経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

消えたい

子どもの頃から自分は他と違うと感じてきました。親は否定的な言葉を遣い、異端的な性質をもった私を思い通りにコントロールしたかったのかもしれません。味方を見つけられませんでした。就職してからは、子どもたちだけではなく保護者、同僚の教師を見て、自分の傷と向き合うことになりましたが、自分なりに一生懸命やってきました。私の声が指導の難しいお子さんに届かない、私を慕ってくれる子どもたちの声を受け止められない、自分がやってきたことを認められない。失敗して傷付きながらも頑張る子どもたちに「自分を大事にすること」を教える立場にありながら、自分を責める毎日に疲れてしまって。自分ができないのに教壇に立つのは恥ずかしい。辞めてしまえば楽になるのか。。。死にたいとは思いません。でも、みんなの記憶から消えてしまいたいと思っています。

感想1

 経験談の投稿、ありがとうございました。「届かない」「受け止められない」「認められない」「自分ができない」と、ご自身を否定する表現が多くこの経験談の中には存在しているなと思いました。これは、あなたが子どもの頃に親御さんから否定的な声かけをされた経験が関係しているように私は考えました。教師として自分がどうあるべきか日々葛藤し、その葛藤の中でご自身を否定することも度々あるように私は想像をしました。もしそうだったら、それは疲れてしまって当然のように思います…。あなたの中から発信される否定表現を裏返してみると、それはあなたの教師としての本来ありたい姿を示していて、否定表現が多ければ多いほど、ありたい姿もその分多くありそうだと私は推測しました。(私の推測なので、違っていたらごめんなさい。)今あなたがどうしたら楽になるのか、すぐ答えが出る問題ではないと思うのですが、一度休んで仕事と距離を置いてみるのも1つの方法かもしれません。

感想2

現在、教師として働いている中で、いろいろな場面で自分の過去と向き合う機会が訪れている様子を想像しています。そのこと自体は必ずしも悪いことではなく、子どもの頃の経験を意味付けして、新たに自分を受け入れるきっかけにもなるかもしれないのですが、「味方を見つけられませんでした」という言葉にあるように、一人で向き合うにはとても過酷で孤独で、苦しいと思います。みんなの記憶から消えてしまいたいというのも無理もないと思いました。教育現場もいろいろなストレスや負荷もかかるだろうと思うと、その中でも自分のことを真摯に見つめ、日々に向き合っていることが伝わってきたので、率直に敬意と労いの気持ちを抱いています。自分を何とか助けようとして苦しみ、そして声を届けてくれたことを歓迎したいです。死にトリにつながってくれたことはあなたの選択であり、意思だと思うので、その思いを受け取り、可能な限り味方になりたいと思いました。また、死にトリに来てください。待っています。

お返事1

丁寧に向き合っていただいてありがとうございます。寄り添ってもらえることがとてもうれしく、置かれている状況をわかっていただけたことに目頭が熱くなりました。力が少し抜けたように感じています。

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