経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

消化不良

私はいつも心が納得していません。
多分起きる事態が悪い事もあるのでしょうが、そうでなくとも消化不良なのです。
体の動きで言えば胃や腸、内臓で消化分解すべき所がそのままでは出来ない。
それが巡り、体調不良となって現れたり、時には思考を阻害する。
だから、その阻害された身体機能を処方薬の服薬で少しばかりましにする。
日々これを繰り返します。
消化不良の要因は多すぎて分かりません。
しかし治療とするなら分かりませんで終わってはならないでしょうから、そのままには出来ません。
問題を一つずつ分解し、それらしい原因を突き止め、取り除いたり、迂回や短縮、影響を少なくする。
そうして修復した物が全く同じ私であるかはその時にならないと分かりませんが、
全てを組み直す程では無いだろうから、記憶や見え方はほぼ同じだろうかと想像します。
良い方に考えるなら、発展した姿かもしれません。

時々考えるのです。
病気が治る(病気によっては治るという言葉は適切では無いかもしれません。言い換えるなら改善でしょうか)とはどういう状態なのかを。
私の場合は最初の納得感が上手く消化された時に達成されるのでしょうか。

感想1

 経験談の投稿、ありがとうございました。身体的な話でいうと、私はおなかを壊しやすいので、消化を助けるためによく噛んで食事をするようにしています。そのよく噛むという行為を、この話にあてはめられないだろうか?と私は考えました。今後なにか事態が起きたときに、少しでも消化を助けるために、体内に取り込む前に対処してみる。例えば、私の場合だとすぐに自分の感じたこと、気持ちをメモに書きだして落ち着かせています。ただそれは一時的な対処に過ぎないので、消化しきれない部分もあり、思考が阻害されることも時たまありますが…事前に書き出して落ち着かせているので、ちょっとはマシに感じます。
 あなたは、常になぜ?どうして?と、ご自身のことを追究し続ける方のような印象を私は持ちました。ただ1人で追究し続けるのはしんどいかと私は思うので、誰かと一緒に行ってみるのも1つの方法のように思いました。また、要因を考え続けると、終わりがないような感じもあるかもしれません。そこで要因から「どう対処していくか?」と思考をチェンジしてみるのもどうかな…とあれこれ私は考えてみました。そしてここ(死にトリ)でも、またこうして一緒に考えさせて頂きたいなと思っています。

感想2

投稿ありがとうございます。
「消化不良」…このタイトルを見て「感想を書きたい」と思う私がいました。というのも、私は高校3年間腹痛で苦しんだためです。私にとって高校生活はあなたの言葉をお借りすれば「心が納得できない」日々で「消化」できずに苦しんでいました。何も考えられなかった当時の私には「修復した物が全く同じ私であるかはその時にならないと分かりません」という表現は絶対に浮かばなかったため、その言葉はすごい…と素直に思っています。
また「記憶や見え方はほぼ同じだろう」、「良い方に考えるなら、発展した姿かも」という考えも当時の私には絶対に浮かばなかったのですが、私の場合「記憶や見え方」は子どもの頃のようになり、それでいて「発展した姿」になれたかもと感じています。従って、私のこの件に関しては「病気が治る」というのは「昇華」できた時と言えるかもしれないと考えました。自身の経験をこのように考え直すことができて大変驚いています(感謝します)。どのようにしてあなたはこうした力(洞察力、哲学する力、俯瞰する力でしょうか)を身に着けたのか、ぜひ聞いてみたく思いました。

お返事1

私は精神的な病気を持っていますが、それによるのか体質か、身体にも色々な症状が現れる事があります。
事情は違うかもしれませんが、挙げていただいたような腹痛も緊張で起きる事もありました。
医療はどうしても性質上、対処療法になってしまいますが、このように大きく繋がっている事が多々あるように感じ考えを馳せてみました。
日頃あまり自分の考えを出す事が無いので、一緒に考えてくれた事に感謝しています。

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