経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

親が違ったら幸せだったのか?

私は小さい頃、父方の祖父母と父と母、父の連れ子である兄と姉、私と弟妹という大家族で暮らしていました。
父と祖母はものすごく優しくて、いつも甘やかしてくれた記憶があります。
逆に、母はいつもヒステリックで夕方仕事から帰ってくると父や姉のことを怒鳴っていました。私も、母に甘えたくて話しかけただけなのに包丁を投げつけられたことがあります。
そんな生活を送っていたある日、父が不倫相手との間に子供をつくって相手の家族と暮らすとのことで出ていき両親が離婚しました。

離婚した母は私と弟妹を連れて母方の祖母の家で暮らすことになりました。
私が小学校に入る頃の出来事でした。
離婚したあと母のヒステリックはエスカレートし、毎日「お前はお母さんが可哀想と思わないのか!」「お前が出来たせいでお母さんは不幸になった!お前さえ出来なければ!」と突然背中をボコン!ボコン!と思い切り殴られるようになりました。
抵抗することは出来ず、亀のように縮こまって痛みに耐えるしかありませんでした。
でも、幼い私にはそれが当たり前の出来事で学校にも普通に行ってました。ちなみに弟妹は母から可愛い、可愛いと言われて大事にされていました。

母が再婚することになったのは次の年のことです。
初めは再婚相手である養父は優しくて、色々な場所へ連れて行ってくれました。
東京タワーや動物園など初めて行くところばかりで、父ができたことを嬉しく思った記憶があります。
しかし、そんな幸せは長くは続きませんでした。
母は再婚してすぐ出産のために妹と弟を連れて祖母の家へ里帰り出産することになりました。
私は、母がいないのにいきなり養父の家で暮らすことになりました。
養父宅には養父方の祖母、曾祖父母もいました。
母がいる時は優しかった養父、私だけになると厳しい目を向けてきました。
食事を残せば「吐いてもいいから食べろ」
と言い、残すとたんこぶができるほど思い切りゲンコツされました。
他にも、朝起きるのが遅ければゲンコツ、宿題の問題が解けなければゲンコツ…と母がいない間に私の頭は凸凹になりました。

その後の記憶はスッポリと抜けてしまっているのですが、中学生になると母が私のことを養父に「アイツ(私)なんにもしやがらない」
と愚痴ってるのが聞こえてしまいました。
部活などで遅く帰って、宿題…それだけできついのに家のことをやらないことを責められ、気づけば私はヤングケアラーになっていました。
その頃、養父は仕事で週1しか帰ってこなくなっていて暴力はされなくなりましたが、「お母さんの手伝いしたくないなら出ていけ!」というようになりました。

夏休みなどの長い休みは朝起きて兄弟6人分の洗濯物を干し、朝ごはんを作り、弟たちを保育園に送っていき、戻ってきたら昼ごはんの支度をし、昼が終わったら保育園に迎えに行って夕飯の支度。
母は仕事の時以外は部屋にこもりゴロゴロしていました。
しかし、養父の帰宅する土曜日は夕飯をつくり、日曜日は朝から洗濯物を干したり食事を作るのでそれを見た養父が「なんでお前はなんにもしないんだ!」と怒鳴ってきました。母は私を庇うことなどなく、養父と一緒になって「なんにもしたくないなら出ていってもいいんだよ?」と言ってきました。
ずるいと思いながら、反論したとしても「口答えするのか」などと言われるので私は何も言えませんでした。

そんな養父でも「高校ぐらいは出ろ」と言って高校受験させてくれました。
高校を出たら一人暮らししようと思って入学しました。しかし、母は養父がいないと「高校なんか辞めて働け!働いて今まで育ててやった分の金返しやがれ!」と毎朝怒鳴って来るようになりました。
高校に行くことが犯罪のようなとても悪いことのような気がして、私は1年の一学期に退学することにしました。話し合いの時、反対する養父の隣で、母はあんなにやめろ!と言ってたのに「お母さんも高校ぐらいは出た方がいいと思うよ」と真逆のことを言ってきました。
私は頭が混乱してしまい、もうどうしたらいいのか分からなくなりました。
行けば母から怒鳴られる、辞めれば養父から怒鳴られる。
でも誰にも相談できませんでした。
結局、私はアルバイトしながらヤングケアラーとして生きる道を選びました。
周りは青春を謳歌しているのに自分が惨めで辛かったです。

そんな生活をしていて、1番下の弟が小学校に入る年齢になったら私の役割は終わりました。
母は1番下の弟が歳を取って出来た子でおばあちゃんと間違えられたことがあるので、弟の保育園の送り迎えなどの世話をしたくなかったのだと思います。

「結婚でもして出ていけば?いつまでもごく潰しに居られても困るから」と、散々家事をやってきた私に母はそう言いました。
私は母の言いなりになることが最善と勘違いしていたので、バイト先の男の人と18の時に結婚し家を出ました。

好きではない人との結婚。その人も浮気やモラハラをする人でした。
10年近く一緒にいました。

その後、私はお金が無いことを理由に結婚離婚を何度も繰り返してきました。子供には辛い思いをさせてきました。最低な親の自覚もあります。
言い訳をするなら、お金が無かったから誰かに頼るしか無かった。
だけど、何より幸せな家庭を夢見ていたのです。

それは叶わず、今は最後に結婚した人と一緒にいます。
歳をとってから、自分次第でなんとでも出来たなぁと思います。自分を信じることが出来ていなかったなぁと後悔しています。

生きづらさは消えていません。自分が悪いのですが学歴は中卒、結婚離婚を繰り返したので友人も離れていきました。
自業自得なんですが、もし、他の人が親だったら私はどんな人生を歩んでいたんだろう?と考える時があります。
どんな人が親でも私はダメ人間として育っていたんでしょうか?
頑張らなくてもいいことを頑張って生きなければならない人生だったんでしょうか?
私も弟や妹達みたいに愛されたかったです。

感想1

経験談を読みながら気づいたら奥歯をかみしめていました。
しーんとした部屋の中でどこか緊張しながら読みました。幼少期から様々な役割を担い生きてきたあなたの経験は客観的に見ると過酷なはずなのに、その当時のあなたを想像すると、なぜかどんな言葉にもできずに読んでいたからだと思います。経験談にはほとんどあなたの感情は表現されていませんでした。どんな言葉で私が表現しても違うような気がしました。安心できる環境で育つ権利が保障されて然るべきこども時代に、様々な義務を強いられて育ってきたんですね。中学生が高校行くことを犯罪だと感じるような理不尽な状況にいたあなたの日々を想像すると本当に言葉が見つかりませんが、同時に生き抜いてきたあなたの地力をとても感じました。
結婚や子育てを経験して、たどり着いたのは自分を振り返る言葉だということはとても印象的です。他者に対してではなく、“自分を信じることができなかった”ことに静かに目を向けているあなたは、私の感覚ではダメ人間だと到底思えませんでした。
ひとはものごとの原因を自分に見出して合理化するところがありますが、あなたもまた自身の生きづらさを自分が原因であると考えているように思います。一方でタイトルにあるように、親が違ったら幸せだったのか考えてみた時に、親が違ったらというよりは、せめてもう少し安心してこども時代を過ごせていたなら、あなたの意思や希望が尊重されていたなら生きづらさを感じるいまの日々とはまた違った人生だったのかもしれません。
いままでずっとこころに感情を沈めて生きようとしてきたあなたを想像しながら読み終えました。私にとって静かな経験談でした。
気持ちをこぼし、本音を言葉にする機会はあるでしょうか。今回は感想を書かせてもらいながら私は勝手ながらあなたと対話したような気持ちになれました。
投稿ありがとうございました。

感想2

人生を改めて振り返る率直な語りだと思って読みました。「もし、〇〇だったら?」そう思うことは珍しくないことだと思いますが、現実的に過去の事実を変えることはできないので、答えは誰にもわかりません。ただ、間違いなく言えることはそう思う背景には、受け入れたくない現実があり、それが自分ではどうすることもできなかった無力感があるということかなと考えました。それだけ、あなたは、親という存在について強い思いがあるのだろうと思います。子どもは親を選んで生まれることはできません。だからこそ、親が違ったらと思ってしまう気持ちが強くなることももっともだと思いました。経験談に書かれたたくさんの子ども時代のエピソードを見て、その時の情景を思い浮かべ、その時の子どものあなたを想像すると、悔しくやるせなく、違う環境を得るチャンスを保障したいと思いました。本来はそれが子どものための福祉の役割でもありますし、子どもを見守る学校や地域の役割でもあると思います。それが、無力な子どもが大人になってからもずっと育った環境の影響を受けて苦しみ、そして自分の境遇を恨むような状況に追い込まれることが現実であることが歯がゆいです。
これだけ過酷な経験をして、これまで生きのびてきたからこそ、聞いてみたいことがあります。それは、何時のどの場面でどんな手助けや仕組みがあれば、幸せになれただろうか?ということです。親が違ったら今のあなたは存在しないですし、そもそも私たちは生まれてくるときは選べないので、生まれてから子どもが親に左右されずに安心や安全が保障されて、子どもの権利を守られて育つことができるようにする必要があると思います。そのために必要なことは現実を知らない人が簡単に考えることではなく、現実を経験した人たちの意見を聞く必要があると思います。でも、実際にはそうした声はあまり届いていないように思うので、こうして経験を届けてくれたあなたに聞いてみたいと思いました。
文章の中には「自分次第で何とでも出来たなぁ」「自分を信じることが出来ていなかった」「自分が悪い」「自業自得」という表現がありました。世の中では自分の努力で道を切り開くとか、自分で責任をとるなど、それぞれの自助努力が大事だと思われている節がありますが、実は見えないところで支えがあり、土台があるからこそ努力も頑張りもできるのだろうと考えています。私はあなたに心からよく頑張ってきたと労いたいですし、結婚離婚を繰り返したことも自分なりに最大限の防御だったと感じています。信頼して安心して委ねる他者の存在を感じる経験がなければ、自分を信じることが出来なかったのも無理もないと思います。それでも、こうして経験を書いて送ることで、私たちにつながってくれたことはあなたの意思であり、自分らしくいようとする姿だと私は思いました。
その姿を感じて、これからでもできることはあるのではないかと私は思いました。こうして死にトリとつながったことが何かのきっかけや力になるのなら嬉しく思います。ぜひ、また死にトリに来てください。

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