経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
怒る力の出し方を思い出せない
子どもの頃から、自分のやりたいことや意志をしっかりと持って生きてきた方かと考えています。ありがたいことに運や周囲に恵まれたおかげで、自分やりたい仕事に進みました。ここまではよかったんです。
周りと比べて自分が理不尽を溜め込めてしまうのか、怒りや意見として周りに発信することを忘れてしまいました。怒りたいはずなのに、怒れない。人に怒ることはよろしくない、まずは自分の落ち度を疑ってから何かを言おうとしているうちに話すほどでもないと流してしまうことが増えました。
怒りの感情は心の中にあるはずなのですが、いざ言葉にしようと思うと上手く表現できずに飲み込むような生活が数年続いています。周りに話すと、もっと怒ればいい、自分を責めずに多少は周りのせいにしていいと言われつつも笑って濁してしまうため、ストレスが消えていかないのが昨今の悩みです。
憧れの仕事についたものの、まず若手に求められる作業は大変緻密で泥臭いものが多く、先を見通せるほど経験があればこんなくだらないミスなんてしなかったのに、ひとつのミスを次第に引きずるようになってきました。同じミスはしなくても、初見対応が来てやむを得ないことに対応するのがまだまだ経験が足らず、自分は一体憧れの場所で何をやっているのかと日々気落ちしています。自分の至らなさで何度も首に刃物を突き立ててしまおうか、とキッチンの戸棚を開けてぼんやりとする夜もありました。
そもそも自分が理不尽や怒りを発揮しても無駄だと思うようになったのかを思い返すと、子どもの頃に好きで打ち込んでいたバレエの影響も大きいかもしれません。好きでやったことでしたが、とても厳しい先生のもとで育ち、理不尽を言い返さずに、自分の落ち度を認めて直した方が良いという思考回路がそこで確立されたまま治らないのです。少し柔和に考えたくとも、疲れた時ほど何かが起きればまず自分の落ち度を探り、人に言われているかわからない所まで責め続けてしまう悪癖が、どうも消えていかないのです。
自責の念を表にすることは逆に顰蹙を買うこともあり、下手に相談がしづらいのがまた難しい所です。健康な程度に自責の念を持ち、理不尽なことややむを得なかったことを流せるようになるにはどうしていったらいいのでしょうね。
人生の先輩のお話が聞けたら、何よりです
感想1
「怒る力の出し方を思い出せない」というタイトルが、まずとても印象的でした。
自分語りになってしまいますが、わたしは10年ほど死にたい気持ちを抱えながら生きています。そして、怒る力を失ってしまったことが、自分の死にたい気持ちに繋がっていると最近気づきました。
わたしは、感情というのは、相手に「受け止めてもらえる」イメージが湧かないと出せないものではないかと思っています。あなた自身も書いてくれていますが、怒っても無駄だというイメージ(経験)が積み重なったことが、あなたから怒る力を奪っていったように思いました。また、もしかしたら、意思が強い性格であることで、「落ち度を認めて直した方がいい」という意思を強く持ち続けられてしまったのかもしれないと感じました。
またもや自分語りになってしまいますが、わたしが怒りに気づけたのは、周りの人がわたしの話を聞いて代わりに怒ってくれた(「それは理不尽だ」と憤ってくれた)ことがきっかけでした。過去の出来事についてだったので、具体的に何を解決できるわけではないのですが、「あ、怒ってよかったんだな」とすとんと腑に落ちた感じがしました。そして、そういう経験が何回か積み重なるうちに、過剰な自責の念は少し弱まった気がします。
あなたのバレエの先生は、一体どんなときに、どんな発言をしてたのだろう…とわたしはちょっと気になっています。具体的なエピソードを聞いたら、自分も自分の周りの人も「それは理不尽だ!」と大いに怒ってしまうかもしれません。理不尽を流すのも一つの方法ですが、理不尽をみんなで共有して怒るのも、個人的にはなかなか悪くないと思います。
経験談の投稿、ありがとうございました。
感想2
経験談の投稿、ありがとうございます。
「怒る力の出し方を思い出せない」というタイトルにまずハッとしました。同じように考えていた時期があったんです。うまく怒りを表現できない自分はなんなんだろうと思っていました。「もっと怒ればいい」「多少は周りのせいにしていい」と言われて、頭ではわかるけどどうもしっくりこなくて。自分を大事にしていないわけではないけど、自分のために怒りを出すって難しかったなーというのを覚えています。
今回の文章を読んでいて思ったのが、そんな自分をものすごく冷静に見ることができるからこそ、怒りを出す自分や周囲の「その後」も想定できて、それが見えるからこそ、自分を律してしまうということもあったんじゃないかというところでした。自分を冷静に見る(分析する)こと、それもバレエで得たものかもしれないですが、そんな冷静さはときに苦しくもあり、ときには自分を支える力にもなり。使い方次第で結果が変わるものなんじゃないかと思いますが、いまはそれが苦しめる方に向かってるんじゃないかと感じます。
「健康な程度に自責の念を持ち、理不尽なことややむを得なかったことを流せるようになるには」とありましたが、その言葉からも、ストイックに自分を律しようとしているのではないか?と感じました。
ふと気になったのは、怒りもそうですけど、他の感情は出せているだろうか?ということでした。楽しい、嬉しい、悲しい、寂しい、そんな気持ちは出せていますか?怒りを抑えるということは、他の感情も一緒に抑え込んでしまう、そんな癖が自分にはあったので、とても気になっています。
ちなみに、無理して怒りを表現する必要はないんじゃないか?と気が付いてからは、表現しようとすることをやめました。でも「自分が受けていることが理不尽だ」と思うことはやめない、と思って過ごしています。それはそれでありかな、と自分では納得しています。
お返事1
ご丁寧な感想をいただきありがとうございます。
海外出張中に心がしんどくなった時に、貴サイトに書き込ませていただいたことでフッと心が軽くなりました。このようなサイトを運営してくださってることに感謝いたします。
さらに感想までいただけるとは思っておらずでしたので、大変嬉しく思いました。ありがたいですね。
いただいたコメントを拝見しながら、自分の怒りや苦しみを周りに少し打ち明けてみるのも悪くないかと考えました。気づいていないだけで、周りにも似たような境遇に苦しむ同士で、少し心を軽くするような時間を過ごせると良いですよね。
憧れの仕事についたのに、好きなことをしてるのに、と追い詰め続けていてはせっかくできていることに目を向けられず、自己嫌悪に陥るのはもったいないですよね。せっかく頑張ってきた自分が可哀想になるような考え方は、少し緩めていこうかなと思いました。
優しく背中を押してくださり、ありがとうございます。本当に助かりました。
元の元気な自分に、ゆっくり戻れそうです。
感想1
「怒る力の出し方を思い出せない」というタイトルが、まずとても印象的でした。
自分語りになってしまいますが、わたしは10年ほど死にたい気持ちを抱えながら生きています。そして、怒る力を失ってしまったことが、自分の死にたい気持ちに繋がっていると最近気づきました。
わたしは、感情というのは、相手に「受け止めてもらえる」イメージが湧かないと出せないものではないかと思っています。あなた自身も書いてくれていますが、怒っても無駄だというイメージ(経験)が積み重なったことが、あなたから怒る力を奪っていったように思いました。また、もしかしたら、意思が強い性格であることで、「落ち度を認めて直した方がいい」という意思を強く持ち続けられてしまったのかもしれないと感じました。
またもや自分語りになってしまいますが、わたしが怒りに気づけたのは、周りの人がわたしの話を聞いて代わりに怒ってくれた(「それは理不尽だ」と憤ってくれた)ことがきっかけでした。過去の出来事についてだったので、具体的に何を解決できるわけではないのですが、「あ、怒ってよかったんだな」とすとんと腑に落ちた感じがしました。そして、そういう経験が何回か積み重なるうちに、過剰な自責の念は少し弱まった気がします。
あなたのバレエの先生は、一体どんなときに、どんな発言をしてたのだろう…とわたしはちょっと気になっています。具体的なエピソードを聞いたら、自分も自分の周りの人も「それは理不尽だ!」と大いに怒ってしまうかもしれません。理不尽を流すのも一つの方法ですが、理不尽をみんなで共有して怒るのも、個人的にはなかなか悪くないと思います。
経験談の投稿、ありがとうございました。