経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自己中が招いた結果

私は人を信じる事が出来ません。何事も全て否定的に捉えてしまい、良い事を言われても何か裏があるのでは?きっと本心ではない。などと考え素直に喜べないのです。

どうしてこんな性格になってしまったのか。
過去を振り返ってみたいと思います。まずは家庭環境ですが、母は昔には珍しく一人っ子で育った為、ワガママでなんでも親にしてもらっていたのか掃除も苦手なようで家はとても汚かったです。当然家に友達も呼べないので、お誕生日会も出来なかったです。
また、父は一生懸命働いてくれましたが、口は悪く、子供の前でも卑猥なことを言ったり、私が思春期になるとこっそり着替えを覗いたりして気持ち悪かったです。
私は両親を尊敬すら出来ず、むしろ嫌悪感を感じていて、現在もほぼ連絡は取りません。

また、友人関係も良いとは言えませんでした。
子供の頃は今とは逆で人をすぐ信じていました。見た目も可愛くなかったので、男の子に告白された時は飛び上がる程嬉しくて。でも、後でそれは嘘というか友人に仕組まれた告白で、振られる私を見て面白がっていたようです。他にもシカトや悪口、仲間はずれは日常でした。不思議な事に幼稚園、小、中、高と環境が変わっても何故か同じ状況になるんですよね。そうなると私の存在価値がなくなって生きるのが段々と辛くなりました。

大学は外大を卒業し、大手航空会社に入社前しました。学生時代に韓国に留学していた事もあり、韓国語を武器にそれなりに楽しんでいました。社会人になって飲み会など人との交流が増える中で、今までの自分の振る舞いは自己中心的で非常識なものだったと気付きました。幼い頃の悪い環境を作り出したのは自分で自業自得だったのかもしれない。それからとても恥ずかしくなって、いや自分に呆れてしまって自己肯定感は一気に底辺まで落ちました。もう自己嫌悪で吐き気がします。自分は最低な人間で価値もない。そう信じ込んでいるから褒められても、愛されてても心のシャッターを閉めたままで中々開く事が出来ません。

現在状況は悪化し、捻くれた性格になってしまっています。素直に私の事を想って発言してくれる相手に暴言を吐いてしまいます。私の事を大切に思ってくれる配偶者にです。相手の話も聞かず、「私の事をクズだと思ってる、結婚したことを後悔してるに違いない」などと勝手に決めつけて、怒鳴って暴言を吐く。相手が傷つく発言だったと後で気付き自己嫌悪、この繰り返しです。もうここまで来ると病気でしょうか?
このままでは、大切な配偶者を失うと思います。分かってはいるのです。心のシャッターを開けて前に進まなければならないことを。でも出来ない。今、本当に苦しくて辛いです。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。

はじめに、タイトルで「自己中が招いた結果」と書いてくれていますが、これはあなたの自己中が原因なのかな?と疑問を持ちました。
性格というのは、個性はありますが、個人のみでは形成されず、必ず環境的要因がそれらを構築させています。
何か裏があるのでは?と素直に喜べないのは、素直に安心できないような出来事が、これまでに数多くあったからなのではないでしょうか。ご両親のことと友人のことで、安心できないお家と学校生活…ここに書いてくれたことだけでなく、些細な事から大きなことまで、書ききれないような量の出来事があったのではないかなと想像していました。(違っていたらすみません。)

あなたが自らそうなったのではなく、環境がそうさせた、と言った方が近いのかなと思いつつ、それを背負わされるのはあなたの人生で…と考えるともどかしい気持ちになってしまいます。そんな中でも自分と向き合い、それを認めているのはとても大切なことなのではないかと思います。
自分の価値観や行いを変えるのは、草むらだったところに道をつくるような行為だと、私は考えています。自然とそうなるのではなく、意図的に道を作るのは容易なことではなく、茎の太い草を足場の悪いなか何度も何度も踏みつけなければならないので、大変だし、時には怪我を負うこともあります。あなたは、まさにその道づくりの中で、苦しい思いをしながら、ご自身に向き合っているところなのではないかなと想像しました。
今回ここで言葉にしてそれを伝えてくれたことも、大きなことなのではないかなと思います。ご自身の気持ちの整理でも、ヘルプサインでも、どんな使い方でも良いので、またここに来てくれたら良いなと思いました。

感想2

とても頑丈な心のシャッターのお話、とても興味深く読みました。読みながら思ったのは、この経験談を配偶者さんに読んでもらってほしい!ということです。近いからこそ、溢れる感情が暴走して、「こんなことを言いたいわけじゃない!」という気持ちをぶつけてしまうことはよく聞きます。あなたの過去の経験をうかがい、ご自身でも「捻くれた」と書いてくれていますが、心の土台を強くできないまま何とかやってきたことが推測されるので、気持ちを表現する方法がうまくできなくて当然だと思いました。大切な配偶者さんに暴言を吐くことで、何とか保っているぐらい、心の土台がぐらぐらしているのだろうと思います。
だから、タイトルにあるような「自己中が招いた結果」とは思いませんでした。
自己中と似たような言葉で「自己中心性」という言葉を聞いたことはありますか?人の発達についての専門用語で、よかったら調べてみてください。私は、あなたの子ども時代の経験を読み、そしてあなたの気持ちや今見えていることを教えてもらい、この自己中心性について考えていました。人は誰でも子どもの頃は自分が世界の中心で、自分から見えることや感じることがすべて正しいと思っています。でも、いろいろな人たちと関わったり、適度にワガママを受け入れてもらったり、いさめられたり、別の見え方を教えてもらったりしながら、他者の視点を学んでいくのですが、あなたはその機会があまりなく、お手本にするモデルが見つからず、誤った反応をたくさんもらってしまったように感じたので、そんな中で心のシャッターができるのは無理もないし、子どもの頃のあなたが自分を守るためには必要だったのだろうと思いました。
だから、こうして自分の心のシャッターに気づいて、書いて教えてくれたのはあなたが成長する大切な一歩のように感じました。すでに、あなた自身は自己中心性から脱して、次のステップに行きたいと願っているのに、これまでの経験から身につけてきた癖(心のシャッター)が邪魔をしてしまっているのではないかと感じました。でも、あなたはそのことに気付いていると感じました。気付いているから、どうしたらいいのかもきっと分かるはずだと思いました。ここまで自分のことを振り返り、理解している力を信じ、そして今まで頑張って自分を守ってきた心のシャッターに労いの言葉をかけてほしいと思います。私が代わっても効果はあまりないかもしれませんが、心のシャッターに心から労いの声をかけて「今までありがとう。もう、開けてもいいよ」と伝えたいです。

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