経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

恵まれているのに弱い自分

小さい頃から心は弱い方だったと思います。
何を行うにしても人の3倍かかる自分。学校の先生にそれを指摘される両親。これが幼い頃の強い記憶です。両親は自営業を営んでいる真面目な人達です。父の実直な経営は地域の人に愛されています。そんな真面目な両親を幼い頃からずっと尊敬し、そして申し訳なく思ってきました。
余りにも要領が悪いことを心配した母と病院に行き、小3の時ADHDと診断されました。
当時は今よりも理解が無かった時代です。それでも母は本を読み漁り、僕が苦労しないよう沢山のことを教えてくれました。
そんな恵まれた環境にいるはずなのに大人になり結婚した今も勉強も運動も仕事も出来ない自分。期待に全く答えられなかった自分がどうしても許せませんでした。
親戚からも「ダメな長男」と言われ続けているのに二人共そんなことはないと言うのです。大学も出て会社員でいま勤めていますが、父の跡を継げなかった申し訳無さで一杯です。生きにくい感覚を何か活かしたい。そう思って大学で社会福祉士を取りましたが周りの雰囲気や感情を読み取りすぎてしまい、上手く活かすことができません。
尊敬している人たちの期待を裏切り続けた自分に価値はあるのでしょうか。

感想1

経験談への投稿ありがとうございます。
「恵まれているのに弱い」という表現がとても印象的でした。たとえ物質的に豊かでも、身近な人からの理解があっても、自身が世の中の「普通」や「当たり前」にそぐわないものだったら「弱い」と感じさせられたりする圧力のようなものが、社会の中にまるで空気かのように漂っているのかなと私自身は感じています。そして仮にそういったものがあったとして、あなたが何を行うにしても3倍の時間が必要だったということは、逆に言えばどんなことも周りよりも常に3倍の努力をしてきたということなのかなと私は思いました。また、中々出来ないことへの歯痒さを感じながらも、どうにかして「尊敬する人」たちの期待に応えたい、報いたいという強い意志のようなものがあなたにはあるようにも感じられました。
私などが軽々しく他人の価値を語れないのですが、お二人(ご両親であっていますでしょうか?間違っていたらすみません。)が、「そんなことはない」と言ってくれたのは、あなたという人間を受け入れて、愛し、それこそ自分たち(お二人)にとって、「あなた」がとても「価値のある存在」だから出てきたとても温かい言葉のように私は感じました。今はあなたが望む形では「恵まれている環境」や「尊敬している人」に応えられていないのかもしれませんが、これから先少しでも望んでいる形に近い応えが見つかってほしいのと同時に、「恵まれている」と思わせてくれる人や環境を通して、「あなた自身」でも価値を感じていけるようになっていってほしいなと私は思っています。

感想2

お話ししてくれてありがとうございます。
あなたは小さい頃から、周りの人の反応に敏感だった、そんなイメージを抱きました。
自分のせいで、学校の先生に何か言われるご両親。大切なご両親を介すことで、あなたの抱く申し訳なさが増幅していたんじゃないかと思います。その幼い頃の強い記憶は、他者からの評価を重視しなければならないという価値基準を、あなたの中に生み出してしまったのではないかなと想像します。
恵まれているというのも、どこかの誰かと比べての評価であり、社会生活のなかであなた自身が感じる辛さというのは、それとは別に存在しています。そこに罪悪感や負い目を感じる必要はないんじゃないかなと思っています。
また、「恵まれた人間になりきれていない辛さ」というのもあったりするのかなと気になりました。こんな素敵な家庭に生まれてきた人間なのだから、こうあるべき、というプレッシャーになっていないか、ご両親の眩しさがかえってあなたの中に影を落としていないか、そんな一面もあるのではないかと思いました。
ご自身の価値を問うあなたは、今も自分の経験を活かせる場所を探し、模索していることに気づいていますか。たとえ3倍の労力を要したとしても歩みを止めなかったことは、それだけで十分に力になっているはずです。あなたの基準であなた自身を認められる日が来ると良いなと思いました。

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