まずは⽬にとめてくださったあなたに感謝を。
35歳、男性、無職、独⾝、⼀⼈っ⼦、⼀⼈暮らしです。少しずつ、書いていきます。
8年ほど前に、⽗が突然死しました。おそらく⾃殺です。病院では死因不明とされました
が、つけっぱなしだった⽗のPCに遺書が表⽰されていました。
このことは⺟には⾔っていません。「⽗は⾃殺じゃないよね。⾃分で死を選ぶような⼈じ
ゃないよね」と泣きながら仏壇の前で苦しんでいる⺟に、遺書のことは⾔えませんでした。
⽗もまた会社でのパワハラからのうつ病で、おまけに死の直前、詐欺にあい数百万円をだ
まし取られていました。定年したら職を掛け持ちして働くというのでなぜだろうと思ってい
たら、ある⽇この事実を告げられ、⺟には⾔わないでほしいと⾔われました。理由は、⺟に
⼼配をかけたくないから、と⾔っていました。
お⾦を返済するためにFXを始めるというので、必死に⽌めましたが、どうやら⼿を出し
てしまっていたようです。幸い借⾦は増えませんでしたが、このころから私の⼼のバランス
も崩れ、「うつ状態」や「適応障害」などの診断が出るようになりました。薬も飲み始めま
した。
⺟は私の変化に敏感で、どうもおかしいとつめより、私は事実を告げてしまいました。そ
れがきっかけで⽗の借⾦は⺟の知るところとなり、⺟が⼯⾯して貯⾦を下ろし、返済する直
前に、⽗は亡くなりました。
当時夜勤で家を空けていた私に⾶び込んできた、⼀本の電話。⺟からでした。時間も場所
も、⾔葉さえも、⼀⾔⼀句覚えています。⼀⽣忘れないでしょう。そのあと病院へいき、⽗
と対⾯し、家族葬を執り⾏い。
8年たってようやく⺟も笑えるようになり、趣味を⾒つけていたところでした。当時私は
1年ほど無職⽣活で、それでも精⼀杯⺟に恩返しがしたいと、奮闘していました。⾟くて
も、死にたくても、「私が死んだら⺟が⼀⼈になる。それはだめだ」と思って奮い⽴たせ、
⽣きていました。私のすべては⺟への恩返し、⽗を亡くして泣き暮らしていた⺟を励ます⼀
⼼で⽣きていました。
ところが、⺟の趣味の⼀つに原付バイクでのツーリングがありましたが、去年の9⽉、あ
る場所で⼀⼈、⺟は事故に合って亡くなりました。即死だったそうです。ただ、警察でも病
院でも、何が事故の原因かはわかりませんでした。
私は去年の5⽉に職場復帰し、ようやく仕事に慣れ始めたばかりでした。会社にかかって
きた警察からの電話を聞き、病院へ⾶び出しました。
またしても、親の死に⽬に会えませんでした。
まずは⺟の遺体と家に帰り、好きだった酒を飲み、⾳楽を聴き、泣きました。⺟の兄弟も
来てくれ、葬儀にも出席し、そのあとも1週間ほど⼀緒にいてくれましたが、あちらにはあ
ちらの⽣活があります。彼らも帰りました。
両親のことが⼤好きだった私の⼼は、これで決定的に壊れました。
命SOSや死にたい時に相談をといったきれい⽂句で飾られた⾏政機関に相談しましたが、
何を思ったのか「ここでは話を聞くだけだから」とか「死にたいなら⽌められないけど」
とか、あげくに「どうやって死にたい?」などと聞いてくる始末。ふざけるな!!!!
そんな折、「うつ病」と診断された上、その年の12⽉、コロナなのか鬱のせいなのか、
急に会社を解雇になりました。⼩さい会社で休業制度がないので、会社を続けるか辞めるか
を主治医と相談しなさいと⾔ってくれた中、私がコロナにり患し相談ができずにいた中で
の、急な解雇通知でした。
それはおかしいと、今年になって弁護⼠を通じて争いましたが、結果は、燦々たるもので
した。私の記憶証拠が多いとはいえ、裁判所は「あなたはそういうけど相⼿側は⾔ってない
でしょ?」などと訴えられた側の肩を持ち、こちらの弁護⼠は「そういわれるとそうなんで
すけど」などという始末。
解決⾦はわずかにとれましたが、それも相⼿から⽰されたものをこちらが承諾するか否か
というような状態。各種費⽤と差し引くと、⼿元には数万円しか残りません。
以上の経験から、世の中に助けてくれる⼈間はおらず、⾏政やそれが⽤意した機関は役⽴
たず。法の番⼈に正義を求めるのは絶対的に間違っているという結論に⾄り現在に来ていま
す。
⽗の遺してくれた⼀軒家と⺟の遺してくれた⽣命保険で暮らしていますが、⼀軒家の維持
は⼀⼈では難しく、多額の⽣命保険をただ⾷いつぶしているだけの⾃分に嫌気がさします。
もう働く気⼒どころか趣味だったことすら気⼒がわかずできません。オンラインゲームも
趣味でしたが、⾯⽩いと感じるわけでもなく時間をつぶしているだけ。
うんこ製造機です。
仕事もせず、できず、趣味に⽣きるわけでもない。ただ死にたい、死にたい、殺してくれ
と念じる毎⽇です。この家には⽣家ではありません⼩学校2年⽣から今現在まで育った家で
もあり、維持が難しいからといって売り払うことはしたくありません。⽬をつぶって歩ける
ほど慣れた家に思い出のある家に、他⼈が暮らしているところなど、それこそ死んでも⾒た
くありません。
鬱の薬をオーバードーズすれば死ねるか、と考え実⾏したくなる時もあります。
でもそれをせず、死が向こうからくるのを待っている臆病者。
こんな私です。
でも時々思います。
こんな私が結婚することは絶対に無理でしょう。でも同じ境遇の⼈がいて、それが⼥性で
も男性でも。思いを分かち合って助け合って、寄り添ってあげたい。
そう、思うことはあります。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
吐き出す場が必要です。
感想2
誰かに自分のことを知ってほしい、誰かに話をしたいという気持ちが伝わってくるようでした。両親のことが大好きと書いていましたが、大好きというよりもあなたの人生の一部になっていたように感じました。経験談は出来事が中心に書いていたので、お父さん、お母さんの人柄までは分かりませんでしたが、どちらも個性や存在感が強く自分の人生を貫いたような印象を受けました。子どもとしてというより、そんな人柄や個性に魅力を感じてたのかもしれないと考えています。ひょっとしたら、そのような存在感のある両親を頼りにしたり、逆に両親を応援することなどお互いに支え合うことに生きる実感を得ていたのかもしれません。そうだとしたら、相次いで両親が亡くなる経験は影響が大きいように思いました。子どもより先に親が亡くなることは順番通りのことなのですが、亡くなるプロセスが突然だったり、予想もつかなかったことで気持ちの整理がつかない部分もあるのかもしれません。
このような現実を前にして、生きる気力がなくなったり、意味を見いだせないのはある意味とても自然なことだろうと思いました。一方で、あなたの中には正義感や誰かを支えたいという気持ちがあることが経験談から伝わってきました。今は希望もやる気も持つことはできないかもしれませんが、あなたの中に眠っている可能性を生かせる機会はまだあると思いました。ただ、一人で何かをやろうとしても難しいかもしれないので、新たな出会いやつながりが大切になるように思います。もしも、子どもや動物、お年寄りなどと関わることが嫌いでなければ、何か社会活動に携わるのもいいのかもしれないと思いました。
突然の身近な人の死に遭遇して混乱や悲しみの中にあるときに、徹底的に故人について語るような経験が喪失感には効果があると、経験がある人から聞きました。なるほど、そうかもしれないと思いました。
ご両親のことについて語りたくなったら、またこうして書いて送ってくれたらと思います。
感想1
投稿を読ませていただきました。
最後の文章に“分かち合って”という言葉を見つけたので安心して私の経験も少しだけお話させてください。私は育ての父を自死で亡くしました。遺書は会社と母親にだけ残されていて、私にはありませんでした。非常に内気な父で、家庭に居場所がなく、ギャンブルと借金が膨らみましたが誰にも悩みを言えなかったようです。ある日の朝、私が会社に行く最中に母から電話が鳴りました。私もその時の声、言葉、道の風景、父との対面や葬儀まではっきりと覚えているので、あなたの投稿を読んでいてとても重なる経験だなと感じていました。
あなたは父親さんの借金を母親さんに伝えたことを「告げてしまった」と書いていたので、父親さんや母親さんどちらのことも考えて意を決して伝えたけれど、どこかご自身を責める気持ちが残っているのかなと想像します。その時からまだ8年しか経っていないんですね…自分の全てを母親さんの恩返しに充てようとしていたあなたがどれだけご両親を大切に思い、またご両親もあなたのことを大切に思っていたことが伝わってきました。そして母親さんとは不慮の事故で離れることになったあなたの気持ちを考えると私の想像の範囲を超えていて、言葉が見つかりません。
心が壊れてしまったという表現からもそれは強く感じました。自死と不慮の事故で亡くされたということはどちらも突然別れだったわけですから、単純に悲しみだけでは感情があるのではないかと推察しました。(少なくても私は父親の自死については悲しみだけではなく、無念さや不可解さなど表現が難しい複雑な気持ちを感じていました)
さらに悲しみの中で不当と思われるような解雇にもあって、戦われたんですね。
喪失感に失望感が重なったことを考えると、活動するための気力は残っていないのも自然なことだと思います。なぜならあなたが元気に働いていた時代はご家族の存在があって気力の源泉が日常の中にあったのだと私は思うからです。いまお住まいの家のこと…大切にしたい気持ち伝わります。部屋のいたるところに当時を思い出せる記憶があるでしょうね。ただ、ご両親が残された大切な家と暮らせるお金はあるとしても…というところだと思います。経験談の最後には分かち合って、助け合いたいというあなたの意思が示されていました。まさにこの経験談の投稿がそのひとつとなりました。私はあなたの経験談を読ませて頂いて、重なる部分をいくつか見つけて「わかるわかる…と」語りあっているような気持になりましたし、安心した気持ちで過去について思い出すことができました。
ありがとうございました。いまは働くことや好きなことをする気力が湧かなくても、こうやって言葉にして誰かとつながるって大事かもしれません。また分かち合うために死にトリに立ち寄って欲しいです。投稿ありがとうございました。