようなことを親戚に言っていました。結局、私は奨学金を借りて専門学校へ行ったのですが、リーマンショックの影響もあり就職に失敗、フリーターを経て正社員を2〜5年程度で職を転々としているような状況です。
次兄は元々大学に行きたかったようで、高校卒業後、社員寮で暮らしながらお金を貯めていましたが、長兄の症状が悪化したことにより断念。数年で実家に戻ってきました。そういったこともあり、私が専門学校に進学させてもらったのにも関わらず就職できなかったこと、全く関係のない職業についていることに対して後ろめたい気持ちがあります。
結婚のこと
周りがどんどん結婚・出産をしていく中で、漠然と、私には無理なんだろうなという思いがあります。
小学生の頃に、長兄の友人から性的な悪戯を受けたこともあり、それが心の傷になっていること、家族の問題もあり、こんな女と結婚してくれる男性なんていないだろうという諦めなど…
性的嫌悪もひどく所謂彼氏いない歴=年齢で、好きな人に対する性的欲求、や人を好きになるということがどういうことか分かりません。見知らぬ家族を見ても、この人は何で結婚したんだろう?何で子供を産んだんだろう?と私にとってはファンタジーのような世界です。
20代のころは両親、特に母が結婚は?彼氏は?と気にしていましたが、それも言わなくなりました。もしも私が結婚をしていたら、両親からの依存心もそこまででもなかったかな?とは思います。
生きづらさ
以前、2ヶ月ほど勤めていた会社で、先輩社員からいじめを受けたことがあります。シフト制で労働時間がバラバラだったこともあり、心身ともにバランスを崩しすぐに辞めました。
それ以来ずっと精神面での不調を抱えており、希死念慮がひどいです。常に
、死にたい…何で生きているんだろう?何のために生きているんだろう?何で普通の家庭じゃないんだろう?と考えてしまいます。
一度精神科を受診したこともあり、その時は持続性抑うつ症ではないか?と診断を受けました。結局通院も長続きせず、治療はしないままです。
仕事に行ってしまえば8.9時間働けるし、職場のスタッフともコミュニケーションが取れます。ただ、家に帰ると、炊事、家事は億劫だしお風呂にも入れない…というようなセルフネグレクトの状態です。
本来であれば実家等に戻った方が良いのでは?と思いますが、戻ったら戻ったで家族のことがストレスです。私は一人がいいのです。
以前、一度長兄が自◯未遂を起こしたのですが、その時何で死ななかったんだと思ってしまいました。むしろ、私の方が死にたいと、家族に迷惑がかかるからしないだけなんだと。
ずっと毎日毎日、死にたいなと思いながらダラダラと呼吸しています。
感想1
淡々と事実中心に語る様子に、深い孤独感と諦めのような気持ちを感じました。それと同時に長い時間を経ても譲らなかった強い意思の存在も感じています。兄とは一緒に暮らさないと伝えている、実家には戻らない、そして職場では与えられた仕事をこなす様子などから、確かにあなたの意思の存在が見えたからです。それにしても、家族というのは何と不思議な集団なのだろうと思います。長兄と暮らさない決断において、冷たい奴だを思われるかもしれないとの前置きがありましたが、冷たい奴であろうことなどなく、あなたが子どもの頃に傷を負うことになったいきさつを考えると、当然だと思いますし、最後に書いていた通り、正直なところ死を願う気持ちがあっても全くおかしくないと思いました。家族だから…家族として…という呪縛で必要以上の負担を背負わされたり、自己犠牲を強いられたりする社会の圧があることは本当に不思議に思います。憲法13条の幸福追求権においても、誰もが個人として尊重されると書いているはずなのに、家庭という特殊な集団においては、特に弱い立場にある者が尊重されない現実があります。あなたもそうした構造の中で追い詰められてきたのだろうと思い、勝手ながら悔しさを感じています。ただ、長兄の死を願ってしまった本音が書かれていたので、少しホッとしながら、恨みや怒りや悲しみが少しでもそこにあるのなら、諦めや孤独感の奥底には確かにあなたという存在があり、かすかな種火のように静かに燃えているイメージを持っています。
子どもの頃からの境遇やそれ以降も抱えてきた負担や我慢を考えると、自分自身をケアできなくなっても無理はないと思います。本当ならもっとケアをされる経験が必要だったこともたくさんあっただろうと思います。自分よりも家族を優先せざるを得なかったのですから、自分を労い、ケアをする感覚が持てないのももっともだと思いますし、ずっと余力ないままにエネルギー切れギリギリの中で日々を過ごしているのかもしれないので、なおのこと自分をケアすることができないのは無理もないことだと思います。
これまでの人生の中でじわじわと蓄積したダメージやストレスがすぐによくなることはないかもしれませんが、こうして「誰にも言えない私の気持ち」を伝えてくれたことが第一歩にはならないものかと考えています。家族の存在を否定しても、自分を優先して実家と距離をおいても、二度と会いたくないと思っても全然いいと思います。逆にそうは思っても、やっぱり見捨てられずにまた家族を支えてしまうこともそれでもいいと思います。あなたが思うことを信じて自分で選ぶことを少しずつ増やしていけたのなら、今までとは違うあなたに出会えるように思いました。よかったら、また死にトリに来てください。