経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

心の傷

リストカットについて、思うことがあったので書きます。
心の傷は見えない物で、見えない場所にあるのに物凄く締め付けられるような痛みなんですよね(私の場合はみぞおちに鈍痛が走ります)直接リストカットをしたことはないけど、リストカットをした友達は「なんだか安心する(傷を見ていると)」と言っていたことを思い出しました。心が痛んで、傷ついても他者からそれは見えない。それどころか「くよくよするな」とか「やる前から諦めるな」とか言う人をたくさん見てきました。
そんなことを言う人がいるから、直接切って見たりするのかもと考えました。心の傷は見えないから、傷着けてきた人たちに見せつけて何が悪いんですか?
薬を飲まないと生きられないような人間に誰がしたんですか?
全て自分自身ではなく、他責思考の相手。自分の責任を人に押し付ける「だれか」のせいです。決してあなたのせいではありません。切っている自分を責める必要はありません。すべて心ない言葉や行動であなたを傷着けてきた周りの責任です。
ただ、呼吸をするためだけに生きていても良いと思います。そして、あなたは、あなたの為だけに生きていて下さい。

感想1

リストカットや心の傷があるひとに対しての社会の目をたくさん見てきたからこそ、そうした社会に向けて伝えたい、訴えたいメッセージのように感じました。私自身もリストカットを含めた自傷行為について近い考えを持っていることもあって、頷きながら読ませてもらいました。(そして、似たような気持ちでいる人が他にもいるとわかって嬉しくも思ってしまいました。)どうして目に見えるか見えないかでこんなにも捉えられ方は変わってしまうのでしょうね…。
 目に見えないものの全てを理解するのは難しいけれど、見えてるものだけが全てじゃないし、目に見えても目に見えていなくても、その人が辛いと感じているいうこと、そしてそれは広くいうと「その人がどう感じているか」、それを大切にしたいなと改めて感じました。投稿、ありがとうございました。

感想2

経験談の投稿をありがとうございます。
読ませていただいて、あなたと似たようなことを私はいつも考えてきたと思いました。
私は、世の中には「見ようとしなければ見えないものがある」ような気がしています。心の傷はそのひとつではないだろうかと思っています。
残念なことに、世の中には「見えないものを見なくても(見ようとしなくても)生きていける」人がきっとたくさんいて、そういう人たちは「見えないまま」でいようとするのだろうと私は考えてきました。あなたが書いてくれたような「くよくよするな」という言葉かけなどは、「見えないままでいたい」という表れではないだろうかと私なんかは思うのです。私はそのことに憤りを覚えて生きている人ですが、あなたのように見えないものをちゃんと見ようとする人が確かにいると知れて、勝手ながらホっとしています。同時に、私もあなたのように見えないものを見ようとする人で在りたいと改めて思わされました。投稿をありがとうございました。

一覧へ戻る