思ったままに文章を書いています。拙い文章ですみません。
周囲の人は私がこのようなことを考えているとは知らないと思います。日頃は明るい対応を心がけているので。
私は両親に何不自由なく育ててもらい、現在も26歳実家暮らしですが、ありがたいことに楽をさせてもらっています。
私は記憶力が悪くなく、幼少期からこれまでの出来事などは良くも悪くもそれなりによく覚えています。
それは幼少期からかなり良かったようで、
〇〇(私の名前)はすごいとよく言われていました。
それだけ聞くと、え?と感じるかもしれませんが、
大きくなってから、「昔はあんなこと(色々あるのですが)ができて天才かと思ったわ」と親や祖父母、親戚からよく言われるようになりました。
悪気なく、本当に当時はすごかったというつもりで言ったのだと思いますが、母方の親戚は優秀な人ばかりなので、普通な成績の自分で期待に添えずごめんという気持ちが強くなりました。
小学校に入ると、苗字が珍しいこともあり変な名前だとからかわれたり、容姿やちょっとしたことですぐに嫌な意味で絡まれることが増えました。
これもよく覚えているのですが、家で母に相談すると「〇〇と話したいんやわ、気にせんとき」「ほっとき〜」とよく言われました。大人になればそう言いたくなる気持ちもわからなくはないですが、当時の私はなぜ嫌という気持ちがわかってくれないのか?と思っていました。
当時1番辛かったのは、「お母さんは綺麗、妹は可愛いのに、なんでお前はブスなん?」です。これは本当にいろんな生徒に何度も言われました。
好きでこの顔で生まれたわけではないし、他人から言われることで今まで気にしていなくても気になってしまうので、辛かったなあと思います。
上記のことでからかうには理由があったのだと思います。
私が誰かに何かをしたのかもしれない。正直当時はそこまで意識して生きていないので自覚がありませんが、自覚がないからこそ辛かったです。
小学校6年から中学校2年くらいまでは女子特有の仲間外れにしたりされたりということがたくさんありました。
これは辛すぎたこともありますが、自分がされたのと同じことをしてしまっている部分もあるので、気にしないようにしています。むしろされたからと言って仕返したことで深い罪悪感があります。
高校に入ってからは、志望校に落ちて入学した私立ということもあり、いやいや通学していました。この時期が1番辛かったです。
内部生や外部生でも桁違いのお金持ちのお家が多く、価値観の違いでなかなか馴染めませんでした。
そんな私を面白がり、1年生の時には男子生徒から嘘の告白を何度もされました。ここが自分に自信をなくす1番の出来事だと思います。その後も卒業まで見ず知らずの他コースの生徒から急に名前を呼ばれてからかわれたりということも続きました。それでも学校が嫌で休んだのは各学年ごとに1回だけです。それも親は察してくれたのか、何も言わず許してくれていました。
しかしこれらの出来事も辛いとはいえ、話を聞いてくれる友達やお世話になった先生などがいたことで救われていました。
これまで被害にあったことをたくさん書きましたが、記憶力がいいからこそ、被害にあったことだけでなく自分がしたこともよく覚えているので、被害者ヅラをしてはいけないと思っています。大人になってから神経質になった気がするので、自分はHSPと言ってはいけない気がします。
なにが言いたいかというと、自分に自信をなくす理由はそれ相応にあるにはあるだろうが、決して被害にしか遭っていないわけではなく、自分も人に嫌なことをしているのにクヨクヨと悩んでしまう自分が嫌なのです。
高校生の時の出来事を言い訳に恋愛が怖く経験もない、周りは結婚して子どももいるのに自分は実家でまだ親に頼って生きている自分が嫌なのです。
出会いがないを言い訳にするなと周りからも言われるのでアプリや街コンには参加してみたもののやはり怖く先には進めません。怖いと思うのも自分が悪いと思います。他の人には成功例もあるのに。
社会人になってからも一社目で精神的に辛い思いをしてから、仕事もいくつか転職してなかなか落ち着かず、いつまでも親不孝な自分が本当に情けないです。
ネットに出てくる自己肯定感が低く悩む人・HSPに悩む人に当てはめてはいけないからもっと努力しなければいけないのにいつまでも甘えている自分が本当に情けなく消えてしまいたいです。
話ができる友達や助けてくれる大人が周りにいて恵まれているのに消えたいと思う自分が本当に嫌ですが消えてしまいたいです。
拙いのに長々と綴ってしまいすみません。読んでくださった方はありがとうございます。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
生きてて幸せと思えるようになりたい
感想2
誰にも言えない気持ちを書いて送ってくれたのですね。周囲の人には苦しい気持ちを気づかれないよう明るくふるまっているようなので、自分の本当の気持ちを隠して日々過ごすのはとても苦しいことだろうと想像しています。書いている内容や文面などからあなたの誠実で周囲の気持ちも自分の気持ちも大切にする人柄を推測しています。考えても仕方ないと思っても、いろいろ考えてしまって、一人でぐるぐるしてしまう様子や記憶力がよくて、いろいろなことが思い出されてしんどい様子も伝わってきました。記憶力がいいのも多くのことを気にしてしまうのも、単なる自分の特徴の一つなのに、そのことで苦しい思いをしていることは周囲には気づかれにくく、逆に目に見える反応でからかわれたり、心無い言葉をかけられたりすることも多く、その時のあなたの気持ちを想像しています。おそらく、いろいろなことがあっても、一人で抱えて、周囲にはニコニコと笑顔を振りまきながら、苦しいことも悲しいことも隠して過ごしてきたのだろうと思うと、その努力を労う気持ちと、「そんなに我慢しなくてもいいいだよ」と伝えたい気持ちが湧き上がってきました。
話せる友達がいたり、支えてくれる大人もいたりすることが、あなたをより苦しめている様子なのが印象的でした。こうして書いてくれた苦しさをそのまま伝えて、受け止めてくれる人がいたらいいなと思っています。ただ、近くの人だからこそ言いにくいことやその後の関係性への影響を考えてしまうことなど心配もあるので、必ずしも身近な人に伝えられなくても、こうして書いて表明してくれるだけでも何かの効果があるのかもしれないと考えています。匿名のSNS相談もあるので、相談してみるのもいいのかもしれないと感じました。
最後にタイトルにある「生きてて幸せと思える」ということについて考えてみました。これって、難しいです。幸せはものすごく些細なことなのかもしれませんし、他の人と単純に比較できないことかもしれません。こうして考え、悩むことは苦しいことかもしれませんが、あなたのように誠実に自分の気持ちに向き合っていることが、実は幸せを感じることにつながっているように私は思いました。きっと、まだまだたまっている気持ちがあるように思います。抱えていると身体にも心にもよくないので、何かに書いてみたり、同じような気持ちの歌を歌ってみたり、絵にしてみたり、何かしらの表現や発信をしてみるのはどうかな?と感じました。もちろん、こうして送ってくれるのも大歓迎です。
お返事1
丁寧なコメントをいただき、ありがとうございました。
自分が1人で思い込み続けてもキリがないとは思っているので、このような書き込みをすることで客観的な意見をいただくことができて大変励みになりました。
全てを書きたい気持ちで山々だったのですが、うまくまとまらず、あまりに長すぎると思いこれでもかなり字数を減らして投稿しました。長いまとまりのないただただ書き殴っただけの文章でしたが、最後まで読んでいただけてご返信を頂けて嬉しいです。
また、このようなところに自分はどう思っているかを文章にして書くことで少しはスッキリしたような、自分の中でも少しは客観的に考えられたのかなという気もします。
まだまだ悩むこともあると思いますが、このような場もあると学べたのでまたしばらくは日々生きることを頑張ろうと思います。改めてありがとうございました。
感想1
経験談の投稿をありがとうございます。
たくさんの「辛かった」経験と「自分が嫌だ」という思いが書かれていることが個人的に印象に残りました。あなたが様々な傷つきを経験しつつ、時に傷つけてしまったことや家庭・周囲の環境の中で自分自身に対して厳しいまなざしー「こうであるべき何か」を持っているようなイメージーを身に着け、持ち続けているのかなと私には映りました。
傷つきの中で容姿のことや嘘の告白のことが書かれていましたが、そういうのはされる側は深く傷つくのに、している側は“そのくらいのこと”というような認識なのかなと私は思っており、悔しさというのか腹立たしさというのか、そういった感情を私は抱きます。あなたがそれによってどれほど影響を受けているかが、している側に伝わってほしいと思いながら、「傷つき」がどれほど苦しいものであるかをあなたは実感しているからこそ、あなたが自身の「傷つけた」行為を背負い続けているのかもと想像しました。
人は完璧な存在ではないため、残念なことに誰かを傷つけてしまうものなのだろうと私は思っています。だからといってそれが肯定されるというわけではないですし、理由があれば許されると言えるようなものでも決してないのだろうと考えています。ただ、それを「なかったこと」かのようにしたり、“そのくらいのこと”と認識したりするのか、それとも、あなたのように自身を諫めて再発を防ごうとする(ように見えました)のかで、その意味合いは違ってくるものなのかなと思っています(そこにある傷は消えないという事実は一生背負うことになるのかもしれませんが)。私はあなたのそうした姿勢を応援したいなと思いました。
とはいえ、繰り返しになりますが人は完璧な存在ではないため、冒頭に書いたあなたの「こうであるべき」の厳しいまなざしがあなたに向けられ過ぎると、それはあなたを傷つけることになる(ひいてはあなたが経験したような「仕返し」につながってしまいかねない)のかもしれないと私は懸念します。
あなたは「普通な成績」で「期待に応えられない」ことを申し訳なく思ったと書いていました。また、あなたは「クヨクヨと悩んでしまう自分が嫌」と言います。加えて、今も「実家で親に頼って生きている」自分を「嫌」とし、「(恋愛において)怖いと思う」のは「自分が悪い」としていました。「仕事が落ち着かない」ことは「親不孝」で「情けない」ことであり、「甘えている自分」も「情けない」と書いています。これらは(あくまで)私からすると「厳しいまなざし」のような気がしてしまいました。
(環境がそう思わせているだけで)あなたの成績は「期待に応える」ためにあるものではきっとなく、仕事も「親孝行」のために選んで落ち着かせるものではきっとないのかなと私は思います。また、誰もが「クヨクヨする」ものであり、親に限らず誰かに「頼って生きる」こと・「甘える」ことは大切な技術や力のように私は思っています。なんだか正論を言っているような感じで偉そうな文章になってしまっていたら大変申し訳ないのですが(「そんなことわかってる!」という声が聞こえた気がしまして…)もうひとつだけ言わせていただくと、あなたが「(恋愛を)怖い」と思うのはあなたがされてきた経験を考えれば自然なことであり、「あなたが悪い」わけでも「言い訳」でもないと思うと言いたいです。
「話を聞いてくれる友達やお世話になった先生などがいたことで救われていた」というあなたには、あなたの「怖い」気持ちを大切に受け取ってくれる人が身近にいるかもしれません。「怖い」気持ちに限らず、あなたが誰かの力を借りながら少しでも「幸せ」と思えたらいいなとも思っています。その誰かのひとつに死にトリがなりうるようでしたら、ぜひ今後も参加していただけたらと思います。投稿をありがとうございました。