私は、幼い頃から親から虐待を受け、本当の愛という物を知らず、身近に支えてくれる人にも出逢えず、学生時代には、クラス全員から虐められるなど、青春時代とても辛い思いを経験しました。仲良くなれる友達も居なくて、大人になった今でも昔と変わらず、孤独を感じる毎日です。社会人になってからも、パワハラを受け、ブラック企業で働き、仕事・人間関係・プライベート全て恵まれず、精神的に病み続け、色々な病気を誘発してしまいました。人生、思うようにいかない事ばかりで、良い事より悪い事の方が多く、生きてる意味が無いんじゃ無いか、私なんてこの世に存在しなくていいんじゃ無いか、いっそ「死にたい」と思う事が多いです。
ここまで辛い思いをして、周りに理解して貰える支えてくれる友達も居ない毎日で本当に辛いです。恋愛では、良い人に出逢えたと思ったら、裏切られたりして、誰の事も信用出来なくなり、対人恐怖症になってしまいました。もし、私みたいに不幸な思いをして、辛いと思いをしてる方が居るなら、その思いに寄り添える人間になれると思います。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
生きづらさを感じる毎日
感想2
これまでのことを、虐待/いじめ/パワハラなどの言葉だけで表現されていますが、その言葉1つ1つ、どれをとっても本当に色々なことがあったのではないかと想像しながら経験談を読ませていただきました。そして、どれも理不尽なことであり、あなたに無力感を与えてしまうものでもあると感じました。虐待もいじめもパワハラもどれも、社会ではだめなことして認識されているはずなのに、それを支えてくれる人や力になってくれる人に出会えない…そうした社会に私はとてもやるせない気持ちになりました。人間だけでなくこの社会全体もあなたにとって怖いものと感じられているのではと想像しています。それが、「この世には存在しなくていいんじゃないか…」というところに表現されているような、そんな風に私は感じました。
死にトリの経験談を読むたびに、今の社会の実状をひしひしと感じています。そんな社会のままでは私も息苦しく、とても生きやすいなんて思えません。そしてこういった場の必要性について考えています。経験談の投稿ありがとうございました。
感想1
投稿を読ませて頂きました。
最後の一文から、死にトリに来てくださる方に寄り添う意味も込めてご自身の経験を書いてくださったのかなと推察しました。ありがとうございます。
幼い頃からこれまで様々な場面で暴力が近くにあり、逆に支えてもらえる存在は遠くにあったのだと思います。(本来は逆であって欲しかったですね…)特に家庭に暴力があったことで、その後の人間関係の築き方やひとへの感覚(不安や恐怖感など)にも強く影響したのではないでしょうか。家庭での虐待は閉じられた見えない空間で行われることによって気づかれないことが多いですが、学校や職場での暴力は周囲の誰かが気づけたのではないかなと思うと私はいたたまれない気持になりましたし、誰かひとりでもあなたのこころや状況によりそう存在がいても良かったと思います。(私がその場にいた時にそういう存在になったのか…自問自答してしまいます)その渦中にいるあなたに外から声をかけるひとがいなかったということは「自分が悪いからこうなるんじゃないか?」という思考にしかならないし、それが存在そのものの意味がわからなくなることにつながってきたのかなと私は思いました。あなたとはお会いしたことはありませんが、経験談を通じて確かにあなたが生きづらさを感じる背景を知ることができました。この感想を読むときにはどんな風に毎日を過ごしているのか気になります。
あなたの日々に何かのひとつでも違いが生まれたらと思いますので、これからも引き続き死にトリつながってもらえたらと思います。