経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

救いはあるのでしょうか?

うつ病持ちの30歳です。
抱えていた問題が一気に「死にたさ」となったので、まとまりきってはいませんが、書き込ませて頂きます。

①仕事のこと
定職には就いていますが、いわゆる社内ニートに近く、期待も失望もされない日々を過ごしています。前職では散々能力の低さを指摘され、うつ症状が悪化し退職しました。前々職も、その前も同様で、今で4社目になります。どの会社も、僕が去る時に一番良い顔をしていたように感じました。前職を辞める前に言われた「(貴方自身が)出来てると思っている事が貴方は出来ていない」という言葉には特に傷つけられ、今でも思い出してしまいます。
能力向上を目指して職業訓練に通ったり、発達障害を疑ってテストを受けたりはしました。テストの結果は「発達障害の傾向あり」。グレーゾーンという結果にしかならず、努力不足の甘えなのかという念に苛まれました。現在は簿記の知識を活かしながら経理として働けていますが、同世代の平均年収には到底及びません。会社は慢性的な赤字状態で、給与アップは望めませんが、転職するリスク(年齢的、精神的)や、今の居心地の良さを考えると現状がベストな気はしています。

②趣味のこと
友達は多い方だと思っています。バンド演奏を趣味でやっていて、よく掛け持ちでの出演を依頼されます。その度、遊びに行ったり、音楽を演奏する友達は出来ます。ただ、心から本音で話せる人は、いないのかもしれません。(具体的には、「話せる」のですが、何人かから「否定された」事があり、それが怖くなり話したくありません。)
例えば、大学生のころ恋愛関係で死ぬほど辛かった時に、「それじゃ、死んだら」と言われた事は今でも印象強く覚えています。
演奏自体は楽しいはずなのですが、心から楽しめる瞬間は少ないです。それでも、何もせずに生きているよりはマシだから、と続けているのが本音です。こんな事を言うとそれこそ否定される気しかしないので、家族以外には言えません。
そうこうしているうちに本音は何なのか自分でも分からなくなりました。自分で物事を判断するのが億劫になり、また、自分で何かを「やりたい」と言い出すのも恥ずかしい、というのが現状です。

③家族のこと
母は僕の幼少期に離婚しており、母子家庭です。父とは年に1回ほど会おうと連絡が来るので会っており、仲は悪くありません。お互い敬語という、子として腑に落ちないところはありますが、それでも会っています。父は再婚して子供がおり、旧帝国大学に合格しました。教育熱心な父としては鼻が高かったでしょうが、僕としては「僕は失敗作だったんだろうな」という思いが深まる一方でした。
母は、幼い頃から仲が良く、なんでも話せる関係でした。しかし上記の恋愛関係の一件でうつ病になってしまい、昔からうつ病持ちだった母からも(何も出来なくなった僕に対して)「甘えている」と言われた事で、大きな溝が生まれてしまいました。今でも実家暮らしを続けていますが、この一言は、上記の「甘えなのかという念」にも連なります。それ以降は、何度も「死にたい」「殺してくれ」と親に言うようになってしまいました。

④恋愛のこと
保育園の頃、周りから持て囃されるほど仲のいい女の子がいました。しかし小学校進学後、(思春期特有のものだと解釈していますが、)嫌われてしまいました。中学校では、女子生徒たちは彼女に同情するように陰口を言っていたそうです。その経験が元となり、女性恐怖症のような状態になってしまいました。高校を卒業した後も、好きな人は出来ても彼女は出来ませんでした。
大学に入ってから、「アプローチしたい」「好きな人」が出来ました。が、結局その人ともうまく行かず、先述のうつ病になりました。それ以降、告白して付き合ったり(その段階で浮気されていましたが)、告白されて付き合ったりで何人かお付き合いしましたが、いずれも長続きはしませんでした。一番長く続いた彼女は、結婚を考えられない(清潔感の違い、一生好きで居れる気がしない)という理由で振ってしまいました。その彼女と別れてから、3年ほどフリーです。周りの結婚ラッシュは第2波になり、焦りも出てきます。マッチングアプリやバンド友達へのアプローチも試みていますが、やはり上手くいきません。結婚相談所や街コンも検討しましたが、費用対効果が悪いと感じ、お金を出せていない状況です。

⑤直近のこと
そんな中、僕の判断ミスで友達を怒らせてしまい、「判断力のなさ」「彼女が出来ない」「お金がない」ことを母に相談したところ、「判断力の無さを改善しようと努力しているか」と問われ、していない旨を伝えたところ、「そんな人には誰も魅力を感じないし、彼女も出来ない」と言われました。
たまらず「じゃあなんで産んだのか」と喚いてしまいました。言動は良くなかったと思いますが、どうしようもない気持ちになったのは事実です。出来れば判断力は付けたいですが、これだけ自尊心ズタズタにされて、出来る気がしません。でも、方法があれば、性格上、努力は厭いません。

母にはASDの診断が下りており、相談しても自分の話に切り替えられます。カウンセリングも過去に受診しましたが、行動や考え方を否定(アドバイスではなく)される事が何度もあり、それが怖くてもう2年ほど行けていません。こんな状態で、救いはあるのでしょうか。

長文・散文すみませんが、ご意見頂けると幸いです。

感想1

経験談の投稿をありがとうございます。
読ませていただいて、様々なシチュエーションにおいて、あなたは「否定」をされる(と感じる)ことが多かったのかなと思いました。
仕事においては、退職する際に「(周りが)一番良い顔をしていたように感じる」という経験をしていたり、「出来てると思っている事が貴方は出来ていない」という傷つく言葉をかけられたりしたようで…これらは「否定」されたと感じる経験だったのではないかなと思います。趣味(交友関係)においては本音で話して「否定」をされることもあれば、恋愛において陰口を言われたり、死ぬほど辛いのに「それじゃ、死んだら」と言われてしまったり(言われたのは友人からとのことですが)…こうしたことも「否定」された(と感じる)経験としてあなたに蓄積されていったのではないかと想像しました。
そうした「否定」をされる経験の中でも特にあなたにとって大きかったのは、母に「甘えている」と言われてしまったことではないかと思ったのですが、いかがでしょうか。
「なんでも話せる関係」だったと書いていますが、母子家庭に育ったあなたにとって母はきっとあなたの理解者だったのではないかと想像します。あなたの母もうつ病になったことがあるということから、あなたにとって母はあなたのつらさをも理解してくれる人だった(とあなたは思っていた)のかなとも想像しました。しかし、そんな母にあなたのつらさは「甘え」と言われてしまった。それはあなたにとっては深く傷つく体験だったのではないかと思います。この一言が「努力不足の甘えなのかという念」に通じているとあなたは書いていますが、「努力が足りない」という言葉をかけられるのも「否定」をされる言葉であり、「甘え」という言葉もある種の「(がんばりなどの)否定」と言えるように思います。こうした経験を積み重ねていれば、「否定」されることが怖くなるのも無理はないのかもしれないなと思いました。
なぜ人は「努力」を「否定」するのでしょう。「努力」ってそもそも見えないもののような気がするのですが、人はそれをどうやって判断しているのでしょうか。もっと言うと、「努力」ってそんなに大事なことなのでしょうか。感想を書きながら、私の中にはこうした疑問が浮かんできていました。それらの答えを私は出せずにいますが、「努力」を強く求められるのは能力主義や自己責任という文脈においてだろうと私はいつも考えています。もしかしたら、あなたがこれまで「否定」されてきたことは、そうした文脈で語られているに過ぎないことなのかもしれないなどと少し思ったりもします(あなたの傷つきや恐怖を軽視する意味ではありません)。そうした文脈であなたのことを語らない人や場と出会えたら少し違うでしょうか。それはあなたの言う「救い」になりうるでしょうか。完璧ではないにせよ、死にトリはそうした文脈で人を語らない場のひとつを目指していると思うので、もしよければまた死にトリに参加してもらえたらと思います。投稿ありがとうございました。

感想2

 経験談の投稿、ありがとうございました。ご自身の多くの話を細かく書いてくださっています。そこから、今の自分の状況を知って欲しい、抜け出すための解決方法があれば知りたいといった強いあなたの気持ちがありそうだと私は感じ取りました。
 全て読ませて頂いて、①から⑤の話は別々の話ではなく、全て根っこが繋がっている話なのかなと私は思いました。例えば、③で「僕は失敗作だったんだろうな」とあったのですが、これは①で能力の低さを指摘された話と関連していると私は思いました。あなたは周囲との関わりによって、日頃から「自分の価値、能力」といったことを意識したり、または気にすることが多かったのかなと私は想像しました。「じゃあなんで産んだのか」と母親さんに言ったのも、そういった部分が関わっているのかなと思いました。
 そして全ての話を通して、これまでの人生であなたは他者から言われた言葉に深く傷ついている経験を多くしていることがよく伝わってきました。特に母親さんから「甘えている」「そんな人には誰も魅力を感じない。」といったことを言われたとのことでしたが、これは
ありのままのあなたを受け入れて貰えなかったということだと私は思いました。「自尊心がズタズタ」という部分を読んで、「そうだよね…」と納得しました。「死にたい」には色んな要因があると思うのですが、ありのままのあなたを受け入れて貰うことが出来ず、自尊心をズタズタにされたことはあなたの「死にたい」の大きな要因の一つのような気が私にはします。
 そこで私は、母親さんがあなたにとって傷つくようなことを言う可能性がある人物なのであれば、ちょっと距離を取ってみて、自衛するのはどうかなと思いました。あなたがこれ以上自尊心をズタズタにされる必要はないと私は思うのです。またこれは、これ以上溝が深まらないように、という意味でもあります。
 過去に友人、カウンセラーなどに「否定」をされた経験を数多くされてこられたのだと思うのですが、ここ(死にトリ)は一人一人の感じ方・考え方を尊重する場所で、「否定」はありません。ですので、ここにまた来ていただいて、色んな考えに触れてみて欲しいと私は思いました。待っていますね。

お返事1

上記、ご感想を頂きありがとうございます。
頂いた言葉の一つ一つが温かく、浄化されていくような感覚になりました。
否定されて育ってきた事など、まさに仰る通りで、自己を振り返る良い経験となりました。

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