経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

多分、あそこで死ぬべきだった

私が最初死にたいと思ったのは小学生の時だった。当時の私は、周りからいじめを受けていた。
「死ね」といわれることが日常茶飯事だったし、「○○(私の苗字)菌がつく」と言われて机を運んでもらえなかったり、身体が触れただけで嫌な顔をされたりした。学校の先生には何度も相談した。そのたびにいじめは一旦止み、また再発するを繰り返していた。
特に4、5年生の時が一番つらかった。私はその時まで指をしゃぶる癖が抜けなかったのだが、ある日先生に「指をしゃぶるのはきもいからやめた方がいい。その癖は病気だ」と言われた。
あの時の衝撃が忘れられない。確かに10歳にもなって指をしゃぶる癖が抜けないのはおかしいかもしれないが、当時の私は「大人だったら私のことを絶対に守ってくれるだろう」という根拠のない妄想にしがみついていた。
その後、指をしゃぶる癖は治ったものの、いじめはなくならなかった。だけど最後の面談の時に「あの時癖を無くしたおかげでいじめられなくなりました!」と嘘をついた。
それから1年後、また同じように先生に縋りついた。まだ若い新任の先生だった。いじめに相当厳しく対処してくださった。でも母には「あなたが何かしたんじゃないの?」と言われ、いじめっ子には「お前が変なことするからだ」と泣きながら言われた。
 その時、ふんわりと「死にたい」と思うようになった。私さえいなければみんな幸せだと思うようになった。いじめっ子として先生に怒られることも、面倒な癖を持つ生徒の相手もしなくてよくなる。なぜ生きているのかわからなくなった。
小学校の時に満足に友人関係を築けなかった私にとって、中学校は地獄そのものだった。友人でもない人にちょっかいをかけて嫌われ、小学生の時の人に噂を流されていじめられた。小学生の時以上に「死ね」と言われたし、私とぶつかると私のことをばい菌として扱ってくる。見ず知らずの同級生っぽい子に急に話しかけられたと思ったら、2言目には「死ね」といわれる。そんな中で、正気を保つので精いっぱいだった。
 幸い、部活という唯一の居場所ができ、授業終わりにそこで話をしてきを紛らわせていた。ようやっと一息つけると思っていた
でも、そうはいかなかった。中2の時、調理実習の時に部活仲間といじめっこと私の三人でグループ分けされたことがあった。いじめっ子は私が調理するのを嫌がった。私の菌が口に入ると思っているからである。何もさせてもらえなかった。やっとも思いで、せめても貢献したくてミニトマトを洗った。
実食の時間になった時、いじめっ子はいやそうにトマトを見ていた。相当早くご飯を食べた後、片付けさえもやらせてもらえなかった。その子がミニトマトをシンクに捨てていたと知ったのは、それから数日後の話だった。しかも酷いことに、部活仲間はそのことを知っていながら黙認していた。誰を信じていいのか分からなくなった。
そうして、私の中にはコツコツと「死ねばよかったのだ」という思いが積み重なていった。それでもあきらめられなかった。課外活動でやっていたサッカーが楽しかったのと「まだ親には死ねといわれたことがない まだ大丈夫」と思っていた。馬鹿だった。
中学3年になってから、課外活動活動と受験と人間関係に苦しめ続けられた。サッカーでうまく行ったと思ったら成績が落ちたり、成績が良くなったと思ったら友人ともめたり、いっぱいいっぱいになりながら全部こなした。でも限界が来た。ある日、私はサッカーに行くときに鍵もかけず、洗濯物も入れ忘れて出かけてしまった。
 やらかしたと思った。一生懸命謝った。しかし父はこういった。「お前にはもともと期待してなかった」そしてこう続けた。「こんな基礎的なこともできないなら、生きている価値なんてない」
決定的な言葉だった。親だけは絶対無条件で私を愛してくれていると思った。 確かに私はとんでもないミスをした。でも、「死ね」と同義の言葉を言われるなんて思ってもみなかった。
母親も「あなたがそう言われるだけのことをしたのでしょ」と言われた。
絶望した。一晩中泣いた。そして思った 「小学生の時に死ねばよかった」と でも結局、死ぬのが怖くて死ねなかった。
そのままずるずると高校生になった。幸い、一度もいじめられなかった。2年の時に恋人ができて、信頼できる友達もできた。
しかしコロナが世界を覆った。修学旅行にも行けず、満足した高校生活を送れなかった。また、心の支えだった恋人は、県外の大学に進学することを決めた。大学生になって、また一人になった。
幸い、大学には友人がいる。でも心からの自分を見せられなかった。小中と人と話してこなかった私にとって、誰かと話すという行為は鬼門だった。
今も思う。「小学生の時に死んでいれば」と。もちろん、親や親族、先生に迷惑をかけることになる。でも今より悲しむ人間は少ない。その方がよかったのではと思う。
でも結局、怖くて死ねないのだ。

感想1

いじめという暴力に直面してきた小学生、中学生時代の様子が具体的に書かれていたので、見たこともないのにその情景が私の頭に出てきて苦しい気持になりました。特に面と向かって「死ね」と何度も言われる日々は私なら正気を保っていられないと思いますが、あなたが「あきらめない」と思えた気持ちの源はどういったものだったのか知りたいと思いました。その頃はまだ親さんが味方であると思っていたことがそう感じさせていたのかもしれませんが、それでもあなたの中にあるこころの芯みたいなものは比較的強かったのかも…高校生になるといじめはなくなり、信頼できる友人もいたというところに本来のあなたを垣間見たような感じがします。荒波が来たと思ったら何とか波を乗り越えて静かな海へ…するとまた荒波が来て…そんな想像も浮かびました。
それにしても中学生の時に鍵をかけずに洗濯物を取り込まず出かけたことが私にとっては、そこまで人格否定されることなのだろうか…?とずいぶん驚きました。それがきっかけで泥棒に入られて財産のすべてを失ったのなら怒られることになっても仕方がないと思いますが、それでも生きる価値を否定されるなんて私はあまりにも理不尽だと思います。親であっても誰であっても生きる価値を否定する権利は誰にもありません。あなたは「あの時に…」と思うのかもしれませんが、あなたのこころにはまだ地力が残っていたり、芯が残っているように感じます。
いままでこころにたくさんのダメージを負ってきたし、ひとを信じることも怖いかも知れません。それでも少しずつ回復して本来のあなたが持っている“らしさ”みたいなものを見つけられる日が来るといいなと思います。投稿ありがとうございました。

感想2

繰り返し、いじめられた経験はとても理不尽で、タイトルにあるように過去にさかのぼって死ぬべきだったと思う気持ちになるのも無理ないと感じました。ただ、「死ぬべき」という表現が特徴的で、気になりました。「あそこで死ねばよかった」とか「あそこで死んでしまいたかった」ではなく、あそこで「死ぬべき」という表現を使ったのはどのような気持ちがそこにあるのだろうかと考えています。ひょっとしたら、小さいころからあなたが自分を保護する立場にある人や大きな力を持つ人から、否定されたり、感じることや考えることを「べき」と強制されることが多かったことと関係しているのかもしれないと思いました。
私は子ども時代に過酷な環境にいた人たちの話を聞いて、身体的に殴られるよりも、感じることや存在を否定されることや押し付けられる、圧力をかけられることの方がじわじわと長期間にわたり破壊されるのではないかと思うことがあります。繰り返し本来の姿の自分を否定され、排除されることはその人の存在を脅かす行為だと思います。親から否定的な言葉を浴びせられ、友達から繰り返しいじめられて、相談してもまた排除される繰り返しの中で、あなたが、何とか生き延びてきたことを心から労いたいと思います。
そう考えると、あなたは一部の人間に根拠なく一方的に評価されてしまっただけで、本来の姿は何も損なわれていないのではないかと思いました。ばい菌でもないですし、死ねといわれる筋合いもないですし、あなたなりに必死に生きてきただけです。それなのに、呪文のように「死ぬべき」と思わされてしまう現実をあなたから教えられ、自分に何ができるのか?どうしたらいいのか?と考えています。
経験談にはあなた以外にもいじめの経験を書いている人が多くいます。私はなぜ、こんなにもいじめが続き、人生に大きな影響を与えるような問題になるにもかかわらず解決していかないのだろうと疑問に思っています。実際に経験したあなたから解決する方法はないか意見を聞いてみたいと思いました。今もなお、日々生きることは苦しみに満ちていると思いますが、もしも、これまで活躍の機会が奪われていた本来のあなたが何かしてみたいと思ったら、死にトリにまた来てもらいです。待っています。

一覧へ戻る