私には夢も目標もありません。
常に来年にはどうせ死んでるからと思いながら、未来のことは何も考えないようにして生きてます。明日何が起きるかなんて誰にもわからないと言い訳して、何かに向かって努力することもせず、生活や自分の健康に対して無頓着です。
それなのにどう頑張っても未来への希望が手放せません。
いつか誰かや、何かに出会って生きていきたいと思える日が来るのでは無いかと。
ごくたまに考えます。
だけどこんな生活を続けていたらいつかの未来に健康ではいられないだろうなと怖くなる時があります。でも来るかわからない、多分来ないであろういつかのために生活を改善して健康に生きる気力がありません。
自分の未来のために努力できる人。
自己投資が出来る人のことを素直に尊敬します。死を恐れないというのは諸刃の剣だなと時々考えます。上手くいかなければ死んでやると考えることで失敗を恐れずに挑戦できるならば武器になるけれど、
上手くいかなければ死んでやるから挑戦しなくていいとも考えられるので怠惰の言い訳にしかならなくなるなと最近気づきました。
私には毒しか残りませんでした。
この先どう生きていけば良いのか全くわからないです。今の生活が好きではないけれど
何も感じず、何も考えないでいいようにただただ同じ日常が続いていって欲しいと願っています。とても欲張りでそして決して叶わない願いだと頭のどこかで気付きながら。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
目標の不在と諸刃の剣
感想2
投稿ありがとうございます。
経験談を読み終えて、言葉の端々から安心して生きられる未来への希望と葛藤を感じ取りました。でも叶う保障がない未来に対して進みたい気持ちを抱くことに不安が強くてブレーキをかけているようなイメージも湧きましたし、その感覚はとても自然なことだと私は思いました。一生懸命人生について考えているんだな…向き合っているひとだなって思います。
未来に向けて自己投資をしながらチャレンジしているひとはそれだけ丈夫な心身や環境、経験などの土台があって、自分をある程度信じられるのかなって私は思うことがあります。(私は目標を持っているタイプではないのでそういう人とはあまり話が合わずですが…)そして自分や他者を信じることは意識、無意識に関わらずそれだけの経験が積みあがっていることが必要だとも思います。(信じるってなんだか難しいっていま改めて思いました)
死を恐れないことを“諸刃の剣”だと感じたんですね。なるほど…。
その言葉から考えると、あなたが怠惰と表現している状態は私から見ると自分自身を守っている姿だと思いますし、いまはその時期なのかなって思いましたがどうでしょうか。
何かに進もうとしているあなた、進めないあなた、どちらのあなたよりもここまで向き合っているあなたがいることが何だかとても大切な気がします。今回は自然と湧き出る気持ちや気力を一緒に眺めさせてもらいました。
また気持ちを出したくなった時はお待ちしています。
感想1
読んで、とても素直で真面目な人だなぁという印象を受けました。ちょっと言い方が変ですが私の直感は「この人はいい人だ」と思ってしまいました。なぜなら、目標がないこと、努力ができないことをここまで潔く認めて、なおかつ自己投資ができる人のことを尊敬するという気持ちが率直で、本当にそう思っていることが伝わってきて、生きることに真摯に向き合う姿が想像されたからです。最初に「いい人」と言葉足らずの表現だった中身は「飾り気のない、真摯な人」という印象だと、書いていて気づきました。
詳しい状況は書かれていないので、思いっきり直感で書いていますが、あなたはあなたのままできっと大丈夫だと思いました。ここまで自分を見つめて、考えていることで十分だと思ったからです。このような何の見返りも義務もないサイトの経験談を見つけて、自主的に書いて投稿するのはあなたが何とかしたいと思っている証だと思います。それも努力の一つではないかと私は思っています。
今後も機会がありましたら、死にトリに参加してください。