経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

上手いやり方があったはず

私には昔からの夢がありました。「s士(業種(伏字))」になること。
長いのでめんどくさい人は最後だけ読めばいいですよ。

小中の頃は普通の子だったと思います。普通に学校に行って勉強して部活して。中2,3の頃には彼女もできました、1年くらいの片想いを経て念願叶って付き合えた素敵な女性でした。今にして思えば中学が人生のピークかな。もっと我儘言って遊べばよかったな。そういえば中1の頃はいじめの加害者になってしまったり阿呆なこともしてしまいました。今年で23になりますが今もその子に会うと申し訳ない気持ちでいっぱいです。対等な気持ちで話せません。あと、部活の子とは仲が良かったと思うけど外遊びは誘われてもあまり行きませんでした。家は母子家庭で、「ウチは収入が少ない。俺だけ遊ぶのは申し訳ないな。」その気持ちからでした。そうしてそのうちに誘われなくなりました。母のせいにはしたくないけど自分が遊び下手なのはこれが原因だと思います。同じ理由から彼女ともあまり外遊びはしませんでした。ごめんね。
と、そして高校へ入学。高校生になった途端、「s士ににならなくてはいけない。高校を出た次のフェーズはもう就職だ。」とプレッシャーに駆られました。因みに現役で合格出来なかったら自殺すると決めていました。
高校に入ってからは、「評定」「受験対策」「内申点を下げない」とにかくこのことばかりでした。評定に関しては卒業評定4.8、受験対策は高1から講習に参加して頑張りました。ただ、内申点。「自分のせいで内申点下げてしまうのは仕方ないけど、誰かのせいで下げるのはいやだ」と、人付き合いをしなくなりました。例えば「駅で騒いでいる学生がいる」なんて苦情があってそこに私の名前が出てきてしまったらと思うと心底嫌だったのでできる限りのリスクは全て排除しました。そうして、「自分のことしか考えないお受験マシーン」が完成してしまったのです。そうなるとあんなに好きだった彼女も邪魔……とは思いませんでした。本当はたくさん遊びたかった。ただ当時の私は子供でした、自分の中でこんな狂気じみたまじないがあったのです、「何かを得るには何かを捨てなくてはいけない。」というまじないが。私にとってs士とはそれはもう長年の夢ですから、これは相当のものを供物に捧げなくてはいけないとなるわけです。そこで1番大事だった彼女を私は選んだのです。もっと早く別れていれば彼女の貴重な青春を無駄にすることなどなかったのに。
そうして受験を迎えます。結果は余裕で合格しました。合格したから言えることですけど、あんなに頑張らなくても、彼女を捧げなくても、人間関係を蔑ろにしなくても、遊びを我慢しなくても、お金に気を遣わなくても、合格できたと思います。
仕事に就いてからは「今まで適当にあしらってきた人たちごめんなさい」と思いながらも「俺を縛るものはもう何もない。これからは自由な大人になって人生エンジョイできるかな!」なんて思ってました。しかしマシーン出身の私は愛嬌もなければ人の気持ちも考えられない。何より、友達と呼べる人物がいなくなっていたのです。
輝かしいSNSを見る度、「俺は誘われてない」と思ったり、「俺なんか居なくても楽しいよな」と悲観したり。遊びを知らないもんだから遊びに行っても心から楽しめない、そもそも1人だし。1人の方がラクでいいやなんて口では言ってもやっぱり寂しいですね。
就職してからは人間になったのでマシーンに比べれば丸くなりました。同級生などにばったり会うと丸くなったなと言われます。「(じゃあ丸くなった俺を遊びに誘っておくれよ、お前が4人プレイのゲームをマルチでしてんの俺知ってんだぞ)」とか思ったりして。
そうこうしてるうちに人間不信っぽくなりました。多分俺が死んで泣いてくれる友人は2人もいれば多い方です。そういえば成人式の2か3次会でカラオケに行った時歌いたくないけど歌わされて、盛り上がらなくて、まじで死ねよって思ってしまいました。そんな自分が嫌でした。
就職して暫く、上記のようなくさくさした精神状態が続いて今度は仕事に対して悪く思うようになりました。と言っても仕事には誇りを持っています。ただこんな夢を持たなければ今頃は周りに友人がたくさんいたのではないかと思ってしまうのです。
そんなこんなで約半年前、自殺未遂をしました。意識消失まではしたけど目覚めてしまいました。またやりたいけど失敗したらめんどくさいな。

何故それに至ったか、明確なコレというものはありません。ただ私のように将来の夢を叶えていて、やりたい仕事が出来ている。この様に世間的にみればまぁまぁ立派な人でも自殺はします。これを読んでくれた方の中にもきっと俺は頑張った自信があるし実績もある、だけど…。という人がいると思います。その気持ちは貴方だけではありませんよ。私と一緒に過去は捨ててこれからを作っていきましょう。気分が比較的上向いている時はこのくらいのことは言えます。

あ、当時の彼女に未練は1mmもありませんよ。ただ時間を無駄にさせてごめんなさいっていつか謝りたいですね。あといじめてしまった人にもアルコールに頼らずにごめんなさいって言いたいです。

感想1

経験談の投稿をありがとうございます。
読ませていただいて率直に思ったのが、素直な文章を書く方なのだなぁということでした(なんだか上から目線のようでしたら申し訳ないです…)。
あなたの書く話はどれも「等身大のあなたの話」のように私には感じられました。私にも中学生の頃に人を傷つけたり「阿保なこと」をしてしまったりといった過去があります。恋人とのことで「青春を無駄に過ごすこともなかったのに」という風に考えたりしたこともありました。でも、もしそれらについて私が自分の経験を書くとしたら、たぶんいろいろ濁してしまったり、余計な文言をつけて言い訳がましい文章にしてしまったりしたかも…と想像します(書いたことがないのでわかりませんが)。あなたの文章を読んで「等身大」の姿で書けないかもしれない自分に気づき、どうしたらあなたのように言葉にできるのだろうか、と思いました。こうして言語化していただいたことに感謝したい気持ちでいます。
さて、あなたの文章を読ませていただいて、聞いてみたいと(特に)思ったことがふたつあったため、そのことについて書きたいと思います。
まずひとつ目は「現役で合格出来なかったら自殺すると決めていた」ということについてです。あなたが「自殺すると決めていた」理由は何なのだろうかということが気になりました。母子家庭で収入のことなどが影響していたのかなと勝手に想像しましたが、半年前にあなたがしたという自殺未遂とも、もしかしたらなんらかの共通点みたいのがあるのかな?などとも思い、聞いてみたいと感じました。
あなたとは少しシチュエーションが異なりますが、実は私の知人に「大学生活が終わったら死のう」と考える人がいました(その方は大学を卒業した今も生きています)。「○○になったら(だったら)死のう」という場合に、「○○」と「死ぬ」との間には本来いろいろな要素があるのではないかなと私は考えていたのですが、その知人の話を聞いて以来、その考えはどうなのだろうか…とぐるぐる考えています。もしよかったら、あなたの考えや話を聞いてみたいなと思いました。

ふたつ目は例の「まじない」について聞いてみたいなと思いました。特にあなたがどこでその「まじない」と出会ったのかを聞いてみたいです。あなたの文章にはハッとさせられることが多かったのですが、私の中にもその「まじない」が(恐ろしいことに)あったかもと気づかされ、ハッとさせられています。私の中の「まじない」のことを少し考えてみたのですが、私の場合にはスポーツをしていたこと=いわゆる弱肉強食の世界にいたことが大きかったかもしれないと(今のところ)思うに至りました。スポーツでは「成績を出す(選ばれる)ためには自分の遊びたい時間を捨てなければいけない」といった考えを持つのが(私としては)当たり前になっていたように思います。そして、それがあらゆることに当てはまる真理かのように私の中でなっていったのだろうと思い、さらには、そうすることによって何かを得られれば「幸せになれる」、それこそ「エンジョイできる」と思っていた(思わされていた)ような気がします。でも実際にはあなたが感じているように「だけど…」と感じる人たちがいて、、この社会にはそんな矛盾があふれているのかもしれない…などと考えさせられています。そう考えると、あなたの書いてくれた受験の話もSNS(キラキラ)の話も「夢をもたなければ…」といった話も、もしかしたら「まじない」や社会の矛盾と関係している話なのかもしれないと思ったりします。そうした社会で生きている以上、そういう気持ちを持つのは「貴方だけではない」のかもしれないとも思いますし、だからこそ、世間的なもので人は判断できないこと、誰もが死にたい気持ちを持ちうるということが(あなたが書いてくれているように)もっと広く知られてほしいなと私も思います。
あなたの経験からいろいろ考えさせられました。これを機に私は自分自身にもう少し向き合ってみたいと思います(まじないに気づけたのもよかったです)。投稿をありがとうございました。また機会があればお話を伺えたらうれしいです。

感想2

夢のために色んなものを諦めたり見ないようにしながら必死に頑張ってある程度自分が納得いく今を手に入れたんですね。昔から「二兎追うもの…」とかいう諺がありますが、本当か?!って私は思っていましたが、今回、あなたの経験談を読んでみて、自分それほどしてまで本気で何かを目指したことがないことにも気付きました。あなたが必死に手に入れた夢の結果は望ましいものだったように思いますが、でもどこか現在地に違和感や理想とのギャップがあって、後悔や寂しさと行ったり来たりしている感じが文章の端々から伝わってきました。もしかしたら、あなたの夢は社会的に望まれる結果であり、それに向かっていく過程であなたの意思や感情はだいぶすり減ってきたのかもしれません。
経験談の文章はとても流ちょうな言葉で自分自身を振り返り、最後は読み手に語り掛けていたので、コミュニケーションが上手なのかなと思うけど、実際会ってみたらまた違う雰囲気なのかな…というのが文章を通した印象です。(マシーンから人間になったという自己認識の表現は興味深かったです) 
気をつかったり、周りに合わせる一面もありながら何とか目標に向かって突き進む一面、羨んだり、不信感を抱いたり、葛藤したり…色んなあなたの様子(まさにマシーンではなく人間だと思いました)を想像すると、しっかりと意志を持っているからこそ、こころもここまで動いてきたんだなって私は思いました。一見、どんなに輝いていようが、何かを手に入れていようが、外からそのひとのこころの内はわからないし、死にたいって人知れず思っているひとはいるということ、それは私も同感です。立派に見えるいまの姿とは裏腹な気持ち、また死にトリに置きに来てくださいね。
今回は様々な経験や揺れ動く気持ちを読む方にシェアしてもらいありがとうございました。

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